バイクで地域に配る予定のビラ、原稿  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月16日(水)03時32分19秒


      小学生に英語?

Freeze, then unfreeze.

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小学生英語に関する、文部科学省の考えはひっくり返っている。

 それを父親も母親も知らずにいる。あるいは批判できずにいる。
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日常会話ができればいい? 文法はやらなくていい? 馬鹿な!

 日常会話ほど難しいものはない。アメリカで歯医者に行って、どう痛むんですかと聞かれて、「しくしく痛む」んですと言うときに、この「しくしく」を英語 で何と言うのか。何と言おうと、しょせん近似値しか言えはしない。近似値が言えればそれでいいのだが、どの近似値ならよくて、どんな近似値なら駄目なのか という見極めがいまだ日本という国では成立していない。しくしく痛むその痛みは、それをその通りに言うためには、どんな英語をもってきても言えない。「し くしく」と日本語で言うしかなく、しくしくは絶対的にしくしくでしかない。英語でどんな言い方をしても、しくしくはしくしくではなくなってしまう。どんな 言語のどんな一語にも絶対性があり、その間を結ぶのはイメージだけだ。こういう単純なことがわからないまま、母親たちは子供に幼児英語なんぞをやらせよう とするのだ。それこそが馬鹿みたいな風景だ。
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 日常会話ほど難しいものはない。

 文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また国家によって日本人がだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時 は、日本は今よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大きくなって、問題をまき散らすだろう。
 日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて Hello と言っていた当時の子供とどこが違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言っ て、アメリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
 日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。
 幼児英会話などやらせたり、小学生英語に冷凍もの以外を求めたりする者たちは、言語「磁場」の磁力というものをなめているのである。英語ネイティヴの元 に週一回一時間通わせることで「ペラペラ」になる? 文法はやらなくていい? 日常会話ができればいい? 馬鹿な。幼児英会話や小学生英語というイデオロ ギーの周りにむらがる者たちは、日本には日本語の磁場という強力な磁場があるのだということがわかっていないのである。日本語磁場にいては絶対に生じるは ずのないことが生じると妄想しているだけのことである。磁場でなければ生じないことがあるということがわからないのだ。
 幼児英会話などの流行の元にあるのはグローバル化という(またしても)アメリカ産のイデオロギーである。そんなイデオロギーに無批判に参加してしまう母 親たちは、自分で自分の子供に何をやらせているのかが自覚できないのである。当然、方法自体を長い時間をかけて自前で作ってきた素読舎の「冷凍もの」とい う考えは理解できない。愚かしい。

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日本で日本語で生きている小学生が持つべき英語

 文まるごとを体に蓄積していくこと自体は、「冷凍もの」を作っていくだけだから、小学生の子供に何の害もない。あるとしても、九九を覚えることと同じく らいの害しかない。私は今、原理的にものを言っているんだが、小さい頃から英語に触れていれば、自然に英語が身に付くみたいな「磁場」を無視した考えよ り、「冷凍もの」という考えのほうがよっぽど確かな考えなのだ。それがわからなかったら、さっさとこのビラを破り捨ててもらって、やみくもに先に突っ込ん でいくがいい。どんな馬鹿をみようが、全部自分のせいだということだけは忘れないでやってもらうに限る。

 文まるごとを体に蓄積していくということは、昔から、受験英語で「例文暗記」と言われてきたことと実質は同じだ。素読舎の方法が受験生のご苦労な「例文 暗記」と違うのは、受験英語ではいやでも無理にでも「暗記」するということが行われるのに対して、素読舎のレッスンでは、覚えようと思ったわけではないの にいつのまにか覚えてしまっているということが成り立つという点にある。それが素読という方法の功徳なのだ。この方法は絶対に国家に使わせてはならない が、自分で自分を鍛えるためになら、個人や家族の間でなら使ってもいいものだ。害のない効果がもたらされる。
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日本で作られる英語が冷凍ものなら、それはいつ解凍されるのか?

 解凍はいわゆる英語圏で。
 がちがちの氷と水との中間のシャーベット状の英語までなら日本にいて日本語を使って暮らしていても作れないことはない。しかし、解凍は英語圏でやるのが いい。そこには英語で暮らす自分の生活があるからだ。生活では、がちがちの英語やシャーベット状の英語だけであるより、水のように流れるものをもっていた 方が都合がいいからにすぎない。
 日本にいて日本語で暮らしていくのなら、がちがちの氷でいいし、シャーベット状で流れない英語(ごつごつした英語)でいい。それであたりまえであり、そ れで普通なのだということをもう日本人は認識すべきなのだ。それを認識できている父親も母親もあまりにも少ない。率先してひっくり返っている文部科学省の ひっくりかえりをなぞって「ぺらぺら」などを信仰している父親や母親は、自分で自分の子供に何をしているのかさえ自覚できない。
 解凍は英語圏で。昔とくらべれば、それははるかに容易に実現可能なのだから、それでいいではないか。日本で日本語で暮らしているのに、「ぺらぺら」なん かやろうとしたり、「ぺらぺら」なんかを子供にやらせようとすることで、考えが文部科学省同様に、ひっくり返ってしまう。なんというていたらくか。これは 恥ずかしいことなのだ。
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冷凍ものとさえ言えない英語

 学校英語は音を軽視しつづけてきた。現場の英語教師のほとんどが「音づくり」ができない。大学の教員養成課程の英語「音声学」なんかは、ほとんど全部が アメリカからの輸入物でしかない。日本語で育った日本人の口の動きを元にした、自前の「音声学」を持っている大学教師がいたら是非手をあげてもらいたいも んだ。私が見渡したかぎりでは、今のところ、一人だっていやしねえのだ。
 現場の教師たちは、日本の大学の教員養成課程の犠牲者たちなのだから、あんまり責める気はない。音の軽視は語学に対する犯罪だが、大学教師や文部科学省 の役人たちが真犯人なのだ。
 音を軽視したら、「冷凍もの」の英語は作れない。いや、音を軽視して作った「冷凍もの」は解凍できなくなってしまうのだ。
 別の場面で考えてみればいい。
 NOVAその他の英会話学校の教師をやっている英語ネイティヴ(外人)は自分がネイティヴ音が出せるだけで、日本語で作られた日本人の口をどう動かせば 英語の音になるかに関する知識は何も持っていない。その程度の英会話学校教師なら、商売柄何人も知っている。肝心な知識を持っている者に出会ったことは一 度もない。
 英語ネイティヴのいる英会話学校も、「音づくり」ができないという点で、学校英語と何の変わりもない。戦後の時空において、学校英語と英会話学校は、日 本人の英語を駄目にしてきた車の両輪なのだ。
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英語機関はほぼ100パーセントがにせもの

 にせものの代表は学校であり、英会話学校だが、それ以外でもにせものがほとんどなのだ。にせものとほんものをどこで見分けるのか。解凍さえすればすぐに 使える「冷凍もの」を作る方法を持っているかどうかだ。語学論として書けているかどうかだ。それを持っていないすべての英語機関はにせものだ。単純にそう 考えて間違うことはない。
 今の学校なんかに小学生の英語をいじらせたら、これまでの英会話学校が繰り広げてきたていたらくの再現があるだけだ。現に、現場の小学校教師たちが困り 果てているではないか。教師としての良心があれば、小学生を相手に語学としてでたらめなことはやりたくないと思うのが当然である。
 英会話学校に金を払って、英会話学校にまかせ、そのやり口を学校に導入してしまっている小学校もあるという記事をインターネットで読んだ。英会話学校が 役たたずだというのはすでに証明されている。英会話学校に通って英語をしゃべるようになった人なんか会ったことがない。なぜ父兄たちは、この学校の校長を つるしあげないのか。わけがわからない。

 こんな馬鹿みたいな事態に対抗するためには、もっと素読舎に注目してもらう以外にない。
 インターネットで「語学論」で検索してみてほしい。まともに「語学論」をやっているのは、日本では素読舎だけだということがおわかりになるだろう。

 ごらんの通り、書くものに衣着せぬ流儀で生きてきたため、現在素読舎は閑古鳥が鳴いている。なかなか美しい声だと思って、閑古鳥の声を聞いている日々 だ。閑古鳥が鳴きやんで、どんな鳥の声も聞こえなくなっても、素読舎塾長は、今まで通り歯に衣着せぬことでやっていく。素読舎ひとつなんか、いつつぶれて たっていいのだ。日本人の奴隷根性、文化的植民地根性がどうにも気に入らないだけだ。これらの根性は、戦後の日本国家を動かしてきた者どもの根性でもある のだが、なんで俺たちがそんなものをなぞる必要があるのか。方法を持たないままに小学生に英語を導入する? わけがわからないのだ。わけがわからないか ら、こうして金にならず、金を損するだけのビラなどを書いているのだ。

 お馬鹿さんたちは素読舎以外を使ってくれ。英語にどれほどの金を使って、どれほど空しい結果を得ても、私に文句はない。



音声HP移動  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月17日(木)04時24分47秒

      素読舎音声HPのアドレスを変更しました。

素読舎音声HPhttp://sodokusha.kinugoshi.net/     



ビラ原稿について  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月17日(木)05時03分14秒 

 ビラ完成したら私も配らせてもらいます。

「ゆとり教育」、聞こえはいいけれど、結局学力の低下を招いただけだった。
小学校の英語必修化は、聞こえさえ良くない。小学校で「英会話」などやる前に日本語の読み書きができるようにするのが先だろ、という意見は少なからずあ る。「必修化」の陰にある「グローバル化」「国際人(わけのわからんコトバだけれど)」という幻想が父兄・小学校の先生を脅迫する。
発音指導するのに困る先生たちのためにテキスト専用CD。これを教室で流して子どもにマネさせてください。そう文科省は言っている。
そんなの大多数の子たちには役に立たない。それでできちゃう子どもは、自分でやってく。ほんとに意味ない。
「ゆとり教育」は理念は立派だったかもしれないけれど、結果はひどいものだった。
「小学校英語必修化」は「ゆとり」に比べたら聞こえさえよくない。役に立たず、害をなすのは予想できる。

もしかして、新しい植民地の形の実験をしようとしている人たちがいるんだろうか?
そんなことを思いました。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月18日(金)03時55分13秒 

 ありがとう。
この掲示板から直接行けるようにアドレスを転写します。

http://sodokusha.kinugoshi.net/     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月18日(金)17時16分41秒

  ビラ原稿、手直ししました。
 元のやつに手を入れ、上書きしてしまいました。

 元のやつと手直し後のやつを別々に掲載すればよかったかなと思っています。     



ビラ原稿 1号  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月20日(日)01時04分50秒

      [投稿日時] 2008年 7月17日(木)02時56分53秒
[題名] バイクで地域に配る予定のビラ、原稿
[投稿者] 根石吉久
小学生に英語?

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小学生英語に関する、文部科学省の考えはひっくり返っている。

 それを父親も母親も知らずにいる。あるいは批判できずにいる。
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日常会話ができればいい? 文法はやらなくていい? 馬鹿な!

 日常会話ほど難しいものはない。アメリカで歯医者に行って、どう痛むんですかと聞かれているんだとわかって、「しくしく痛む」んですと言うときに、この 「しくしく」を英語で何と言うのか。何と言おうと、しょせん近似値しか言えはしない。近似値が言えればそれでいいという見極めがいまだ日本という国では成 立していない。しくしく痛むその痛みは、それをその通りに言うためには、どんな英語をもってきても言えない。「しくしく」と日本語で言うしかなく、しくし くは絶対的にしくしくだ。英語でどんな言い方をしても、しくしくはしくしくではなくなってしまう。そういう単純なことをわからないまま、馬鹿な父親も母親 も子供に英語なんぞをやらせようとするのだ。それこそが馬鹿みたいな風景だ。
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 日常会話ほど難しいものはない。

 文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また俺たちがだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時は、日本は今 よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大人になって、問題をまき散らすだろう。
 日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて、Hello と言っていた当時の子供と違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言って、ア メリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
 日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。
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日本で日本語で生きている小学生が持つべき英語

 文まるごとを体に蓄積していくこと自体は、「冷凍もの」を作っていくだけだから、小学生の子供に何の害もない。あるとしても、九九を覚えることと同じく らいの害しかない。私は今、原理的にものを言っているんだが、小さい頃から英語に触れていれば、自然に英語が身に付くみたいな馬鹿な考えより、「冷凍も の」という考えのほうがよっぽど確かな考えなのだ。それがわからなかったら、さっさとこのビラを破り捨ててもらうがいい。

 文まるごとを体に蓄積していくということは、昔から、受験英語で「例文暗記」と言われてきたことと実質は同じだ。素読舎の方法が受験生のご苦労な「例文 暗記」と違うのは、受験英語ではいやでも無理にでも「暗記」するということが行われるのに対して、素読舎のレッスンでは、覚えようと思ったわけではないの にいつのまにか覚えてしまっているということが成り立つという点にある。それが素読という方法の功徳なのだ。この方法は絶対に国家に使わせるべきではない が、自分で自分を鍛えるためになら、個人や家族の間でなら使ってもいいものだ。害のない効果がもたらされる。
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日本で作られる英語が冷凍ものなら、それはいつ解凍されるのか?

 解凍はいわゆる英語圏で。
 がちがちの氷と水との中間のシャーベット状の英語までなら日本にいて日本語を使って暮らしていても作れないことはない。しかし、解凍は英語圏でやるのが いい。そこには英語で暮らす自分の生活があるからだ。生活では、がちがちの英語やシャーベット状の英語だけであるより、水のように流れるものをもっていた 方が都合がいいからにすぎない。
 日本にいて日本語で暮らしていくのなら、がちがちの氷でいいし、シャーベット状で流れない英語(ごつごつした英語)でいい。それであたりまえであり、そ れで普通なのだということをもう日本人は認識すべきなのだ。それを認識できている父親も母親もあまりにも少ない。率先してひっくり返っている文部科学省の ひっくりかえりをなぞっている父親や母親は、本当には自分で自分の子供に何をしているのかさえ自覚できないのだ。
 解凍は英語圏で。昔とくらべれば、それははるかに容易に実現可能なのだから、それでいいじゃないか。日本で日本語で暮らしているのに、「ぺらぺら」なん かやろうとしたり、「ぺらぺら」なんかを子供にやらせようとすることで、考えが文部科学省同様、ひっくり返ってしまう。なんというていたらくか。これは恥 ずかしいことなのだ。
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冷凍ものとさえ言えない英語

 学校英語は音を軽視しつづけてきた。現場の英語教師のほとんどが「音づくり」ができない。大学の教員養成課程の英語「音声学」なんかは、ほとんど全部が アメリカからの輸入物でしかない。日本語で育った日本人の口の動きを元にした、自前の「音声学」を持っている大学教師がいたら是非手をあげてもらいたいも んだ。私が見渡したかぎりでは、今のところ、一人だっていやしねえのだ。
 現場の教師たちは、日本の大学の教員養成課程の犠牲者たちなのだから、あんまり責める気はない。音の軽視は語学に対する犯罪だが、それをやってきた大学 教師や文部科学省こそが真犯人なのだ。
 別の場面で考えてみればいい。
 NOVAその他の英会話学校の教師をやっている英語ネイティヴ(外人)は自分がネイティヴ音が出せるだけで、日本語で作られた日本人の口をどう動かせば 英語の音になるかに関する知識は何も持っていない。その程度の英会話学校教師なら、商売柄何人も知っている。やつらは、肝心な知識を持っていない。
 英語ネイティヴのいる英会話学校も、「音づくり」ができないという点で、学校英語と何の変わりもない。戦後の時空において、学校英語と英会話学校は、日 本人の英語を駄目にしてきた車の両輪なのだ。
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英語機関はほぼ100パーセントがにせもの

 にせものの代表は学校であり、英会話学校だが、それ以外でもにせものがほとんどなのだ。にせものとほんものをどこで見分けるのか。解凍さえすればすぐに 使える冷凍ものを作る方法を持っているかどうかだ。語学論として書けているかどうかだ。それを持っていないすべての英語機関はにせものだ。単純にそう思っ ている。
 学校なんぞに小学生の英語をいじらせたら、これまでの英会話学校が繰り広げてきたていたらくの再現があるだけだ。現に、現場の小学校教師たちが困り果て ているではないか。教師としての良心があれば、小学生を相手に語学としてでたらめなことはやりたくないと思うのが当然である。
 英会話学校に金を払って、英会話学校にまかせ、そのやり口を学校に導入してしまっている小学校もあるという記事をインターネットで読んだ。なぜ父兄たち は、この学校の校長をつるしあげないのかがわからない。

 こんな馬鹿みたいな事態に対抗するためには、もっと素読舎に注目してもらう以外にない。
 インターネットで「語学論」で検索してみてほしい。まともに「語学論」をやっているのは、日本では素読舎だけだということがおわかりになるだろう。

 ごらんの通り、書くものには、歯に衣着せぬ流儀で生きてきたため、現在素読舎は閑古鳥が鳴いている。なかなか美しい声だと思って、閑古鳥の声を聞いてい る日々だ。閑古鳥が鳴きやんで、どんな鳥の声も聞こえなくなっても、素読舎塾長は、今まで通り歯に衣着せぬことでやっていく。素読舎ひとつなんか、いつつ ぶれてたっていいのだ。日本人の奴隷根性、文化的植民地根性がどうにも気に入らないだけだ。これらの根性は、戦後の日本国家を動かしてきた者どもの根性で もあるのだが、なんで俺らがそんなものをなぞる必要があるのか、わけがわからないのだ。わけがわからないから、こうしてゼニにならず、ゼニを損するだけの ビラなどを書いているのだ。

 お馬鹿さんたちは素読舎以外を使ってくれ。英語にどれほどの金を使って、どれほど空しい結果を得ても、私に文句はない。     



ビラ原稿2号  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月20日(日)02時38分56秒


に手をいれました。
今回はごく一部の書き直しですので、2号の原版をそのまま書き直しました。
(→村田君)2号の元ヴァージョンは転写不要です。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月21日(月)03時32分37秒

 私がこの掲示板の過去ログをほとんど読むことがないのは、実際はさまざまな事情に邪魔されて亀の歩みでしかないとしても、いつも新しいところへ出たいと 思っているからだとは言えると思います。しかし、もうひとつの理由は、過去ログを読みに行っても、結局全部読むしかないのかと思って閉じてしまうためで す。ひとまずは、ナマのまま全部収録しておくことが基本ですが、それだけだと「労作」になっていかないと思います。

 なんとか語学論としての内的連関がたどれないものかと思っています。

 今日もちょっと読みに行って、Naima さんが書いていてくれた頃、Naima さんが引用してくれた過去ログの記事は掲載されているのに、らくださんが引用してくれたものは採録されていないのに気付きました。

 「まとめる」ということを自分でやろうとは思いませんが、過去ログ番号を頼りに500位の記事を読んで、語学論としてピックアップしてみたいものをピッ クアップするというような作業を自分でやってみるしかないのかとも思っています。その場合、気の向くまま、ランダムにやることになります。
 その程度でも、掲示板に話題を提供するくらいのことはできます。。

 素読舎が素読舎であるのは、自前で語学論を作ってきたからです。その語学論に見合う教材を自作してきたからです。教材の元に、語学論があります。教材は それを作るのにどれほど膨大な時間がかかろうと、元にある語学論の結果にすぎません。
 もっと語学論に即した仕事をしてもらいたいものです



過去ログの使い方  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 7月22日(火)17時19分38秒

 過去ログを全部読んで面白いところを抜き出してみようか..などと欲張った事を考えたことがありましたが、頭から読み始めて間もなく断念しま した。この量を読み切るなど到底できそうにない..と腰がくだけてしまったからです。今は、思いついたキーワードで検索をかけ、関連する記事を読むといっ た使い方をしております。

以前、根石さんがホームページではなく掲示板を使う意味合いについて説明されていたように思います。ホームページの方が「売る」という観点からは有効だ が、常に新味が出ることを大切にしたいから、といったお考えであったように記憶しています。

ホームページは確かに固定的なところがあります。しかし、両方を併用ということも意義あるのではないか、と最近感じております。たとえば、Yahooで 「素読」というキーワードで検索をかけますと、スポンサーサイトを除けば素読舎のホームページがずらりと上位に表示されるわけです。しかし、これらのペー ジには残念ながら古い情報が載ったままです。「古い日付の記述=価値が低い」とは申しませんが、やはりホームページにも新味が欲しいところではあります。 「素読」というキーワードからどの程度の人数がアクセスしているか分かりませんが、少々もったいない気がするのです。

ホームページの更新にたいへん手間がかかる事は承知しております。しかし、今後、なにがしかの手間をおかけになるのであれば、ホームページに手を入れられ る事も選択肢の一つではないかと感じますが、いかがでしょうか?それは散々検討された結果ということかもしれませんが。



らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月23日(水)02時42分53秒

   貴重なご意見です。
 もう一度、ホームページの可能性を考えてみます。
 実は、ホームページを新たに作ろうと思って、やりかけて放置したものがあります。
 こちらは、百姓仕事の記事を主体に作ろうとしたもので、動機がちょっと違います。
 語学論を主体としたホームページが必要かもしれません。

 過去ログをお読みになって、これは再録の価値ありと判断された記事がありましたら、遠慮なくこの掲示板に貼り付けていただき、現在時点に放り込んでいた だきたくお願いいたします。
 もし新しいホームページができれば、「らくださんによるピックアップ」というコーナーが作れるかもしれませんので。



根石さん・らくださんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月23日(水)06時30分10秒

 どんなことになっていくかわかりませんが、やってみようと思います。
孫悟空と猪八戒…気をつけます。
誤植の件は、訂正させていただきました。
過去ログについては、過去ログ倉庫の外見も内部的にも、つぎはぎだらけでやりにくいので、HPの改装が先かと思っていて進みませんでした。
内容的に一区切りがついてから、改装していこうと思います。

らくださんへ
申し訳ない気持ちです。
そういう機能は過去ログ倉庫になくてはいけないんですよね。
500番台までが一区切り、10000番代からまた傾向が変わってきます。
そこらへんの見通しがよくなるようにしていきます。



ホームページ  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 7月23日(水)08時24分7秒

      私がホームページについてご意見申し上げた直接の理由は、根石さんが「小学生向け英文法教材」について

>ただし、いつもながら問題になるのは、これをどう売るかです。

とお書きになっていたからです。

この場合の「売る」というのは、どういう方たちに対してどういう形で売ることなんだろう、と考えました。電話レッスンについては、既に枠がいっぱいで席が 空くのを待っている方がいらっしゃると聞いています。それとも、地元の教室に生徒を集めることなのだろうか...。

教材とレッスンとは不可分、と根石さんはお考えでしょうから、これは無い事だと思いますが、私は教材だけを売るという事があっても良いのではないだろう か...と考えてしまいます。

小学生も良いのですが、素読舎の方法論を必要としている方(昔の小学生)は、全国に散らばっているのではなかろうか。音作りの部分について教材化すること が難しい事はわかりますが、次善の策としての独習教材を作る事はできないことであろうか。それをネットで販売する事はできないだろうか。良い教材だったら 2〜3万でも買うな、俺は。

と、そんな事をつらつらと考えて、売るにはホームページだな。と思い至ったわけです。あんまり「売る、売る」と連発すると陳腐なもの言いになってしまいま すが。

ホームページと過去ログ倉庫とはイメージを分けてとらえております。ホームページの文は、ログをそのまま収録するのではなく、これまでの積み重ねのエッセ ンスを簡潔な文でテーマごとに説明するような感じです。一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているような事です。「実績」云々という話が出ました が、実績ももっとアピールして良いと思いますし、塾生の体験談なんかも良いと思います。

デザインについて。Naimaさんのホームページ、美しいと思います。

http://www.geocities.jp/pillbugtwin2000/sudokuindex.html

http://www.geocities.jp/pillbugtwin2000/index.html

いや、男二人がやることですので、無骨でかまわないとは思いますが。

勝手な事を書き連ねました。



らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月25日(金)04時40分26秒

>この場合の「売る」というのは、どういう方たちに対してどういう形で売ることなんだろう、と考えました。電話レッスンについては、既に枠がいっぱいで席 が空くのを待っている方がいらっしゃると聞いています。それとも、地元の教室に生徒を集めることなのだろうか...。

 私は週に3回レッスンをしています。それ以外の日は、自宅自作の続きをやったり、百姓をやったり、教材づくりをしたり、語学論を書いたりしています。妻 が体をいためたため、薬剤師の仕事をやめ、家にいますので、我が家の現金収入は現在、私の「電話でレッスン」から得られるお金がほぼすべてです。17万円 から18万円くらいでしょうか。これで一家4人が暮らしています。薪ストーブを焚いたり、野菜を自分で作ったり、下水処理を全部自分でしたり、タダでもら える材料を使って家づくりの続きをやったりしていますので、割とお金がかからない暮らしです。それでも17万から18万円というのはなんとかようやく生活 が成り立つレベルで、今年はお金がないから孫を海に連れていくのはやめとこうかなどと妻と話したりしています。こういう家計だと、空き枠が二つ三つできる と、実に気持ちの上できつくなります。
 で、現在空き枠が二つできてしまいました。
 一人の方は、家に一大事が生じてしまいレッスンを続けられなくなったという電話を妻が受けたのですが、そういうふうな電話だと、かえってこちらから事情 を聞きにくくて、少したってからお電話しようと思って、今はそのままにしてあります。今、電話すると何かの邪魔になるような気がして。もう一人の方は、実 家の方が病気になられて、付き添いなどで時間がとられるから、ひとまず中断されるということでした。家族や親族に病人が出て、レッスンが続けられないとい うケースは最近とみに多いです。
 席があくのを待っておられた方は、空き枠ができたときに入っていただき、結構長い間、空き枠なし、待っておられる方もなしというバランスがとれていたの ですが、ここにきてたて続けに二枠の空きができてしまいました。一挙に生活に響きますので、私としては、常時一人二人の方が空き枠を待っておられる状態が 一番安心して教材づくりなどやっていられる状態です。しかし、私一人で決められることではないので、なかなかそうはいきません。

 「売る」についてですが、私は無限定に多くの方にレッスンすることはできませんが、私の開発してきた方法に広がりをもたせたいという願いはあります。
 どういう方たちに対してどういう形で「売る」のかについては、やはり「電話でレッスン」や「スカイプを使ったレッスン」で売ることを考えています。具体 的に今考えているのは、小学生を相手に英語の教室をやりたいが、何をどうすればいいのか思案中であるとか、小学生を相手だからといっていいかげんなことは やりたくないと考えているような方々、つまり、簡単に言ってしまえば、まともな英語の塾をやりたいと考えているような方々に売りたいと考えています。独習 用の音声教材を作るような知識や設備がありませんので、その線は考えていません。あくまでも、私のレッスンをじかに受けていただき、何をどう扱うのかを学 んでいただいて、小学生や中学生を相手に塾をやっていただきたい。そういう形で、私は私の方法の広がりを作っていきたいと願っています。
 英語のコーチをやる方法は今後も磨いていきたいと思っていますが、そのことで得られるお金はレッスンで得られるお金(十数万円から二十万円程度)でいい と考えています。語学論は、一度小学館で文庫本を作ってくれた時を除けば、まるでお金にはなりません。ですので、妻が自分ちで作った野菜を使った定食屋を やることを考えていますが、これは今のところ計画だけで、しばらくは私の十数万円から二十万円程度で暮らしていくことになります。
 済みません。家計の話などしてしまって。
 生活形態のバランスを維持するためには、やたらに生徒を増やすことはできないし、かといって、年に一度くらいは孫を海に連れていってやりたいしというと ころで悩んでいるところです。これが語学論と何か関係があるかというと、結構関係があって、私は塾をやってきながら、生活が成り立つか成り立たないかとい う瀬戸際を何度も歩いたわけです。私の語学論はその瀬戸際で生まれたもので、日本人の英語がたいてい死んでしまうこと、生きていてもいつでも死を目の前に した瀬戸際にあるという認識と、私の生活が成り立つか成り立たないかの瀬戸際にあるという認識は、私の中では危機意識として同じ響きをたてています。
 「売る」に話を戻しますが、教材を「売る」なら無料で売りたい。ただし、自分で地域の生徒を集めて英語教室をやりたいという人たちに、じかに私からレッ スンを受けていただくことを条件に無料で売りたいと考えています。というか、自分でレッスンを受けていただけば、自然に教材は手に入るわけです。このやり 方なら、自分の英語力をつけながら、同時に何をどう扱えば子供に力をつけることができるのかをわかってもらえると考えています。

>教材とレッスンとは不可分、と根石さんはお考えでしょうから、これは無い事だと思いますが、私は教材だけを売るという事があっても良いのではないだろう か...と考えてしまいます。

 やはり、私が作る教材は、こうしてレッスンするというレッスンの形態を前提にして作っていますので、例えば書店で売るような汎用性はないと思っていま す。英語教材は種々様々溢れかえっていますが、書店などで売るような汎用性を持ったものの発行部数や販売部数に比べて、それらの教材から実質的な力を作っ た人がどれだけいるのかを考えたら、ほとんどスカンピンというくらいなものだと思うのです。
 優秀な編集者がついてくれて、例えば柴田さんみたいに音に関する知識が非常に豊富な方と組むことができ、共著の形で話が飛び込んでくるようなことがあれ ば、よく迷ってみるかもしれません・・・。
 それでもやはり、レッスンの二年間には二年間分の、三年間には三年間分の実質があり、これは独習教材では手に入らないものだと考えています。実際に生徒 の音を聴いて、「あ、もうちょっと口の両端に力を入れて」だとか、「口の両端が一番持ち上がっているときにアと言ってみて」とか「もうちょい狭い」とかい うアドバイスは、生のレッスン以外では不可能です。だけど、レッスンはお金がかかるので、レッスン代金を安くできないかと考え、今はスカイプを使って、同 時に二人とか三人の人を相手にレッスンすることをずっと考えています。

>小学生も良いのですが、素読舎の方法論を必要としている方(昔の小学生)は、全国に散らばっているのではなかろうか。音作りの部分について教材化するこ とが難しい事はわかりますが、次善の策としての独習教材を作る事はできないことであろうか。それをネットで販売する事はできないだろうか。良い教材だった ら2〜3万でも買うな、俺は。

 ネットやCDRに焼いた形で販売できるのは、私がやれる範囲では、やはり文字教材の部分だけだろうと考えています。贅沢な望みですが、優秀な編集者が現 れてくれないと無理だろうと思います。

>と、そんな事をつらつらと考えて、売るにはホームページだな。と思い至ったわけです。

 非常にいいタイミングで示唆していただいたと思っています。売るにはホームページの方がいいなとはずっと考えてきたことでしたので、ようやくふんぎりが つきそうです。今日、村田君とそのことで話をしました。

>ホームページと過去ログ倉庫とはイメージを分けてとらえております。ホームページの文は、ログをそのまま収録するのではなく、これまでの積み重ねのエッ センスを簡潔な文でテーマごとに説明するような感じです。一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているような事です。「実績」云々という話が出ました が、実績ももっとアピールして良いと思いますし、塾生の体験談なんかも良いと思います。

 ログをそのまま収録するというのでなく、ログを引用して、現在時点からのコメントを書いたり、ログをプリントアウトしたものを間に置いて、村田君と話を してテープ起こしをして新しい記事を作ったりということを考えています。いずれにせよ、一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているようなものにはな らないと思っています。あくまでも語学論を軸に据えて、論を読んで胸のつかえがおりたというような人がこちらにコンタクトをとってくれればいいなと願って 作っていこうと思っています。非常に広い意味では「広告」や「宣伝」かもしれませんが、語学論を軸にするという一点は崩さないで行きたいと思っています。

>デザインについて。Naimaさんのホームページ、美しいと思います。

 これは、私や村田君の力が及ぶところではありません。
 Naima さんが手伝ってくれれば鬼に金棒なんですが、Naima さんは、この掲示板に出入りしたせいかそうでないのか、どんどん英語から離れていってしまわれたようです。ときどき書いてくだされば、Naima さん、ページの色とタイトルの位置と大きさだけ決めてくださいというようなお願いもできるんですが・・・。

>いや、男二人がやることですので、無骨でかまわないとは思いますが。

 ひとまず無骨で始めます。
 適切なアドバイスいくつもいただき有り難く、感謝しています。
 巴里子さんからいただいた酒を飲みながら書きました。酒が入るとつい余計なことを書いてしまいます。この点、ご勘弁の程、よろしくお願いいたします。     



根石さんへ(HPについて)  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月26日(土)22時52分22秒       通報
      素読舎音声HPに仮の表紙をアップしました。

色はあれでどうでしょうか?

NaimaさんのHPはスタイルシートっていうのを使っているんで、よくわかりません。背景はどうも画像をタイル状にしているようですが…。文字部分は普 通に「白」(htmlの表記だと#fffffff)でした。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)02時37分52秒       通報  編集済
      先ほど、スカイプで話しながらメモしたもの、忘備のために転写しておきます。一部、新たに加えたもの、変更したものを含みます。

.新しいHP 構成案

・本表紙、スキャナ、本文一部掲載
一段目 書籍名
二段目 スキャナで取り込んだ画像 文字で「奥付」タイトル、出版社、発行年月日
三段目 ピックアップ記事のタイトル
四段目 記事そのもの

・雑誌記事 PDF化
一段目 「雑誌記事」
二段目 記事名・雑誌名・出版社・年月日
三段目 画像あるいはPDF
四段目 記事

・語学論
一段目 HPに 「語学論」
二段目 「磁場」「英会話」「絶対的な順序」「素読」「素読舎の方法」など
三段目 各論のタイトル列記
四段目 各論

・素読
一段目 HPに 「素読」(機能としては「語学論」の二段目の機能)
二段目 各論のタイトル列記(機能としては「語学論」の三段目の機能)
三段目 各論

・素読舎の決まり文句
一段目 HPに 「素読舎の決まり文句」(機能としては「語学論」の二段目の機能)
二段目 各決まり文句(機能としては「語学論」の三段目の機能)
三段目 その決まり文句を含んだ記事

・「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」
・「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」 生徒の感想

・文学関係
・DIY関係

ファイル名と記事内容がすぐわかるような対照表     
》記事一覧表示



らくださん、Naima さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)02時46分15秒

新しいホームページの作成を始めようと思います。
村田君と話しながらやっていきますが、アドバイスをお願い致します。     



matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)02時47分26秒

できましたら、matsu さんにもアドバイスをお願いします。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)02時58分8秒

 「素読舎の決まり文句」「英語どんでん返しのやっつけ方(書籍名)」「語学論」のいずれからもたどれる記事として。
 私のアタマでは、ひとまず「素読舎の決まり文句」からたどる記事として、ピックアップしたものを掲載します。

・素読舎の決まり文句
一段目 HPに 「素読舎の決まり文句」(機能としては「語学論」の二段目の機能)
二段目の一項目として、「英会話、風邪じゃないからウツラナイ」。

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英会話、風邪じゃないからウツラナイ

 英会話学校なんかへ通っても、しゃべる能力は「風邪じゃないからウツラナイ」。まずは、一人になって、一人でやらなければ駄目なんだ。インプットされて ないものがどうしてアウトプットできるのか。入れてないものは出てこない。飯も食わずにうんこをするつもりか。

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 これは、「語学論」の二段目「英会話」からたどれるようにするといいと思います。
 アクセス数を期待するために、一段目(HP)に「英会話」っていう項目があってもいいと思います。     



ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時00分24秒

ももこさんにもアドバイスをお願いします。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時17分19秒

 もっとも汎用性の高い言語・簡単に国境を越える言語

 私は英語塾をやってきました。だから英語をやったほうがいいよ、と日本人に言い続けてきました。しかし、英語という言語がアメリカ中心主義のようなもの と結びつくたびに、不快な思いを持ちました。決してアメリカが世界の中心ではない。一人一人の人間が世界の中心なのだ。例えば、アメリカ人とそんな議論を する場合の言葉も英語でしたが、言語が現世のリアルなパワーと結びつくことの不愉快は変わりませんでした。
 現在つきあっているオーストリア人は、もともとの言語はドイツ語ですが、私とは英語でつきあっています。英語は、すでにアメリカ、イギリス専用の言語で はなくなりました。英語圏の外の多くの国で、英語が使われるようになっています。
 例えば、私が韓国の人とつきあいが始まったとして、相互に英語で話すということは大いにありうることです。日本でつきあうのでも、韓国の中でつきあって いくのでも、英語が中に立つということは考えられますし、今後そんなケースは増えていくような気がします。
 英語という言語は、パソコンの「ローマ字入力」みたいなものかもしれません。(略)どんな会社のワープロにも使えるし、パソコンのソフトで「ローマ字入 力」を受けつけないものはまずありません。(略)一般的な使い方でもっとも汎用性が高いのが、「ローマ字入力」です。その点が英語と同じです。
 簡単に国境を越える言語、それが現在の英語です。空港、飛行機。港、船。そういうものをイメージしなくても、わが家の茶の間から、インターネットで、レ キシントンという町に住んでいる私の友達のところへメールが送れます。
 韓国の人と韓国の話をするには、話が細かいことになればなるほど、日本人が韓国語を知っているほうがいいし、日本のことを話すのなら韓国の人が日本語を 知っているほうがいい。話が細かいものになればなるほど、その土地の言葉を直接にわかるのがいいに決まっているのですが、逆に汎用性ということでは、英語 がもっとも汎用性をもっています。
 その土地固有の、なかなか外に理解されない性質も、英語が持つ汎用性も、両方大事にされるべきです。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時20分46秒

これから教材を作りますので、記事引用は今日のところは、二つにします。



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月27日(日)03時32分42秒

スカイプで打ち合わせた時点の構成で、フォルダ構成とファイル構成して一応アップしてみました。(各階層に打ち合わせした時のフォルダがおかれています)
漢字ファイル名も、FTPソフト上では漢字として見れるということが確認できました。
根石さんがピックアップした文はまだ載せていませんが、明日の昼に新しい構成案でもう一度ファイル構成やりなおします。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時54分13秒

・本表紙、スキャナ、本文一部掲載
一段目 書籍名
二段目 スキャナで取り込んだ画像 文字で「奥付」タイトル、出版社、発行年月日
三段目 ピックアップ記事のタイトル
四段目 記事そのもの

------------------------------------------------------
「書籍」の扱いが、スカイプで話したものと違っています。
トップページに、

英語どんでん返しのやっつけ方(書籍・小学館)
たごさくえーご宣言(書籍・私家版)

などとしたいです。書籍数は大してありませんから、書籍名をトップページに持ってきてしまいたいということです。
よろしく。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時55分41秒

写真は暫定的なものとして載せてくれたのでしょうか。
テカリがあって、あれでは使えないと思いますので。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)03時58分48秒

「編集室」として、昔の「大風呂敷」に作業を移行した方がいいと思います。
この「大風呂敷」からのリンク先として、「ホームページ作成編集室」というのを作ってくれませんか。

petat のHPは死んでいるので、このリンク先を削除して、「ホームページ作成編集室」というリンク先を作って下さい。ここから簡単に飛べるのが私としては一番使 いやすいのでお願いします。



生徒の募集  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 7月27日(日)04時11分31秒

> で、現在空き枠が二つできてしまいました。

そうでしたか。気がつきませんでした。

ホームページの有効性という話に繋げれば、こういうことは言えないでしょうか。ブログや掲示板はいわば動的なところがあり、現在、レッスンの空き状況がど うなっているか、ということが見えにくい面が弱点。ホームページは比較的静的なところがある分、設定されているレッスン枠の曜日と時間、空き状況や空席待 ち状況も常に明示できるかと思います。この掲示板を見て、レッスンを受けてみようかな..と思った方も、空席情報が見えづらいことで「どうせ一杯なんだろ うな...」と、問い合わせること自体をためらってしまう。多分に心理的なことではありますが、ありそうなことだと思います。

それにしても、貴重なレッスン枠が空いているなど、もったいない限りです。ビラの文面等の語気の強さから引いてしまう方もいるんでしょうかね。このごろは 何でもベタに受け取る方が多いですから、敢えてする「ケレン味やエクセントリックな物言い(過去ログ/61. 学校での音読の実践(1)」というものが通じにくいのかもしれません。     



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月27日(日)04時42分53秒

お疲れ様です。
「ホームページ作成編集室」リンクしました。
「どんでん」の写真は、暫定版です。
書籍の件、了解です。ここだけ3段になるということですね。
あと確認なんですが、一段目(HP)っていうのはトップページのことでいいんですよね。
新しい構成やりなおしてましたが、まだアップするには至りません。



らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月27日(日)04時46分54秒

 早起きですね。私はこれから寝るところです。長野でも暑いので、昼間寝たりしますが、夜寝ないとまた寝にくくて、一度起きてすぐに昼寝するみたいなこと になります。
 空き枠の数は書く気になれば、すぐにこの掲示板にも書けることなのに、私はそういうところが間が抜けているんです。経営の感覚がほとんどないのが、素読 舎の最大の欠点だとは昔から思っているのですが、なかなか改まりません。
 空き枠ができたら、今後は掲示板に書き、村田君にホームページに反映させてもらおうかと自分に言い聞かせています。らくださんは的確に私の間抜けの抜け た間を指摘して下さるので、有り難いです。ありがとうございます。
 私はやたらに生徒の数を求めてはいませんので、通じにくい「ケレン味やエクセントリックな物言い」をやってきました。わかってくれる人はわかってくれる だろうという甘えであるのかもしれません。どの程度出し、どの程度ひっこめるのか、そのあたりは考えないわけではないのですが、レッスン後に掲示板に書く 時は、たいがい酒が入っておりますので、なかなか思うようにいきません。つい先ほど、階段を降りて、何度目になるのか、酒を汲みに行ってきたところです。 巴里子さんが詩集を読みたいとおっしゃったのでお送りしたら、送って下さった秋田の酒です。高清水っていうんですが、いい酒です。
 またしても、貴重なアドバイスありがとうございました。



有機農業  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 7月27日(日)04時47分21秒

>実は、ホームページを新たに作ろうと思って、やりかけて放置したものがあります。
>こちらは、百姓仕事の記事を主体に作ろうとしたもので、動機がちょっと違います。

根石さんの生活の両輪の片方について触れたことがありませんでした。関心が無いわけではないのですが。

農業に関する記事も少し入れてはどうかと。

村田さんも、あながち語学論とも無関係ではない、という感じをもたれたことがあるのでは?

以下、過去ログより
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【9406】
【タイトル】素読関係の本
【 日時 】04/11/20 16:24
【 発言者 】村田
「素読のすすめ」安達忠夫著・カナリア書房
本屋で偶然見かけたので衝動買いしてしまいました。
表紙見返しにこんなことが引用されていました。
「素読は有機農法における土づくりとおなじで、即効性を 
求めない。意味や内容など理知的な面については説明しな 
いので、ことばの響きやリズムといった感性的な面だけが、 
時間をかけてじっくり耕され、根がしっかり育つ。(中略) 
表面的な意味をせっかちに求めない。『わかった』つもり 
にならない」
音読ではなく素読と言っているところが目にとまった点 
です。 
10年前に絶版になって、最近再版されたそうです
----------------------------------------------------------------------------------------

この本は現在は

http://www.amazon.co.jp/感性をきたえる素読のすすめ―くりかえし声を出して古典を読むことの楽しさと価値-安達-忠夫 /dp/4778200020/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1217100495&sr=1-3

となっているようです。面白そうだと思いながら、私はまだ読んでいません。

いっそのこと、有機野菜の宅配販売ページもどうでしょう。これは以前おやりになった事があるかもしれませんね。本物の有機野菜は貴重で、今は会員制の宅配 システムで購入している方も多いですよね。ご存知かもしれませんが、東京に本拠を置く

大地を守る会

http://www.daichi.or.jp/?banner_id=a4&ysmwa=h61CfYZPY6-2-r5SyZD7zaglGvGSZDqBj-wRX_0phMXm8Fi1ug6NRJ-aBq7t9gYb

や、らでゅっしゅぼーや

http://www.radishbo-ya.co.jp/radish-lp20/index.html?utm_source=overture&utm_medium=cpc

などでは、生産者を募集しているかもしれません。私の学生時代の友人が、そういった仕事をしていますが、去年久しぶりに会った時に、生産者を発掘して全国 を飛び回っているというような話をしていました。そいつに言わせると、日本の農業は危機に瀕している、なんとかせにゃならん、のだそうです。確かに自給率 を見るだけでも、それは明らかですが。     



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月27日(日)17時44分29秒

新しく作り変えたものをアップしました。
各ページからトップに戻るリンクを付ける予定です。
本の表紙が出ないのが原因がわからないのであとは塾のあとにやります。     



修正しました  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月27日(日)22時54分40秒

各ページ修正しました。



らくださん  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月27日(日)23時03分23秒

「素読のすすめ」まだ全部は読んでなかったのでした。
引用されたところを読んで、おもしろそうに思えたので、全部読んでみようと思います。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)00時00分12秒

すぐ下に書いてもらったような私宛の記事は、編集関係の連絡事項なので、HP作成編集室の方へ書いてもらうといいと思います。



らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)00時38分31秒

>農業に関する記事も少し入れてはどうかと。

 そうですね。一度作りかけてあるホームページを素読舎のホームページへ統合すべきかどうか迷うところです。

>村田さんも、あながち語学論とも無関係ではない、という感じをもたれたことがあるのでは?

 いわゆる有機農法は、薬剤で汚染された畜糞を使っていても、有機農法は有機農法なわけです。今はもう、有機農法自体が汚染されてる段階になってしまって います。そうなると、有機農法を正確に定義しなくちゃならなくなってきて、今のところ、私の考えでは、「薬剤を土に入れない」「微生物が活発に動いてい る」「土の汚染が減っていく」の三つくらいが実現されたものじゃないと駄目だなあという感じです。私のやっている畑は、今のところこの三つは実現していま す。
 私の定義による「有機農法」が語学論と無関係でないというのは、無関係どころではないと言いたい気持ちがあります。私のレッスンでも、英語の知識は扱う のですが、私がずっと目を離さないのは、「英語が根を張れる土壌=土」です。そして、この場合の「土」は、日本では社会という広がりにはなくて、どこまで も個人の意識でしかないというのが、私の「磁場論」の骨格です。



どんでんから抜粋  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)01時45分55秒

(リンク。英語どんでん、語学論、素読舎の決まり文句から「先生根性ほど嫌いなものはない」


 英語での喧嘩は、イギリス娘としたのが最初でした。(略)このイギリス娘は、日本に来て英会話の先生をしていました。家庭教師のようなこともやっていた らしく、ある日、私の家に来て次のようなことを言いました。
「子供が大きくなってしまった日本の家庭には、子供が幼かったときに買ってやった絵本がたくさん放置してある。誰も読まない絵本がたくさんあるので、これ を英語に翻訳し、アフリカの子供たちに送ってあげたい。私は日本語の読み書きができないから、あなたが日本語を英語に直し、その英語を私がさらに読みやす いものにしてアフリカに送ってあげるのだ。そういう仕事を考えついたから、あなたは私を手伝うべきだ」
 イギリス人の娘にそう言われ、私がやりたくないと答えたことから、言い合いになりました。
 「あんたは日本語の絵本を英語に直し、アフリカの子供たちに送ることで何か「いいこと」をするつもりらしい。しかし、どうしてアフリカの子供たちが英語 で絵本を読まなければいけないのだ。アフリカには、おじいさんやおばあさんがアフリカの言葉で子供たちに話したお話がいっぱいあったはずだ。自分たちの言 葉で子供たちに話していたお話があったはずだ。あんたらヨーロッパの国が、アフリカを植民地にし、金や銀を泥棒し、勝手に自分たちが支配して、好きなよう にいじりまわした。そして、そこの言語やお話を滅ぼした。だから、今ではアフリカの子供が英語で絵本を読むような変なことになっている。それは変なことな のだ。
 絵本を読むことは、語学をやることとは違う。語学のように、自分が自分に対して意識的に行うこととは違う。絵本を読むことは、一人の子供の『生活』なん だ。その『生活』の言葉を外から勝手に英語に置き換えることは野蛮なことだ。あんたは、その子供の『生活』の中に、まるであたりまえのことのように英語を 置こうとしている。俺は、あんたがやろうとしている『いいこと』を今は手伝うつもりはない。
 日本の家庭に放ってあるように見える絵本も、子供が大人になってから、もう一度抱きしめるようにそれを読みなおす可能性だってある。自分が子供の頃にそ れを読んだときの感情を、その絵本でもう一度抱きしめることだってありうるのだ。放ってあるように見えるものが、なぜ不要のものと決められるのか。日本語 の上に英語を書いた紙を貼りつけてアフリカに送ることなど、俺はやりたくない」
 すると、イギリス娘は、お前は「exchange of culture (文化の交流)」を否定するのか、それなら、なぜお前は英語を教えているのか」、と私に反論しました。英語で喧嘩をするのは初めてでしたから、私の脳味噌 は、そのときだくだくと汗をかいていたかもしれません。
 言いました。
 「俺が英語をやっているのは、お前のようなやつにはっきりとものを言うためだ。俺は、今、英語でお前と言い合っている。お前は、子供の頃からしゃべって きた言葉で俺と言い合っている。言葉の喧嘩でどっちが有利か、どっちが不利か、お前にもわかるだろう。俺がガキの頃からしゃべってきた日本語でお前をやっ つけるなら、お前を本当にうちのめしてやれる。英語は俺にとって、練習途中の言語だが、その練習途中の言語で、今、俺はお前と喧嘩しているのだ。不利な言 語でお前の相手をしているのだ。言語そのものが culture であり、culture の精髄だ。今、この場所で、それを本当に exchange しているのは誰だ。お前なのか、俺なのか。『いいこと』なんかする前に、日本に暮らしているお前は、日本語をまともにやって、exchange of culture をやるがいい。それをやらないことの免罪符に、アフリカなんか使うんじゃない」
 イギリス娘は、その場を蹴たて、どかどか歩き、玄関の戸を乱暴な音をたててあけ、行儀悪く出ていきました。喧嘩はどうしても後味が悪いものですが、それ でも私は英語をやっておいてよかったと思いました。     



記事候補、二つめ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)01時59分22秒

 同一化するんではない、媒介にするんだ

(決まり文句、語学論、どんでん)

 日本語というものがあり、日本人が英語をやると、日本語に影響された英語をしゃべるようになります。その日本人の英語は、自己中心的「でない」欧米の人 にはとても参考になるはずです。そこに反映している日本人の考え方や感じ方、あるいは日本語での考え方や感じ方を知るためのいい素材になるはずです。自己 を見失い、英語でのものの考え方や感じ方に自分を同一化してしまう惨めな日本人はたくさんいます。英語は媒介すべき言語です。同一化すべきものではありま せん。英語をとことん媒介にし、もう一度日本語に出会い、日本語を再発見するためにも英語をやるべきです。



記事候補、三つめ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)02時36分32秒

「電話でレッスン」が生まれた経緯

(村田君、適当に判断して複数の文字列からリンクして下さい。)


 素読舎は根石吉久が、大学卒業後どこにも就職せずに始めた英語塾です。今、これを書いているのは、2008年7月28日ですが、さて、素読舎は何年やっ てきたんだろうと改めて考えると、かれこれ、33年か34年やってきたことになります。そろそろ、一応、「この道、ン十年の職人」をなのってもいいのかな と思っています。

 素読舎の歴史の後半は、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」です。

 素読舎での練習と学校の部活の練習を比べて、素読舎での練習を部活の練習の下に位置づける親などがいると、私の若い頃の強いプライドが破裂し、軋轢を生 じたりしました。一番文句を言われたのは、「時間がかかりすぎる」ということでした。「時間がかかる時期に時間をかけなくてどうするんだ。余計にやったか らって、その分の金を要求するわけじゃない。時間がかかる塾が嫌なら、他を使ってもらうしかない」などと言い続け、地域との間に軋轢や冷たい関係が生じま した。子供の頃から嫌いだった学校の下に素読舎が置かれることを我慢できなかったと言い直しても同じです。今でも我慢できません。

 妻は、現在も地域の子供たちを相手に塾を続けていますが、塾長の私が、「もう、地域は相手にしない」と宣言し、「電話でレッスン」に、自分のレッスンの 場所を移しました。

 こちらのレッスンは、週一回、一回30分が基本です。生徒さんのほとんど全員が、電話での声しか知らず、一度も顔を見たことがない人たちです。

 週一回、一回30分というふうに時間を小さく限っても、生徒に力をつけられるだけの教材を作る技術は、地域の子供たちを相手にして身につけました。この 点では、冷たい関係になった以後も、地域に感謝しています。

 「電話でレッスン」を開始したのは、10年以上前のことだったと記憶しています。     



ホームページ記事候補  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月28日(月)04時16分24秒


中学レベルの英文法が身についていないという自覚のある人、大募集


 「大募集」の意味は、スカイプというパソコンソフトを使って、友達と一緒にそれぞれの家にいて、「スカイプでレッスン」を受けていただくことができる程 度の「小募集」ですが、これまでは一対一を基本にレッスンしてきましたので、「一対複数生徒」を基本にしていこうという現在の考えを反映させて、あえて 「大募集」にしました。要するに、募集してるってだけのことです。

 あたしら中学の頃はツッパッチャッテ、英語の文法なんか知らないよね、と友達と話が合っちゃうような3人までのグループを募集します。
 このレッスン形態は、お友達のそれぞれが家にいて、それぞれが自分ちのパソコンでスカイプというソフトを使ってできます。

 それとは別に、週に何度か合うような仲のいい友達だったら、一人の友達の家に週一回集まって、「手ぶらホン式」の電話を使って、一緒にレッスンを受ける こともできます。手ぶらホンというのは、確か所ジョージがコマーシャルに出ていた三洋の製品だったと覚えていますが、別に三洋のものでなくても、いくつか のメーカーから「手ぶらホン式」の製品は出ていると思います。受話器を耳にあててなくても電話ができる機種のことです。

 電話を使うのでもスカイプを使うのでも、中学レベルの文法が身についていない自覚のある人たちを相手にレッスンが可能です。ただし、一度にできるのは三 人までです。
 二人で使えば、レッスン代金は半分になります。三人で使えば、三分の一になります。

 素読舎の通信回線を使ったレッスンは、週1回、1回30分で、月額1万2千円です。二人で使えば一人6千円、三人で使えば4千円でレッスンが受けられま す。

 使う教材の名前は「小学生用英文法教材」です。
 あたしゃ、今、45歳だけど、「小学生用英文法教材」? 馬鹿にしてんのか? と思われるかもしれませんが、この教材は中学レベルの文法が小学生にもわかるように、素読舎が長年使い続けてきた「ABCD」という教材を、全面的に書き 直したものです。
 「小学生用」と名前にありますが、それにこだわらないで使っていただきたいものです。
 要するに、「小学生用」は、めちゃくちゃわかりやすいというくらいの意味にとっていただけば結構です。
 文法がわかるためには、おじさんもおばさんも小学生も区別する必要はないわけです。教材がわかりやすくて、英語がわかるようになればいいことです。

 スカイプの設定、手ぶらホンのマイクの指向性などの問題があります。
 スカイプは通信回線がADSLか光通信であることが条件になります。パソコンの基本ソフトはウインドウズXP以上です。スカイプを使えば、電話料金は一 切かかりません。
 手ぶらホンについては、あまり調べてないので、おすすめの機種が言えません。メーカーにご自身で問い合わせていただき、マイクの指向性があんまり狭くな い機種を選べば、何でも使えると思います。手ぶらホンの場合も、光電話、IP電話など、料金が全国一律の通信回線が必要です。(昔のNTTのぼったくり長 距離電話料金は今でも生きていると思いますので。)光電話などであれば、レッスンで使う電話代は月額で数百円です。お友達と分担して負担していただけば、 100円から400円くらいの料金で十分使えると思います。

 このレッスンを使われて、これはいけると思われた場合は、是非自分のお子さんに使わせてやって下さい。お子さんの場合でも、友達と一緒に、一度に二人、 三人のレッスンが可能です。

 あるいは、手ぶらホンを使って、お母さんと小学生二人の兄弟が同時にレッスンを始めるというような使い方もできます。

 私がアドバイスできる範囲はアドバイス致しますので、友達と二人で、あるいは三人で、あるいは家族で、中学レベルの英文法をやっつけようと計画された方 はお問い合わせ下さい。

 空き枠がない時もありますので、ひとまずはお問い合わせ下さい。

問い合わせ 掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs?BD=7&CH=5
      携帯電話  090−4181−5912     



どんでん抜粋  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月30日(水)03時22分19秒

語学の英語と生活言語としての英語は別物

(素読舎の決まり文句、語学論、英語どんでん返しのやっつけ方)


 語学をやることの意味は、イメージを鍛えていくことにあると私は考えてきました。コミュニケーションをやかましく言う前に、イメージを鍛えることが大事 なのだと言い続けてきました。
 国際化を言い、英語をコミュニケーションの道具ととらえてきた人たちの多くは、これまで、語学の対象としての言語と生活言語を地続きのものと考えてきま した。それは本当は地続きではありません。英語関係の本は非常に多いのですが、語学の言語と生活言語の違いに意識的な本はほとんど見あたりません。
 この二つの領域は本来まったく別のものであって、ひとまず生活言語から切り離された語学独特の領域というものがあります。
 日本人が日本に暮らしながら英語をやる場合は、あくまでも語学をやるのであり、語学の英語を生活言語と地続きだととらえないほうがいいのです。ひとまず は語学特有の領域で、意識的に激しく語学をやるべきです。そして、生活言語に渡ったときは、語学を忘れるべきであり、忘れなければなりません。生活言語で あるべき場面で、英語を語学の対象にすることは、相手にとって非常に失礼なことです。(略)
 語学の言語は、その「あふれ」として、生活言語に渡ることができますが、(略)本来別々のものを地続きに考えているコミュニケーション論者の声がやたら に大きい今は、その区別をはっきりさせることの必要も同時に大きいのです。     



どんでん抜粋  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月30日(水)03時40分9秒

知識は殺していい。殺せば生き返ってくる。

(村田君、「学習論」という項目をトップページに加え、その下に「素読」という項目を置いて下さい。トップページの「素読」という項目は削除せずにそのま まにして下さい。トップページの「素読」からも、「学習論」の二段目の「素読」からも、それより下の階層の記事が同じようにたどれるようにして下さい。)

(どんでん、学習論)

 英語が苦手な人たちに、今度は逆に英語をやっつけてしまったらどうだ、と言いたいのです。勉強だとか学習だとか上品に考えず、英語と喧嘩するんだと思っ てもらいたい。むしろ、英語を殺すのだと思ったほうがいいかもしれない。語学では、自分の外によそよそしくあるものを殺したとき、自分の内にそれが生きは じめます。殺すんだ、みな殺しにするんだと思ってかまわない。紙の上に印刷された英語などはじめから死んでいるといえばその通りですが、それを二重に殺 す。殺しなおすのです。殺しなおせば、自分の内に生きかえってきます。



どんでん抜粋  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月30日(水)03時52分51秒

中間、期末の試験に飼われてはならない

(どんでん、決まり文句、学習論)

 学校の成績は、中間試験・期末試験によっておおよそ決まります。この中間試験・期末試験とはどういう性質のものでしょうか。これらの試験では、出題の範 囲が決まっています。教科書の何ページから何ページの範囲を試験するぞ、という性質の試験です。
 こういう試験では、要領のよい、はしこい人が余計に点をとります。これが落とし穴です。「余計に」とった点は、けっきょく実力ではありません。安いペン キを塗ったと同じことで、じきにはげ落ちてしまいます。
 中間試験や期末試験ではよくできるのに、実力テストや予備校等の模試になると、まるで点のとれない人がいます。安いペンキがはげ落ちたのです。要領はよ いが、実力のない人です。
 逆に、中間や期末ではあまり点がとれないが、実力テストや模試で偏差値のはねあがる人がいます。これは実力派です。私の塾にもこういう人がいます。中 間・期末の試験と実力テストでは、学年三百五十人の学校で、二百番くらい順位が違う高校生がいます。実力テストをすると、二百人をごぼう抜きするのです。
 それでよいのです。最後にものをいうのは実力であり、成績ではありません。だから、成績のよい人も大学入試でたくさん落ちるのです。だから、予備校が大 きくなるのです。
 成績は気にするな。
 実力を気にしろ。
 成績と実力とは一致しない。
 中間、期末の試験に飼われてはならない。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 7月30日(水)04時04分46秒

空き枠状況は、ホームページのトップページで見れるようにして下さい。
規約等は、二段目以降のページで読めるようにお願いします。

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空き枠状況

月曜日、夜、8時20分〜8時50分
月曜日、夜、9時〜9時半


根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 7月31日(木)00時58分58秒

記事追加完了です。
ホームページ作成編集室の方の校正分、差し替えました。
ファイル、フォルダのアルファベット化完了。
ホームページビルダーで編集できるようになりました。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 1日(金)01時32分40秒

追加記事完了等の連絡は、編集室の方にお願いします。



東大に受かる程度の頭  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 2日(土)05時12分45秒

(村田君、どこへ収めればいいか迷います。ひとまずおまかせします。)

 世の中に頭が悪いという言い方がありますが、これは練習と鍛錬が不足していることと、それが原因で、自分で自分をあきらめる癖がついていることを意味す る場合がほとんどです。塾という仕事をやってきてわかったことですが、東大に受かる程度の頭は世の中にごろごろしています。さまざまな事情がからみ、それ らの頭が受験に特化されないだけです。


二百五十人中二百三十九番  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 2日(土)05時32分10秒       通報
       高校三年になってから大学へ行きたいと思ったのですが、成績は三流受験校の学年二百五十人中二百三十九番でした。(略)頭がよいにしろ、頭 が悪いにしろ、頭というものだって鍛えれば変わるはずだから、鍛えてみることにしよう。一年かけて、ちゃんと実験し、実験結果を出してみようと決めたので す。
 学校の先生に「お前はどこを受けるのか」ときかれ、「どこも受けません。浪人します」と答え、卒業するとすぐに自宅浪人生活に入りました。(略)なにも ろくに考えたことのない家畜の頭が急に動き出したときの驚きというようなものを経験しました。むごたらしい場面もいくつかあったが、それでいいのだという 自信がありました。
 三流受験校二百五十人中二百三十九番が、およそ半年で、代々木ゼミナールの模試で二万五千人中三番になりました。自分でびっくりしました。



こういうところで差がつく  投稿者:村田  投稿日:2008年 8月 2日(土)23時01分20秒       通報
      塾生の一人(中3)が、長野高校の体験入学に行ってきました。
(長野高校は、長野県の進学校としては一応3本の指に入る学校です。)
英語の授業を1時間ばかり受けたそうです。
ジョン・レノンについての長文を読んで、先生に訊かれた問題に答えていくという授業だったらしいです。
(長野高校でもこんなことやってるんですね…当ててくの)
彼によれば、なんでこんな簡単な問題にみんなてこずるのか、わからないのか、という感じだったそうです。
まあ長野高校あたりを受ける人たちは、学習塾や家庭教師なんかについて、かなり勉強しているんでしょうけど、やっぱり問題集を解くことばっかりやってるか ら、長い文章にあたると、頭から読んでいくことができず、苦戦するのでしょう。
こういう根本のところで、素読舎の塾生との差が出るんですね。
学区外からの応募は、実技を含めた全科目の評価が満点でなければならないらしいので、志望校からは外したようですが、意外なところで自信がついたようで す。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 3日(日)02時20分31秒

戸倉分室の生徒の記事ですが、こういうのも、素読舎のホームページに残していくといいと思います。
トップページに、戸倉分室という項目を置いてみて下さい。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 3日(日)02時36分58秒

酔余記事。

「こういうところで差がつく」の「差がつく」ですが、こういう言葉を使うことを私は長年にわたって、躊躇し続けてきました。
強烈な羞恥心が腸捻転を起こすみたいになるのです。
で、ですが、

素読舎に欠けていたのは、こういう言葉なんですね。
だから、戸倉分室の記事には、この言葉を残して下さい。



無料お試し期間  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月 6日(水)01時03分4秒

  素読舎「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」
 無料お試し期間三ヶ月

 「小学生用文法教材」を作った記念に、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の無料お試しが使えるようにしました。

 対象は小学生3年生以上です。
 小学生が三人集まってもらった場合に限ります。(学年が違っても構いません)
 父兄の中にパソコンがわかる人が一人いていただくと助かります。
 「手ぶらホン式電話」かパソコンソフトの「スカイプ」を使ってレッスンします。

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小学生にも英文法がわかる

 文法なしの小学生英語は、あぶはちとらずです。
 文法なしの小学生英語をやっても、決まり文句しか言えるようになりません。
 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。

 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話  090−4181−5912     



大学合格対談  投稿者:村田  投稿日:2008年 8月14日(木)02時36分29秒

以前、大学合格お祝い対談というパンフレットを出していました。
まだ電子テキスト化していなかったので、テキストに起こしてみました。
(対談時に、本人にも、webを含め、公開することを了承してあるものです。)

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長野南高校→名古屋大学工学部物理工学科 合格お祝い対談

素読舎で英語をやって突破口を作り、長野南高校から名古屋大学に合格した田中陽平君に、体験を語ってもらいました。(聞き手 村田晴彦)

村田 長野南高校から名古屋大学に合格したわけだけど、何学部?
田中 工学部の物理工学科です。
村田 素読舎で英語を始めたのはいつごろなのかな。
田中 高1の3月の終わりに入って、高2から本格的に始めました。
村田 そのときの英語は、どんな感じだったの?
田中 始めた時はぼろぼろです。かなり激しくやっても、高校卒業の時で、偏差値がやっと50に届くか届かないかぐらいだったんですよ。
   でも、浪人になってから、5月の模試でいきなり偏差値60くらいになって。12月に一番最後の記述模試があって、英語の偏差値が67でしたね。
村田 それはどこの模試?
田中 代ゼミです。そのときに、物理も69だったんですけど、化学があまり伸びなかった。だから、化学をカバーするために、英語と物理で柱を作っていまし た。
村田 英語と物理がよかったんだ。
田中 名古屋大学の場合、英文自体はそれほど難しくはなかったんですけど、記述量が多くて、下線部和訳だけでも6〜8個くらいあった。それから説明問題と いうのがありまして、それが2問ありました。英文の内容を日本語で60字くらいにまとめろ、というものです。それから英作文、文法問題があって、全部で 90分。すっごくしんどかったけど、英語は一読した感じで、楽だと感じました。
   英語をやり始めた時は、読みながら日本語に訳していくような感じでしたけど、だんだんそんなことしなくてもわかるようになったので、本番では楽だと 感じました。
村田 英文を読んでいくときに、漢文みたいな「返り読み」をしないで、文の最初から読んでいくということ?
田中 そうですね。もし途中でこんがらがっても、前のパラグラフから読み返すだけで、単語をいちいち日本語訳したり、文の途中で目を右から左へ動かして読 むことはなくなりました。だから、名古屋大学みたいに英文の量が多い試験には、よかったと思います。
村田 高校在学中にも、そういう感じはあったのかな。
田中 ないですね。
村田 やっぱり浪人からなんだ。浪人の、いつぐらいからそういう感じになってきたの?
田中 5月6月頃でも、センター試験程度のものは、そういう読み方をしていました。小説なんかはきつかったけど。夏を過ぎたら、分野を問わず、返り読みを しないで読んでいました。
村田 高校2年からだから、2年くらいでそういう読み方ができるようになったんだね。俺、田中君を見てて思ったんだけど、進み方が早かったよね。
田中 現役の頃は、それほどでもなかったと思います。予習もあまりしていなかったし。卒業する頃に、「基礎問題集」の450くらいでしたし。
村田 じゃあ、「700選」に入ったのは浪人してからなんだ。高校の時には、素読舎の標準的な練習をやってたんだよね。それで、浪人になってから、「技法 グラウンド」に入ったんだよね。
田中 高3の終わりに、塾で受験休みみたいなのをもらったんですよ。それで、1月から2か月くらい塾には来ていなくて、3月の終わりに来てみたら、「技法 グラウンド」が始まっていた。
   初めて見る光景に、えー!と思っていると、『田中もやれよ』っておじさんに言われて、訳もわからずやって…という感じでしたね。
村田 最初にやったとき、「口のまわりが痛くなりましたよ」と言ってたけど、「技法グラウンド」を初めてやった時、どうだった?
田中 長くやっていると、ほんとに口がまわらなくなりましたね。口の筋肉がくたくたになる。月曜日の『無料パソコン教室』でキータッチの練習をしている時 の指みたいに。なにをどうしても舌をかんじゃう、みたいな状態になりました。
村田 最初の頃は相当苦労したね。
田中 秋頃でも、長い時間やってると、きつかったですね。ほんとに予習をきっちりやっておかないと、文を見ないで5回言うなんていうのはなかなかできな かったので、平日も練習できる時はできる限り練習したし、土日は午前もずっと練習している状態でした。
村田 浪人になってから素読舎の練習の予習を始めたみたいだけど、予習はどんな感じでやってたの?
田中 まず、英文を暗唱できるようにしてから、5回言えるようにする。練習の時に5回できたからって、本番の時にはダメなことはあるから、10回くらいは 回せるようにしてから塾に行っていました。
村田 時間はだいたいどのくらいかけてたのかな?
田中 集中力によりますね。夏だと、ダラダラしちゃって、集中しないで一日中やってる時もあったし…とにかく、そんなに簡単に片づけられることではありま せんでした。
   最初の頃、ちょっとしたところでつっかかっても「はい、だめ」って言われて、「これを続けていていいのだろうか。これを1年間続けていて果たして成 果が出るのだろうか」と悩んだ時期もあります。LとRの違いとか、Tが重なるところで、前のTは発音しない、とか、そういうところのいい間違いで練習全部 やりなおし、っていうことで。これを続けても駄目なんじゃないかって。
村田 悩んだ?
田中 「これはマズイんじゃないか」と(笑)。でも、一ヶ月過ぎたら、つっかかることもなくなったし、あんまり「だめ」って言われることもなかったような 気がします。で、いつの間にかそんなことも忘れて、ひたすら練習していました。
村田 根石さんは、「空っぽの電池を作る」っていう言い方をしてるんだけど、聞いたことある?
田中 はい。
村田 浪人の時はそういう感じでやっていたのかな。まずは意味は考えなくてもいいから、音作りをする。意味は考えちゃうと思うけど。
田中 どうやっても構文などの文法事項は頭を離れなかったけど、それは最初だけで、一度ちゃんと口が動いて読めるようになっちゃうと、意味をともなって文 として読めるようになったと思うんですけど。
村田 俺は「月曜インプット教室」の生徒でもあるけど、そこで練習しているときって、LとRの区別とか、Wは口をとんがらかすんだ、ということに気をつけ て読んでいると、文が頭に入るんだよね。正確に言うと、「こういうことに気をつけるんだ」と頭の中で思うんじゃなくて、文字を見たら条件反射みたいに口が 動くようにしちょうと、文が頭に入ってくる。
田中 ああ。僕の場合は、THの場合でも、発音に気をつけなかった時はwithを「うぃず」とかやってたんですけど、それをちゃんと発音するように直した ら、あとは何を読む場合でも正しく口を動かそうとしてました。反射的にそう読めるようにしました。注意されたポイントは何を読む場合でも使っていきまし た。
村田 田中君は、英文を見ないで「技法グラウンド」をやった最初の人なんだよね。あの時、俺、そばにいたけど、田中君、いつもの練習やってて、「それ じゃ、教材見ないでやってみるか」って言われたでしょ。あのときどうだったの。
田中 あのときも予習やってあって、暗唱ができるようになってたから、普通にできたって感じで、予習してなかったらまったくできなかったですね。
村田 最初から結構できてたよね。あれ、すごいな、と思ったよ。
   ところで、「長文読解」についてなんだけど、かなりのスピードで進めていたよね。1日でどのくらい進んでたの?
田中 始めて一ヶ月くらいで、1日3枚くらいどんどん回せるようにして、それから6枚くらいにしていた時期もありました。
村田 普通の人の2セット分ってことだね。
田中 はい。その頃は、センター試験まであと一ヶ月、という時だったんで、2、3週間くらい、2セットやってた時があります。
村田 長文も「技法グラウンド」みたいにやってたのかな。
田中 あのやり方ですごく練習しました。
村田 あれは一番最初が苦労すると思うけど?
田中 そう思います。


田中 宅浪してると、プライドみたいなものができちゃって、私大に行くなら早慶だな、と。でも自分は国公立一本で行こう、と思いました。
村田 宅浪のプライドってどういうの?
田中 予備校に行ってる友達の話を聞くと、「ここを受けたいんですけど…」と言うと、予備校の進路相談の先生みたいなのが、「だめだよ」と言うらしいんで すよ。宅浪だと、そういのが一切ないから、自分を過信できるというか(笑)、できるできる、と思って突っ走れるというか…。
村田 でも、そういのがまた、良かったかもしれないね。変にコンピュータでデータ検索して「模試の結果がこの位だから、この学校なら大丈夫だよ」とか言わ れるよりさ。試験ってミズモノだし。
田中 本当は、京大を目指していたんですよ。駿台とか河合の実戦オープン模試があって、入試即応の問題をやったりもしてたんですよ。誰にもそういう情報は 見せずに(笑)
   友達には最初の頃、「俺は京大に行く!」と言ってたんですけど、途中でこれはほんとに無理だと思いました。英語にしてもちっとも解けない。
村田 そう?
田中 そうなんですよ。英語は和訳と英作しか出ない。読む量もそんなに多くないけど、自分では難しく感じて。これはいけない、と。
村田 数学なんかも?
田中 そうですねぇ。難しいですよ。名古屋も、1問も完答はできなかったんですよ。4問で120分だから、全部手をつけようと思ったら30分づつ配分でき るんで、得意な人にとっては得点できるらしいんですけど、1個はまったくわからなくて、もう1個は限りなく完答に近いところまでいったんだけど、完答には ならなくて、他の2つも適当で、あ、こりゃやっちゃった、と思って、受験の後、名古屋は落ちたかな、と思ってました。

村田 根石さんが、受験が終わってから、模試の結果を見せられた、と言ってたけど…。
田中 ああ、そこで初めて見せました(笑)こんなんでしたよ、って(笑)
村田 終わってからなんで見せるんだ、と言われてたね(笑)
田中 代ゼミの最後の模試っていうのがあったんですが、それでも名古屋はB判定で、センターの点に、二次の点を足して合否を決めるんですが、記述だけで考 えるとB判定で、センターだけで考えるとB判定で、ドッキングすると、ぎりぎりBぐらいで…。
村田 判定って、そういうもんだよね。
田中 でもそこは、「いや、だいじょぶさ」と思って(笑)
   何かがあるんですよ。もし自分が予備校に行っていて、その時期にD判定が出ていたら、絶対に名古屋大学を受けていなかったろうし、もっと無難なとこ ろを受けていたかもしれない。
村田 物理はもともと得意だったわけ?
田中 いや、それは今年になってからですね。英語以外は全部独学です。
村田 孤独にやっていたんだ。
田中 孤独ですよ。孤独との闘いでしたね。
村田 宅浪はよかったですか?
田中 宅浪はいいですよ。最初はきついけど、後半は苦にならなくなりましたね。早起きが大変なだけでした。
村田 早起きしてたんだ。
田中 後半は全然ダメだったけど。生活のリズムを崩さないでどれだけできるか、とか、そういうところがポイントだと思います。あと夏の暑さとどう戦うか (笑)
   よく量より質っていうじゃないですか。自分も最初そう思っていたんですけど、だんだん甘えが出て来ちゃって、夏の間、勉強時間が2時間だった時が あったんです。さすがにこれはどこにも行けなくなる、と思い、とりあえず10時間を目標にしてやっていました。だから10時間は確実にやっていました。
   物理は、東大京大レベルの問題しか載っていないような問題集をやってました。
村田 それ、なんていう本?
田中 ニュートンプレスの『難問題の系統とその解き方』という本なんですけど。例題が115問あって、それを最初から最後まで何度もやっていました。 115問を4回かな。例題を1問解くのに1時間かかっちゃうような恐ろしい本で、4回やった後でも30分くらいかかっちゃいましたが。
   よくZ会は難しいっていうんですけど、友達がZ会に入っていて、その友達に問題を解かせてもらったんですけど、英語と物理は一番難しいコースの問題 が解けちゃったから、やらなくてもいいかな?と思いました。
   英語は、Z会の「速読英単語」っていう参考書を自分でやっていました。これは、1ページに200語くらいの英文があって、その隣のページに訳があっ て、その後に単語があるんですが、それを声に出して読んでましたね。とにかく英語は声を出して読んでいました。素読舎のやり方です。
   塾では、塾生で、現役の人いたじゃないですか。あの人が自分より練習が先に行っていそうで、そっちの方をチラ、チラ、とうかがっていたりとか、あ と、浪人始めた頃は荒井さんが自分より先に行ってて、「あ、まずいまずい」ってすごいあせって、それが危機感を感じさせましたね。
   だって荒井さんて、2、3年下じゃないですか。それでこんなに先に行かれていたら、ってすっごい焦ってましたよ。
   で、ペースを考えたら、絶対まずい、間に合わない、「700選」も終わらないかもしれない、と思って、必死でしたね。
村田 「700選」は終わらせたんだよね。
田中 はい、終わらせました。だから、「長文」に集中できて、1日で6枚進めることもできたんだと思います。でも、自分の中では「長文」は全部終わらせる はずでしたから、残念です。
村田 どの位いったんだっけ?
田中 150までは行ってました。入試直前になって、「復習がおろそかになっちゃうから、新しいのはやらないで復習だけやりたい」、と言ったら、おじさん に復習だけでまわすほど量はない、と言われて、ずっと、新しい長文を進めていきました。

村田 週に2回来ていたのがペースメーカーみたいになっていたっていうのもあるのかな。
田中 そうですね。この1年間で、勉強時間のうち、英語がかなり占めていると思いますよ。
村田 どのくらい占めてたの。
田中 4割くらい占めていると思いますよ。半分とは言わないけど。
   国語が自分にとって爆弾で、現役の頃も50点くらいで、浪人になってからもあまり上がらなかったんですよ。それで夏くらいになってから、おじさんに 相談してみたら、「(国語は)やめちまえ」と言われて、それでやめちまおう、と思って、ほんとに国語の勉強はやめちゃったんですよ。それから国語には一 切、手をつけませんでした。
   ただ、一ヶ月くらい前になってから、「さすがに全くやらないのもまずいだろう」と、それまでに受けた模試の問題を、読み返したんです。問題を解くわ けではなく、文章に慣れるためにただ読む。それで、本番では、平均点くらい取れて、なんとかしのげた、と。
   これについては、素読舎で、日本語の本を読む、っていう練習を浪人の最初の頃やったんです。
   これは、おじさんの前でつっかからないように読む、という練習なんですが、別に金をとるわけでもないし、終わらせなければ帰れないわけでもないか ら、ということでやったんだけど、自分は3回くらいでやらなくなってしまいました。
   この練習は、意味があったんだと思います。直前の一ヶ月、自分で読む練習をして、結果がちゃんと出たから、もっと続けていればもっと何か起こったん じゃないかと思ったりもします。


村田 これだけはしゃべっておきたい、っていうのはないかな。
田中 大学に合格してから、月曜日に素読舎のパソコン教室に行ってキータッチの練習したんですけど、月曜日は英会話もやってるじゃないですか。隣であの練 習の時の読み方とか声を聞いていて、驚きました。
   ああ、自分はこれに比べたら練習足りないな、全然まだだな、って痛感しましたね。ああ、これには遠いなって。とにかく、言葉のやりとりの速さにびっ くりしました。
村田 田中君は現役の頃も根石さんと対談やってたけど、あの頃はアルファベットの順番も知らなかったって言ってたじゃない。すごくがんばったと思う。
田中 おじさんも言ってたんだけど、今の自分の英語は、きれに積んであるんじゃなくて、どーんどーんって積んである知識だと思います。だから、メンテナン スが必要だと。これから細かく修理していかなくちゃいけないと思います。
   予備校へ行ってたやつでも、文系の人は1年やって英語が好きになる人はいたけど、理系の人は最初から捨ててかかっているから、素読舎を使ったのが、 その点よかったと思う。
   自分の中では、新しいものを取り込んでいこうという気持ちがあります。「電話でレッスン」をすぐやるか、といったらきついですが、いろんなことを続 けていきたいと思います。     


村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月17日(日)02時58分21秒

田中の記事の村田君の前書きに、田中がチョウナンから名古屋に入っただけでなく、京都大学の大学院に行ったことも書き加えてもらうといいと思う。
チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 8月19日(火)17時07分15秒

>京都大学の大学院
了解です。

>チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。

私が浪人している頃、素読舎に通っていたT君から、「どんでん」の前半部分のもとになった「英語のやっつけ方」を読ませてもらった時みたいに、受験生に勇 気がわくなら、すごくいいです。     



過去ログ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月10日(水)06時14分44秒

12600番まで収録しました。

http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/



2008年8月21日テープ起こし分  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)01時33分11秒

(3)

読書の言葉


村田 「能動性」とか「受動性」ってことで話していたことって、俺は、日本語のことを言ってるんだと思っていたんですが。
根石 いや、そうじゃねえかもしれねえよ。コーヒー哲学で話してたときは、語学の言語とネイティヴ言語との区別なんかなかったな。
村田 「聞き言葉」と「読み言葉」の世界ってのは、語学の世界じゃねえかって話だったという気がするんですが・・・。
根石 そんなこと言った覚えねえなあ。「読み言葉」なんていっても、何を「読み言葉」って言ってるんだっていう疑問はある。俺にとっては、「読み言葉」っ てのは読書の言葉だよな。読書の言葉って言ったって、とりとめがねえというか、どこに境界線があるんかわからねえけど。新聞読んでるのは読書じゃねえのか とかさ。新聞の折り込み広告読んでた場合、それは読書か、とか。まあ、普通そういうのを読書とは言わねえよな、とか。千曲市に溶融炉を作るってんで、建設 地検討委員会ってのができて、それの議事録持ってきて読んでる場合、まあ、そんなのは読書じゃねえよな、とか。じゃあ、どこから読書が始まるんだっていう 問題がある。娑婆とか世間とかに流通している観念として、「これが文学です」っていうのがある。新潮文庫ですとかさ。ある出版社のある出版部門に収録され てるものを読めば、読書してるっていう気持ちになれるとかさ。その辺がどうなんかね。新聞の折り込み広告読んでさ、黙って読んで、ポイと投げ捨てるってこ とはしょっちゅうあるけど、それをある人が読んでさ、げらげら笑い出してさ、三分間笑いやまなかったとか、三分間考えこんでたとかいうことがあったとし て、その人は何を読んだのかとか、どんな読み方したのかとか考えると、もしかして、その人は読書しちゃったんじゃないかってって疑えるわけだ。
 逆にさ、文学のブの字もわかんねえ十代後半の女の子がいたとして、ブの字なんかわかんなくても、その時代の空気にはしっかり染まっていて、若さの特権で 好き勝手やることを謳歌してるとする。それがたとえば、夏目漱石の「道草」を読んだと。我慢に我慢を重ねて最後まで読み通したと。(笑)「なあんにもわか んない、なんのこと?」っていう読後感想を持ったと。「なんでこんなこと書く人いるの?こんなつまんないもの」って言ったと。これ、読書したことになるん かな。新聞広告の折り込みを読んでポイと投げ捨てた人と違うのは、我慢したことだ。なんで我慢するんかわかんねえけど。
村田 文学っていう・・・。
根石 そうだよ。漱石の書いたものが文学とされているからだ。「読み言葉」って言った場合に、俺の中でイメージされるのは読書の言葉だっていうのがあるけ ど、じゃあ、「読書」って何なんだっていうのがあるわけだ。新聞広告を読んだときの広告の言葉ってのは読書の言葉にはならねえのかよ、とかさ。漱石の「道 草」なのに、なんで「なにこれ?」とか言われちゃうんだ?とかさ。読書とそうじゃねえものとの境界が定めがたいってのがある。読書っていう場合に、俺が考 えるのは、読んでる言葉が生きてるとか、その言葉を人間が生きてるとか、そういうことが成り立てば読書だろうなと思う。その言葉で生かされているっていう 場合だってあるわけだ。まあ、あらかたの折り込み広告や建設地検討委員会の言葉なんか読んでも、その言葉を生きるなんてことはしない。頭の中で何か動くだ けで、それを心が受け止めるとかいうようなことはない。
 漱石の「道草」読んだミーハーねえちゃんが、「何これ?」と言った場合でも、字は読んでたわけだけど、多分、イメージが動かないのか、イメージが作れな いんじゃないか。文に沿って、イメージが動いていけば、「何これ?」って言わないんじゃないか。
村田 ああ、そういうことか。
根石 読書というものが成り立つ境界線は、それが決めるんじゃないのか。「読み言葉」が読書の言葉として成り立つのを決めるのは、イメージってものの動き がじゃないのか。話を元に戻すけど、「読み言葉」って言葉で俺が思うのは読書の言葉だってのは、俺の事情にすぎないわけだ。イメージなんか動かなくても、 読書なんかしてなくても、ただ字を拾って、それをぶつぶつ言ったり、はっきり声に出して言ったりしていても、それでも客観的には、「読み言葉」なわけだ。 その場合に、意味なんか何もとれていなかったり、心が動くなんてことはまるでなかったり、違うことを考えていたりしても、字を拾って、その通り口に出して 言っていたりすれば、字を読むってことは成立してるわけだから、「読み言葉」として成立してしまう。読書の言葉ではないけど、「読み言葉」としては成立す る。これが成立する地点が、「素読」ってものが成立する地点なんじゃないか。
 ミーハーねえちゃんは、多分「道草」を我慢に我慢を重ねて一人で黙読するんだと思う。それでイメージが動かなければ、一冊読み通すのはうんとつらいこと になる。だから、「何これ?」って悪態もつきたくなるんだろう。
 「素読」ってのは、基本的には一人でやるんじゃなくて、コーチがいて、コーチの真似をして子供や生徒が声に出して読むわけだ。その場合に、意味をとると か、イメージを動かすとかいうことは、素読では強制されないし、要請もされない。これ、何のためにそんなことをするのかって言えば、ひたすら「邪魔を取り 除く」ってことをやってるんだと思う。別の言い方をすれば、イメージが歩けるように道普請をやってるわけだ。素読がやることっていうのは、後でイメージが 動くようになるのに、邪魔な石ころを取り除くとか、でこぼこを平らにするとか、道を整えて準備してるんだ。
 素読を有効だと考えることは、ひとつの「準備論」なんだよ。それで、イメージを自分の中で動かすのは、素読したテキストそのものでなくてもいいわけだ よ。「すらすら能力」というか、ある一つのテキストをすらすら読める能力に厚みができれば、素読で扱ったものじゃないものを読んだってすらすら読める。そ の「他のもの」とか「他のテキスト」こそが、その人にとって本当に大事なテキストになったりすることも起こるわけだ。だけど、そのテキストに出会うために も「すらすら能力」は使ってるはずだ。その大事なテキストに出会うことを、素読が「準備」するってことは言えるはずだ。素読ってのは、どこまでも「準備」 なんだ。準備だってことが大事なんだと思う。素読がオールマイティにいろんなことができるって考える必要はない。だけど、「準備」だけはしっかりやってく れるととらえればいいと思う。いつも通りここで学校の悪口になるわけだけど(笑)、その「準備」を学校はやらない。
村田 それをやってないってことがひとつあって、もうひとつ、「準備」にどれだけ手間がかかるかってことを世間は評価しないですね。
根石 評価してないっていうか、そこに考えが及んでない。関心を向けさえもしない。だから、日本の近代以後、素読なんて言ったって、冷や飯食うだけだ。だ けど、俺の塾の生徒たちに学年トップの花盛りって時期があった。塾生がかわるがわるいくつもの学校の学年トップをとってきて、庭に種蒔いておけば、早春の 花、春の花、春の終わりの花、夏の花、秋の花っていう具合に、次から次ぎへと花が咲くみたいに、素読者の塾生がかわるがわる学年トップをとってきた時期が ある。あれは、どう考えても、素読の「準備」の力のせいだとしか思えない。その頃は俺も冷や飯食ってたわけじゃないけど、だけどなんで娑婆と俺が折り合わ ねえかっていうとさ、要するに何もわかっちゃもらえねえんだってのがあってさ、とにかく素読ってものをわかってもらえない。東洋的な方法って言ったらいい のかね、一種の道教的な方法だと思っているんだけど、いくら成果を出しても方法自体の価値をわかってもらえない。素読は、東洋的身体論だとも思うし、東洋 的学習法だとも思うけど、世間には方法自体はまるでわかってもらえない。それに対するいらだちってのがあったな。こんなのは医者の知識みたいに閉じたもん じゃなくて、眼目さえわかれば誰にでも使えるはずなのにって思っていたから、いらだちになったんだろうな。     



2008年9月11日テープ起こし分  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)01時51分59秒

  境界線
 ジャズと道教

(4)

素読っていうのも、道教的な方法なんだろうと思うんだけど、道教というかタオってのは、けっこう日本に入っているんだろうと思うんだ。日本で「道」って字 がつくものは、日本人が道教的なもの、タオに根元を持つものだと認識したものじゃないのかな。剣道、柔道、弓道、華道、茶道みたいに、「道」のつくものは いっぱいあるわけだ。素読道っていう言い方はないけど、俺は、素読も元はタオじゃねえかと思っている。もしかしたら、剣道、柔道、弓道、華道、茶道より も、もっとずっとタオに近いんじゃないかと思っているんだ。剣道、柔道、弓道、合気道は体を動かして汗をかく点で、直接的にタオの身体論と直結するんだろ うけど、華道や茶道は汗だくだくになってやるもんじゃない。華道や茶道がなぞるものは、やっぱり東洋的な自然だなと思う。茶道で茶室に活ける花ってのは、 元々は花屋から買う花じゃなくて、野から摘んできた花だ。雑草の花なんかよく使ってるんだと思う。華道は、ちょっとわからねえけど、枝ぶりみたいなものを ひんまげて、ひんまげたものがもっと自然なんだというイデオロギーなんじゃねえかな。このひんまげ方は、盆栽のひんまげ方とどこかでつながっている。茶道 は自然界に咲いてる野草の花をちょいと一部分いただいてきて茶室に活けるけど、華道や盆栽はそこんとこがかなり不遜で、ひん曲げた後のものを自然だとして るんだと思う。
 で、なんだっけ?(笑)
 素読ってものがねらってるのも、こういうことだけやっとけば、後は自然に何かが生じるよっていうことなんだ。落ち葉拾ってきて水やって引っかき回しとけ ば、勝手に発酵して熱が出て、いい土になるっていうようなもんだろうと思う。だから、道やタオってのは、「人事を尽くして天命を待つ」みたいなこととつな がっていて、人間が何もしないわけじゃねえんだ。落ち葉は拾ってくるわけだ。無為自然なんて言うから、ほんとに人間のやることはゼロでいいみたいに思われ がちだけど、人間がやるべきことはやる。後は、勝手に自然がやってくれるから、自然にまかせとけばいいみたいな考え方だ。無為自然の無為ってのは、人間が やるべきことをやった後のことなんだろう。
 これ、結果から見れば、いつのまにかよくなってるっていうふうに見える。素読舎塾生連続学年トップの花盛りみたいなことはそういうことが起こっていたん だと思うんだ。
 道教の「道」ってのは、人の道じゃねえ。天然自然が歩む道なんだ。東洋では、その天然自然の道にならって、人の道ってのもできたんじゃないのかね。その 時に使われた方法の一つが素読じゃないかと思っているんだ。
 今や、茶道も華道も腐れどもばっかがやってるけどな。家元制度の中で世渡りしてるやつらは、みんな腐れどもだと言っていい。素読は日本の近代ではほとん ど死に体だったから、腐れをまぬがれたという点ではよかったんじゃないか。
村田 日本の武道一般に「型」ってのがありますよね。素読も原理はそうだと思うんです。
根石 「型」っていうけどさ、「型から入らなきゃいけない」っていうのか、「型から入ってもいいんだ」というのか。俺は、今となっては、「型から入ってい いんだ」という考えだな。アメリカ由来の考え方みたいなのがさ、現代の日本では標準というか準標準になってるよ。その中へ「型」っていう考え方を置くと さ、それに対してアメリカ人が反応するみたいに日本人が反応するようになっちまってるんだよ。「型」なんてのは、形式にすぎなくて、何かの形骸だ、とか 「生き生きとしてない」みたいな反応をする日本人はたくさんいるわけだ。もともと「死」を繰り込んである方法がさ、「生きてない」なんて言われたって、 「それ何ですか?」みたいなもんじゃねえか。(笑)そういうアメリカ人みたいなことを言いがちなのが、戦後民主主義者どもだよ。
村田 道教は中国のどのあたりで生まれたんでしょうね。
根石 中国も南と北があるからさ、それで、まるで文化の質が違う。その境目あたりに生まれたいいものが道教じゃねえかというふうに思ってきたんだけどさ、 まったくのあてずっぽうだけど。南だけでも駄目で、北だけでも駄目で、両方が出会わねえと、たおやかで引き締まってるっていう質は生まれないんじゃない か。
村田 そういう女っていいですね。(笑)
根石 そうだよ。(笑)
村田 女の話じゃないんですけど。(苦笑)
根石 ジャズだってそうじゃねえか。ジャズだって、ただ速けりゃいいってもんじゃねえだろ。速くてぎすぎすしてたんじゃ、てめえそれでもジャズかってこと になるし、ただぐたぐたしてりゃいいってもんでもねえ。ジャズは道教と関係あるのかねえのかってことになりゃ(笑)、たぶんねえだろ。(笑)だから、「境 界線」だよな。南と北の境界でもいいし、ヨーロッパ起源のアメリカ文化とアフリカの文化との境界でもいいし。いつも何かが生まれてくるって場所は「境界」 なんだろう。ジャズだって、境界線に咲いたもんだと思うんだ。
村田 そうですね。
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ホームページ更新しました。  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月14日(日)00時41分57秒

素読舎HP
http://sodokusha.kinugoshi.net/

「語学論」に「対談」を追加しました。
お読みください。



ビラ草案  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月20日(土)21時51分59秒

素読舎「電話でレッスン」 「スカイプでレッスン」
無料お試し期間三ヶ月


 「小学生用文法教材」を作った記念に、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の無料お試しが使えるようにしました。

 対象は小学生3年生以上です。
 小学生が三人集まってもらった場合に限ります。(学年が違っても構いません)
 父兄の中にパソコンがわかる人が一人いていただくと助かります。
 「手ぶらホン式電話」かパソコンソフトの「スカイプ」を使ってレッスンします。

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◎小学生にも英文法がわかる

 文法なしの小学生英語は、あぶはちとらずです。
 文法なしの小学生英語をやっても、決まり文句しか言えるようになりません。
 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。


◎人の練習を見ることは、とてもよい練習
 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材を、塾の方でも使うようになりました。
 新しい小学生用の文法教材は、上に書いてある5つのポイントから、小学生にお勧めの教材です。
 塾の方では、テキストの使い方が少し違います。塾では、先に進んでいる塾生が、後から始めた塾生の練習を見ます。
 人の練習を見るには、まず、
 @間違っているところ、つまずいているところ
 に気付けなければなりません。これは塾できちんと自分の練習をやっていれば「違和感」として、気づくことができます。
 次に、
 A間違っているところを的確に指摘し、直すこと
 ができなければなりません。これは、塾のコーチに自分が言われてきたことを思い出して、言うことができれば良いのです。発音についての指導は標準化され ています。
 最終的なチェックは、塾のコーチがしますので、ご心配は無用です。

 人の練習の面倒を見ることによって、漫然とやってきた人は、自分の練習に足りないところを見つけるでしょう。
 また、今まで塾のコーチに言われて来たことを、自分で言葉にして人に伝えることによって、言われてきたことが実はどういうことなのかを、深く知ることに なるでしょう。
 人の練習を見ることによって、自分のやっている練習がどういうものかということを、とらえ返す機会にもなるでしょう。
 このように、練習を見るということは、英語の力がつくのはもちろん、他の場所では得ることのできない語学の経験となります。


 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話 090−4181−5912     



ビラ草案2  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月21日(日)01時48分5秒

根石さんへ

勢いを忘れないうちに書きました。
これをもとにまた書き直します。
前のビラ草案の「◎人の練習を見ることは、とてもよい練習」の部分と差し替えです。

========================
◎新しい教材について。

素読舎はこれまで、素読的方法のためのたくさんの教材を作ってきました。
世に「音読」用のテキストはたくさんありますが、文芸作品の断片を集めただけのものばかりです。
素読舎の教材は全く違います。
・素読的方法に最適化されている
・初心者用から上級者用まで体系化されている
生徒さんの中には英検1級保持者・高校の英語の先生・一流企業の海外営業の方もいます。今回、新しく作った「小学生用文法教材」は、そういった生徒さんが 使っている教材と同じ作り方で作ってあります。
有名大学に合格した塾生も、今にいたるまで大勢いますが、彼らの使っていた教材も、基本は同じです。
今回の新しい「小学生用文法教材」は、30年近くに渡る経験と実績に基づいた、素読舎の教材の集大成です。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月22日(月)23時42分55秒
      まだ、ビラ草稿に手をつけられません。
少し時間を下さい。



英語塾を開きたい方へ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)02時34分4秒
      小学3年生から使える英語教材を鋭意作成中です。
この教材と、この教材をどのように使うかを学んでいただけば英語塾を開くことができます。

二人あるいは三人の間をスカイプでつないで「スカイプでレッスン」を受けて下さる生徒さんをご紹介下さい。ご自分でも、スカイプを使えるようにしておいて いただく必要があります。私のレッスンのやり方をスカイプで参観していただきます。後に、ご自分でレッスンしていただきます。
さらに後に、塾での教材の使い方と「スカイプでレッスン」での使い方の誤差は、千曲市までおいでいただいて素読舎を参観していただくことで埋めていただく ことができます。

現在、空き枠は二つのみです。
お問い合わせは、この掲示板にお願い致します。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)02時51分22秒
      チラシの案です。

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変貌する塾

 素読舎に根石吉久作成の新しい教材が誕生しました。
 小学三年生から使っていただくことができます。
 この教材によって、素読舎はこれまでとがらりと変わっています。
 「最低これだけやったら帰っていい」という方針から、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わっています。
 「やってもいい」のだから、やらなくてもいいのです。
 やりたくない日は漫画を読んでいてもいい。

 これまで、素読舎は練習をやらせてきました。
 これをやめました。

 塾の運営の基本方針をがらりと変えましたが、方法自体は何も変わっていません。
 元になっているものは素読です。

 10年後を見ていただけばはっきりします。
 小学校から英語をやらせるという文部科学省のプランは必ず失敗します。
 小学生だから文法は必要ないなどというのは、まったくの人だましです。

 素読を元に据えた練習は、小学生のうちに中学の文法を確実に理解できるようになります。
 それよりももっと大事なことは、「まともな音ですらすら読めるようになる」ことです。

 お子さんの英語を大事に考えるなら、「まともな音ですらすら読める」能力にじかにテコ入れする素読舎をお選び下さい。素読舎の方法なら、テスト用の英語 (受験英語)と「学校以後に生き残れる英語」が両立します。これを両立させる教材と方法を備えている英語教育機関は素読舎以外にはありません。(もしあっ たら教えて下さい。私は知りません。)

 英語ばっかりは、塾を選び間違えたら取り返しがつきません。(実は取り返しがつくのですが、まず100パーセントの人が、「音づくり」からやり直さなけ ればなりません。同一人物の同一年齢において、まったくレベルの違う英語を持つことになります。同一人物の同一年齢は一年限りのことですので、実験によっ て証明できないのが残念ですが、「まったくレベルの違う英語」になることを断言します。)

素読舎 長野県千曲市鋳物師屋642−3
塾長 根石吉久

お問い合わせ
090−4181−5912



根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月27日(土)22時46分53秒

素読舎新聞 版下案 書きかけですが見てください。

http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/beta.pdf



根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)03時11分57秒

 素読舎新聞の「塾のやり方が変わりました」の部分です。
===============
・塾のやり方が変わりました

 新しい教材を導入することによって、塾の運営の基本方針が変わりました。
 以前は、「最低これだけやったら帰っていい」という方針でしたが、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わ りました。方針は変わりましたが、素読をもとにした方法には変わりがありません。
 また、先に進んでいる塾生が、後から来る塾生の練習の面倒を見るという方式を始めました。コーチの私たちは常々感じていることですが、人の練習の面倒を 見るということは、実は一番自分の練習になるのです。一つには、人が同じ例文を何度も繰り返して読むのを聞いているうちに、よりよく例文を覚えてしまうと いうことがあります(もちろん、自分で練習してあることが前提ですが)。
また、音作りに関しては、他人の練習の面倒を見ている時は、間違いがあった時はまず違和感として感じ取りますが、それをいかに言葉で的確に指摘するかとい うことがあります。素読舎では、「あいうえおフォニックス」「発音のポイント」という音作りに関する説明がありますが、人の練習の面倒を見るときに、それ をきちんと言えるかどうか。
自分で人の練習を見ることによって、コーチが音作りに関して説明していた事が、初めてわかる時もあります。自分の発音について、より自覚的になることがで きます。
人の練習の面倒をたくさん見ることによって、自分の復習を分厚くすることができます。
 自分の練習を進めているか、人の練習もたくさん見る(=復習する)か、という両面から判断して、教材を「一日でどこまで進めていいか」を決めていきま す。自分の練習をたくさんやり、人の練習の面倒もたくさん見る人は、「無制限」に練習を進める資格ができます。     



「からっぽ」についての書き込み  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)23時59分40秒

      (無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)01時28分52秒

村田 根石さんは「からっぽの文」という言い方をよくしますが、一般の人にはこの言い方はわかりにくいかもしれないですね。
根石 意味のわからない歌を覚えるように英語の文を覚えてしまった場合が、一番「からっぽ」だと思う。この「からっぽ」っていうのは、まったく否定的な意 味で言っているんじゃない。俺は、「からっぽ」を大きく肯定してるんだ。それが語学の本質だと思っているから。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)01時35分34秒

村田 普通、「からっぽ」なんて言われたら、マイナスなイメージを思い浮かべますよね。私も根石さんの言っている「からっぽ」の中身がわかっているような 気がしているだけで、ほんとはわかっちゃいないかもしれません。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)01時43分2秒

根石 まずは、意味もわからない、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのが、「からっぽ」のイメージをつかんでもらうのに一番いいとお もう。まず最初に日本人が英語とつきあうときは、これを肯定するべきなんだ。大きく肯定すべきなんだ。これがネイティブ言語(日本人にとっての日本語・ア メリカ人にとっての英語)と、外国語の習得とが根底から違うところだ。
で、意味もわかる、文法もわかるって段階になったら、「からっぽ」じゃなくなったのかっていうことだが、俺はあいかわらず「からっぽ」だよと思ってる。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)01時51分14秒

村田 意味もわからず、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのは世間では評価されないことですよね。普通は意味がわからなければ意味が ないじゃない、ってなる。
それから、意味もわかる文法もわかる、っていう段階は、普通は「できる」と言われますよね。それでもなお「からっぽ」だ、というところが語学をやっている ということなんでしょうか。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)01時59分5秒

根石 世間も学校も「音だけはまともに」言えるっていうのを評価しない。だから、世間も学校も間違っているんだ。意味がわからなくて、文法がわからなく て、音だけまともっていうのが意味がないわけがない。だけど、それが評価されないっていうのは、まったくその通りだな。
 「できる」やつなんて、ほとんどみんな使いものにならない英語をつかまされたやつらばっかしなんだ。まあ、優等生とか言われる連中もみんな、学校や世間 がやってる認識不足の犠牲者だから責める気もないが、いずれ優等生や点だけはとれるやつらの英語は確実に滅びるんだ。そんなものは反吐が出るほど見てきた んだ。
 文法がわかっても、意味がわかっても、それでもやっぱり「からっぽ」なんだよっていうのが、素読舎が言い続けてきた理論なんだが、これはまったく娑婆か ら理解されていない。娑婆に生きている人々が悪いんじゃない。文部科学省でも、大学でも、まともに「語学論」と呼べるようなものをひとつも作ってきていな いことが最大の原因だ。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)02時38分48秒

村田 「点だけ取れるやつらの英語は確実に滅びる」っていうのは、試験でいい点をとるとか、資格試験を突破するとか、なにかの目的のための手段として英語 をやるからっていうことでいいでしょうか?


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)02時41分7秒

根石 何かの目的があっちゃいけねえってわけでもねえんだ。目的はあってもいいけど、そんな目的って空しくねえかっていうことがあるんだ。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)02時53分2秒

村田 長い時間と少なくない労力を使って、そんな目的を達成しただけでいいのかよ、ということですね。その空しさと根石さんが言う語学の「からっぽ」さっ ていうのはまったく別物ですよね。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)02時56分10秒

根石 俺が「からっぽ」って言ってるのは、優等生の英語力なんか「からっぽ」だという意味じゃねえんだ。実際に、優等生の英語力なんか「からっぽ」なんだ けど、そういうことを言いたいんじゃねえんだ。
肝心要は、「当事者性」ってもんだ。
だけど、この「当事者性」ってものほど、世間にわかってもらえないものはない。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)03時07分15秒

村田 日常生活でのっぴきならない関係性が当事者性であると思いますが、机の上で一人でやる語学の英語は、「当事者性」からは一見離れているようにみえま す。     



(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)01時31分37秒

素読舎名物否定広告

「からっぽ」論
「からっぽ」に二種類あり

素読舎を使った場合

@ 「理解がからっぽ」

  素読・音読

   ||
                        「まともな音で」          ・素読舎 「まともな音ですらすら」
「音づくり」      →     すらすら読める           ・学校・進学塾「間違った音ですらすら」

   ||                           ↓

意味・文法(理解)が             ↓                ・教材を継続すれば、「理解」のための準備が
ともなわない                                          よく整う
                                ↓
   ||                                             ・わかるときは一挙に全部わかってくる
                                ↓                     (教材の威力)
ひとまずOK!
(あくまでも「ひとまず」)      ↓


       ↓                       ↓
       ↓
       ↓                       ↓
       ↓
        →→→→→              A

------------------------------------------------------


A 「当事者性がからっぽ」

素読継続     →    文法理解、意味がともない、イメージが強化され、瞬間化される


     それでもなお

     「当事者性」はからっぽ

・当事者性が「からっぽ」であることは語学の本質。
・当事者性が「からっぽ」であることは、素読舎を使う使わないにかかわらず起こる。
・日本語を主言語とする限り、いくら激しく多量に練習しても英語の当事者性は「からっぽ」。
・わかりやすい例。外がどしゃぶりの日に It's a fine day, today. (今日はよく晴れたいい天気だ)という文を机の上で練習していても何もおかしなことではない。机を離れて、外に出てそれを言えば、気違い扱いされる。ある いは嘘つきになる。
・どんな英語の上級者でも、机の上でどんなに高度な英語を扱っていても、それが語学であり練習である
  限り、扱っている言葉に当事者性はない。(仮の言語=練習のための言語=語学の言語)
・当事者性の欠如=「からっぽ」は大きく肯定されなければならない。
  (「ぺらぺらしゃべれない」などという余計な劣等感を持つ必要はない)

                                 ↓

                                 ↓

                                 ↓

                                 B

------------------------------------------------------

B 「からっぽ」が状況(的意味)で充電される。→ 磁場での当事者=生活(仕事)の言語

・このBの段階は、もはやすでに語学ではない。語学の外側(生活や仕事)。
・普通に日本語を主言語にしている生活では、この「状況による充電」は起こらない。
・「状況による充電」が起こるのは、「磁場」(言葉の当事者になる場)に渡った場合。
・英会話学校には、「練習用の状況」しかない。本当の「状況」はない。だから、充電は起こらない。
・この段階はすでに語学でもなければ練習でもないから、「充電」をやるもやらないも各自にまかせる。
・肝心なことは、@Aの段階で、「磁場」に渡りさえすれば「充電」が起こる質の英語力にすること。
・@Aの段階で、「当事者性」が欠如するのは当たり前だが、「まともな音」が欠如したら、「磁場」に渡っても「充電」が起こらない。(「充電」が起こるた めには、電導性の音=まともな音でなければ駄目)
・結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
 だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
 つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)01時32分45秒

ひとまず作りました。



根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月30日(火)02時44分8秒       通報
      語学の
「からっぽ論」


◎素読舎を使った場合:3段階
@初心者
 「音づくり」する → 理解がしやすくするための「準備」
         →「ひとまず」その場で意味がわからなくてもいい
 「意味がからっぽ」の段階

A中級者以上
 「音づくり」に理解も伴っている → 実際に英語を使う(言葉の当事者となる)場面への「準備」
 「当事者性がからっぽ」の段階

  ・素読舎の教材と方法を使えば、自然と無理なくAの段階(理解)までいきます。
  ・語学は一人でやるものなので、「当事者性がからっぽ」です。
   語学をやっている時は、どんな上級者であろうと「当事者性がからっぽ」で、「からっぽ」のままでいいのです。

B実際に英語を使う状況
  「言葉の当事者」として英語を使う状況
  語学の領域を越えています。

========================
素読舎でAの段階まで進んだ人
 ・通用する音あり          英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・音に意味・文法が備わっている ───────────────────────→ 通用する!
 ・当事者性なし



◎素読舎以外の場合(学校・進学塾・英会話学校など):2段階
@文法・意味を覚える
 ネイティヴに通用する「音づくり」をしない・文法・意味だけを暗記
 → いわゆる受験英語

A実際に英語を使う状況

========================
素読舎以外を使った人
 ・通用する音なし       英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・意味・文法は覚えている ───────────────────────→ 通用しない!
 ・当事者性なし     



根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月30日(火)02時52分39秒

自分のを投稿してからすでに根石さんのが投稿されているのに気付きました。
やっぱり根石さんの方がいいです。

>結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
>だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
>つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。

この部分いいですね。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 1日(水)02時46分46秒

>この部分いいですね。

「この部分」はかなり酒が入った状態で書いたので、要再考です。
村田君のやつと、俺のやつを木曜日に突き合わせたいので、プリントアウトして持ってきてくれませんか。



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月 2日(木)04時36分28秒

木曜日プリントアウトして持っていきますね。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月11日(土)01時02分1秒

「素読舎新聞」の作業を継続してもらうようお願いします。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月14日(火)15時04分4秒

 「素読舎新聞」用の記事を投稿します。署名入りで書いたので、そのまま使ってもらって結構です。村田君の書いた記事の最後には、それぞれ(村 田晴彦)の署名を入れてもらうのがいいと思います。
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須坂高校学年トップ

 村田君に学年トップの記事を書いてくれと頼んでから、そういえば、「電話でレッスン」の生徒にも学年トップがあったなと思い出しました。
 今須坂高校3年生のKさんは、小学5年で素読舎を使い始め、高校生になってから二度学年トップになっています。「最近は学年トップはないのかな」と先 日、「電話でレッスン」のときにたずねたところ、最近のテストでは学年2番だったとのことでした。最初の学年トップは2006年、高校入学後すぐに行われ たテストでした。二度目の学年トップは、去年の4月、進研模試(ベネッセ)の全国模試で、須坂高校2年生の学年トップになりました。その後は部活のスポー ツの大会などで県外に出かけたりして忙しく、現在は学年2番になっているということです。
 Kさんは二つ年上のお姉さんが素読舎を使って成績が伸びたことから、私のレッスンを受けてくれるようになりました。お姉さんは、中学の頃よく学年トップ になり、今は信州大学教育学部の一年生で松本にいます。英語が抜群にできます。信州大学在学中に、アメリカに留学を予定しています。大学生になってから も、松本から「スカイプでレッスン」で私のレッスンを継続してくれています。
 お姉さんが小学生の頃は、信州中野から毎週小島の素読舎まで通ってもらったのですが、Kさんが中学生になる頃、お母さんが人を集めてくださって、数人の 子供たちの英語を見るために、私のほうから週に一度、中野まで出かけていた期間がありました。村の神社に付属する建物の一室を借りて、3年ほど通いまし た。その後、私が「電話でレッスン」を始めたので、「電話でレッスン」に移ってもらうようにお願いして、中野まで通うことはやめました。それから6,7年 ほどたちます。その頃の生徒さんとその後の生徒さんとで合計5人の生徒さんが「電話でレッスン」や「スカイプでレッスン」を受けてくれました。今でも3人 が「電話でレッスン」か「スカイプのレッスン」の生徒としてレッスンを続けています。(根石吉久)



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月15日(水)00時04分54秒

御苦労さまです。
ちょっと時間かかりそうなので、木曜日に版下持っていきます。     



今朝考えたもののメモ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月16日(木)11時35分45秒

 先日、塾のチラシを作って、@、A、Bの三つの段階を作ったことがきっかけになっていると思いますが、今日、久しぶりに午前中に目をさまして、そのそれ ぞれの段階にわかりやすいイメージを与えることができるのではないかと思いつきました。まだ、メモですが、メモとして残してみたいと思います。一応これで も、一つの語学論の骨格は備えることになるはずです。

@
 「まともな音ですらすら読める」段階。意味・文法理解がともなわなくても、ひとまずはOK(あくまでもひとまず)。
 ここで、「まともな音」が問題になる。「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」=磁場における電導性を持たない音=無 機物。この段階で、有機物と無機物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

A「音」に意味・文法理解がともなう段階=「発酵」の段階。音と意味・文法理解はバクテリアの餌。発酵の途中で、「イメージ」ができ、発酵の結果、「瞬間 化」が可能になる。自然界の発酵では、バクテリアは(法則が未発見でも)生物学的法則で生きている=条件さえ整えば発酵が進む=人間の意志は関係ない。人 間の意識におけるバクテリアは、(法則が未発見でも)語学的・言語学的法則で生きている=語学においては、「イメージ化する」「イメージ化を瞬間化する」 意志が眼目。初動は「意志」が与える。
 架空にイメージを放出することによって、「からっぽの電池」の性能があがる。
(「無数のからっぽの電池を作り出す」「からっぽの電池の性能をよくする=イメージ産出・放出の瞬間化」(という比喩)と、バクテリアによる「発酵」(と いう比喩)と、どちらがより実体に近く、どちらがより比喩に近いかを決定することは、今の段階ではできない。読書の言語体験や語学では「比喩」がそのまま 「実体」であるため?)

B 「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。@で「電導性の音」(へその緒)を作っておかないとこれが起こらない。Aで「瞬間 化」を作っておかないと、「充電」と「放電」の阻害因子になる。ヴォキャブラリーの増強の必要。ヴォキャブラリー(羊水)が豊富なほど、「電池」の向きを 変えやすい。(ネイティヴなシンタックス=胎児の骨ぐみ)



メモについて  投稿者:村田  投稿日:2008年10月18日(土)00時49分2秒

>「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」=磁場における電導性を持たない音=無機物。この段階で、有機物と無機 物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

「まともな音」
(1)ネイティヴに通用する
  →最低限、誤解されない音
(2)しかしネイティヴに同化しようとする方向性は持たない


>「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。

自分の意思の力で形づくった見えない身体の誕生?
胎児ということは、生まれる出る時がくる?

…『胎児の発生』というイメージがインパクトあって、なんかわかったような気がするけれども、まだよくわからないです。
でも@Aは自分なりに腑に落ちました。



不遜広告  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月20日(月)01時38分8秒

村田君。
酔っぱらって、次のようなものを書きましたが、印刷すべきでしょうか。すべきではないでしょうか。ご意見をお願いします。

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どこまでも傲慢な素読舎(タイトル)


 こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度とお誘いしないことにしています。
 もし、英語を焦げ付かせてなんとかしてくれと言われた場合でもお断りする場合があることをご承知下さい。

 真っ黒に焦げ付かせた卵焼きかなんかを考えてみていただきたいものです。真っ黒になったものは食べられないので、新しい卵を使って卵焼きを焼くために、 焦げをこそぎ落とさなければなりません。この手間が馬鹿になりません。

 英語を焦げつかせた場合もまったく同じです。こちらの手間が何重にもかかり、しかも、なかなか生徒の力がついていきません。

 絶対に引き受けないということは言いませんが、一度お誘いしたにもかかわらず入塾していただけず、英語を焦げ付かせた後で入塾を希望される場合は、一言 で結構ですので、きちんとご自分の判断の間違いを認めていただきます。

 素読舎は塾ですが、そんじょそこらの英会話学校、CDやソニーのリピーターを使って、「真似しろ」で済ませているチェーン塾(全国展開の算数塾が前 身)、文部省が親分をやっている学校、受験制度にぶらさがってまともでない音で授業をする進学塾などと一緒にされたらたまったものではありません。

 素読舎には、日本で先端を行く語学論があるのです。

 他人の痛みというものは、自分の体でそれと同じものを感じることができないものですから、素読舎が語学論一つを備えるのにどれほどの痛みに耐えてきたか など、ことごとしく言っても仕方がありません。

 ひとまずここで言いたいことは、こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度とお誘いしないということです。

素読舎塾長 根石吉久



村田君    投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月20日(月)01時50分27秒

>>「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」=磁場における電導性を持たない音=無機物。この段階で、有機物と無 機物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

>「まともな音」
(1)ネイティヴに通用する
  →最低限、誤解されない音
(2)しかしネイティヴに同化しようとする方向性は持たない

 「同化しようとする方向性」を持たないという面は確かにありますが、Repeat after me. や「CDを聴いて真似しろ」では、(音楽のセンスの優れた人以外は)自己流の音しか手に入らないので、結局「まともな音」が手に入らないからです。

>>「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。

>自分の意思の力で形づくった見えない身体の誕生?
胎児ということは、生まれる出る時がくる?

 まさに生きた語学力というのは「見えない身体」だと思います。
 胎内の胎児も、母親とへその緒でつながって養分をもらい、排泄物を排出しているので、「充電」と「放電」をやっているというイメージとつながると思いま す。

>『胎児の発生』というイメージがインパクトあって、なんかわかったような気がするけれども、まだよくわからないです。

 「磁場」に渡って、「充電」が起こっている間は、まだ日本語で育った人の体内における英語力の「胎児」だとイメージするのが正確だと思います。十分に充 電されてから、「磁場」に「誕生」するのだと思います。「誕生」してからが、本当に使える英語です。
 「胎児」というメタファは、「磁場」に渡った「当初」を言い当てるのに適当なイメージをもたらすと思って考えついたものです。     



慌てました。  投稿者:根石さんへ  投稿日:2008年10月22日(水)00時42分53秒

不遜広告をみて、慌てて書いています。
もしかして、私の事では??
焦げ付きを承知で誘って頂いていたのに、なかなかお返事が出来ずに
すみませんでした。。。
なんとか、これ以上焦げ付かないように努力しますので、あと1年後、
もう一度チャンスを下さいm(_ _)m
ハノイのちえより



不遜広告について  投稿者:村田  投稿日:2008年10月22日(水)04時57分35秒

>こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度とお誘いしないことにしています。
> もし、英語を焦げ付かせてなんとかしてくれと言われた場合でもお断りする場合があることをご承知下さい。
ある意味親切だと思いますが、塾生を集める広告(そうですよね?)としてはどうなんだろうなあと思います。
あとの方を読めば、塾を選ぶことの大切さということがわかると思うのですが、そこまで行かないんじゃないでしょうか。
否定広告はおかしみがあったと思うんですが、不遜広告はなんか違う感じがします。
「塾を選ぶことの大切さ」という方を前に出した方がよくないですか?



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月22日(水)05時05分27秒

>まさに生きた語学力というのは「見えない身体」だと思います。
思った通りでうれしいです。

>「磁場」に渡って、「充電」が起こっている間は、まだ日本語で育った人の体内における英語力
>の「胎児」だとイメージするのが正確だと思います。十分に充電されてから、「磁場」に「誕
>生」するのだと思います。「誕生」してからが、本当に使える英語です。
> 「胎児」というメタファは、「磁場」に渡った「当初」を言い当てるのに適当なイメージを
>もたらすと思って考えついたものです。

胎児というメタファについての解説ありがとうございます。
「磁場」に「誕生」のイメージ、すごくいいです。

また後ほど。



ハノイのちえさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月24日(金)01時25分39秒

>不遜広告をみて、慌てて書いています。
もしかして、私の事では??

 いやいや。たくさんいらっしゃるのです。

>焦げ付きを承知で誘って頂いていたのに、なかなかお返事が出来ずに
すみませんでした。。。

 これをメールでなく、掲示板に書いて下さったことに感謝しています。
 子供を産むのは大事業だとは、私なんかでもアタマではわかります。男であるため、腹でわかることができないのが残念です。生むのも大事業、育てるのも大 事業、ことに新生児の一年間は、というのも、やはりワタシナンカのアタマでもわかります。
 ですから、子育てに専念していただくのがいいと思います。
 残念だったのは、9月まで休ませてくれとご自分から言われ、10月になっても連絡がいただけなかったことでした。私の方は、10月から復帰されるとお聞 きしたので、ずっと枠を空けておいたのです。そのことをくやしいと思いました。

>なんとか、これ以上焦げ付かないように努力しますので、あと1年後、
もう一度チャンスを下さいm(_ _)m

 私の「電話でレッスン」も「スカイプでレッスン」も人気がありませんので、多分一年後でも空き枠があるのではなかろうかと予想しています。空き枠がな かった場合は、空き枠が生じたらすぐにお知らせすることでご承知下さい。

 ベトナムは過ごしやすくなってきたでしょうか。現在、金がないため、ベトナムに仕入れに行きたくても行かれません。ハノイ周辺を案内していただくという 計画も棚上げしなければなりません。
 昨日「花はどこへいった」という坂田雅子さんが監督した映画を見ました。多くのシーンをベトナムで撮影したもので、枯れ葉剤(ダイオキシン)による奇形 児が次々とスクリーンで苦しんでいました。それを抱きしめる親や兄弟が、猟奇になりかねない映像を救っていました。そちらで見ることができるようでした ら、是非見ていただきたい映画です。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月24日(金)02時02分22秒

>否定広告はおかしみがあったと思うんですが、不遜広告はなんか違う感じがします。
「塾を選ぶことの大切さ」という方を前に出した方がよくないですか?

 今日も酒が入ってしまいましたが、今日は不遜ではなく謙遜の方をやってみようかな。
 貴重なアドバイスをありがとうございました。
 で、「という方を前に出した」ものを一本書いて下されば助かります。
 染みついた文体というものがあり、どうしても私が書くと、そういういいものにならないのです。締め切りは設けませんので、そのうちにお願いします。



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月25日(土)16時04分50秒

塾を選ぶ事の大切さについての文章、書かせてもらいます。
「いいもの」になるかどうかはわかりませんが、いいものになるようにやってみます。
来週くらいでまとめられたらいいかなと思います。



道具であり、力であるもの  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月27日(月)17時52分11秒

 教材を作った後、どこまで行こうが、生活が語学を媒介にするのがあるべき姿だということを考えていて、「着床力」という語を思いつきました。「磁場頼 み」というのは、語学が生活を媒介にする変態なのだということも考えていたのですが、こちらはひとまず棚にあげます。
 メモ書きですので、混乱が含まれますが、書き残しておきたいと思います。

 「着床」というのは、「受精卵が子宮粘膜に定着すること。妊娠のはじまり」(広辞苑)です。
 イメージ(形成)力は、日本に生まれて育つ子供は、日本語で養うことができます。
 文の中における単語というものは、文に「着床」している状態だと考えることができます。この状態が、あらゆる言語がその言語の中に生まれてくる子供にイ メージ形成力をもたらすものです。単語が文に「着床」しているから、子供はイメージを形成することができるのであり、個々の単語だけではその力がありませ ん。
 文と単語との間に相互関係があります。それが、単語の普通の生態です。この場合、単語は文から養分を受けていると同時に、文を構成する単位にもなってい ます。この単位だというところに目をつけると、単語を単語だけで扱うことが可能になります。辞書が成立するのも、「単位」というところに目をつけるからで す。これはどんな言語でも同じです。
 辞書を作るには、「単位」というところに目をつけるのでいいのですが、語学ではそこが違います。特に初心者のレベルでは、形式上だけであってもいいか ら、必ず文に「着床」している状態で単語を扱う必要があります。つまり、最初に文まるごとで扱うことです。文まるごとで扱い、次に単語として扱うという順 序が必要です。単語を扱うときに、そのへその緒(文法)ごと扱わなければ、後に文を形成する力ができてきません。
 最初はわかってもわからなくても、文まるごとで扱い、だんだんとわかってきたら、へその緒(文法)を見て、へその緒ごと動かさないと、単語というものは 新たな文に「着床」しません。
 日本語で感覚を形成された日本人が、最初に英語を単語として扱って、それらの英単語を集めて並べても、絶対に英文にはなりません。最初に英語を文として 扱うなら、文には文法が働いているのがわかってきます。単語が文から養分を受け取る場合のへその緒の存在がわかるということです。それがわかるから文が形 成されるというのが、語学における順序です。
 文構造というものは、社会構造、文化構造と照応関係があると言えるかどうかわかりませんが、少なくともそれらと連動しながら形成されたものであることは 言えるでしょう。「社会のシンタックス」「文化のシンタックス」という言い方をしたことがありますが、人間がそれらと相渡るときに、必ず通過する地点とし て文構造(文のシンタックス)を考えることができます。ネイティヴ言語の獲得過程では、人は絶えずこの地点を通過しています。数知れず通過する地点だと言 うことができます。絶えず通過する、数知れず通過する一点が、(総称としての)文構造だと言うことができます。

 以上は、言語的な「着床」ということがわかりやすかろうと思って書いてみたものですが、最初に「着床」という語を考えたときは、これとは違うことを考え ていました。
 単語というものが文構造に「着床」しているというのは、最小の「着床」を考えるにはいいでしょうが、私が最初に考えたのは、英語力形成過程では実際には 何が形成されるのか、その眼目になるものは何なのかということでした。
 考えながら書いた、メモ書きが手元にありますが、着床力、床、磁場ではない、文の床、しなやかなバネ、電導性、個々の音だけではない、などと書いてあり ます。

 「しなやかなバネ」という言い方はこれまでにも何度もしてきたものです。文まるごとで英語を扱うとき、読み(の音の連続性)が、「しなやかなバネ」にな るというような言い方で使ってきました。これは、音読や素読で同一の文を繰り返し読み込むことで、口の筋肉の動きを「やわらかくて強い」状態にする作業に よってもたらされるものです。筋肉の動きに「強さ」があるから、正確な音を獲得できるようになっていきます。「やわらかさ」があるから、「電導性」の音が 獲得できるようになっていきます。
 正確な音や「電導性」の音を獲得するためには、それ以前に、「強さ」と「やわらかさ」が必要です。私のレッスンが「なにがなんでも、とにかく口を動か す」ということから始めるのは、いきなり正確な音や「電導性の音」が手に入るものでは「ない」ということを前提にしているからです。多くの英語の教室がこ の前提をすっとばしてしまいます。それが、Repeat after me. 方式であり、「CDを聴いて真似しろ」方式です。これらは、語学の認識として間違っています。この迷妄を抜け出ている英語の教室はほとんどないと言ってい いでしょう。
 しなやかなバネにだけ「電導性」が備わります。「電導性」は単に個々の音だけを扱っても手に入らないというのは、個々の単語だけ扱っても文が手に入らな いというのと同じでしょう。単語について言った時のへその緒(文法)に該当するものが、音についてはどう言えばいいのか思いつきませんが、いずれにせよ、 しなやかなバネには「音の文法」が備わっているとは言えます。そこに「電導性」が生じます。
 素読舎で英語を鍛えたことのある人が、磁場に交わればただちに不器用ながら交流を始めることができるのは、「電導性」の音を持っているからに他なりませ ん。(音の連続性の方が、個々の音よりもはるかに重要だと考えていますが、ここでは触れません。)
 さて、「しなやかなバネ」というとき、あるいは「やわらかくて強い」というとき、その「やわらかさ」や「強さ」はどういうふうにすれば客体化できるかと いう問題があります。

 これに関しては、私は蓋然性で考えており、単純に「語数」で考えるのがいいと思っています。

 以前に塾のチラシにも書いたことがありますが、以後はひとまず、「かなり普遍的に言える」話だとして聞いていただきます。
 小学生や中学生が英語を始めたとき、3語、4語程度の文なら、すぐに「まるごと」を連続性として口に乗せることができます。3語、4語にはほとんど壁が ありません。これに関しては、小学生でも中学生でもほとんど変わりありません。個々の音には多少問題があっても、音の連続性という面では、3語、4語とい うレベルは壁にはなりません。
 初心者が最初にぶつかる壁は、6語、7語程度のところにあります。この語数だと、まったくの初心者だと、練習しないと越えられません。この壁を越える と、11語、12語あたりに次の壁が現れます。さらに、練習が進むと15語、16語あたりにかなり厚い壁が現れます。
 このそれぞれの壁を越えていくことが、「しなやかなバネ」を作り、「やわらかくて強い」音の連続性を獲得することに直結しています。「磁場」の外側で語 学をやることは、語数の壁を越えながら、音に強さとやわらかさを獲得し、ひとつのバネを鍛えていくことを意味しています。そして、コーチと生徒の双方で、 どうやら今は(たとえば)11語、12語あたりに壁があるねという合意が形成されたとき、「やわらかさ」や「強さ」が客体化できたことになります。
 個々の音を扱いながら、生徒にいくつも現れる壁を越えさせることが、私のレッスンの実質を形成しています。この実質部分は、学校のテストの点や高校・大 学合格のように外から見えるものではありません。学校のテストや入試問題が測る方法ではつかまらないような別の次元にあるものです。
 これは、(学校や進学塾の)「授業」などで作れるものではありません。「まともな音ですらすら」読むことにじかにてこ入れする「レッスン」でなければ作 れるものではありません。語学的なセンスのいい人は一人で作ってしまう場合もありますが、ごく「少数」です。しかし、ここで言っている意味での「レッス ン」があれば、「多数」の人に語学の扉が開くのです。(学校のテストの点がとれ、一流大学に合格したかどうかは、語学の扉が開いているか閉じているかと関 係ありません。閉じたままであるケースが圧倒的多数です。)

 「しなやかなバネ」は、英語力を獲得するときの「道具」になります。
 たとえば、6語7語のレベルを、すぐにまともな音ですらすら読める人は、目には見えないが、一つの道具を手に入れています。11語12語レベルを越えた 人は、それよりも一段と切れ味のいい道具を手に入れた(バネを鍛えた)と言えます。
 私の作る教材は、語数的にはランダムに文が並んでいます。語数から言っても、文法レベルから言っても、非常におおざっぱには、易しい文から難しい文へ並 べてありますが、局所的に見ればランダムです。そのそれぞれの文をある一定の品質で読めるようにしていきますが、生徒さんはいつも局所にいますので、難易 はかなりまちまちだと感じるかもしれません。
 ここで言っている「しなやかなバネ」の品質は、「すぐにまともな音ですらすら読める」という時の、「すぐに」というところに眼目があります。15語の文 を一つだけ「まともな音ですらすら読める」ようにした人が、15、16語の壁を越えたかというと、それはそういうわけにはいきません。10語、11語あた りの壁を越えるのに、15,16語くらいの文をかなり扱う必要があります。15、16語の文をかなり扱ったが、「すぐにまともにすらすら」が成立するの は、6、7語レベルであるという場合もあります。
 20語、25語程度の壁を越えている人は、英検1級レベルに通用する道具を手に入れています。
 以上の話からは「語彙の抽象度のレベル」が無視されていますが、語数が増えるに従って、抽象度のレベルがあがっていくように教材が並べられれば、語数だ けで考えて差し支えはないはずです。

 「しなやかなバネ」とは語学の道具であり、それは目には見えない。「しなやかなバネ」が、音の「強さ」(正確さ)「やわらかさ」(電導性)を作り出すだ けでなく、単語が文へ着床するときの「着床力」をも作ります。人様の書いた文では、はじめから単語が文に「着床」していますが、それを練習して、文を書け るようにするためには、自分の中に「着床力」を新たに作らなければなりません。

 文を読む音の連続性を「しなやかなバネ」にすることができたら、なじみのない単語を文から切り出して、単語単位でイメージ化する作業が必要になります。 このとき、英単語を日本語の単語に置換するのではなく、あくまでもイメージのレベルにとどめ置く必要があります。これは実は高度な意識作業なのですが、こ の場面で、「しなやかなバネ」の「強さ」や「やわらかさ」、とりわけ「やわらかさ」が必要になります。やわらかいバネを持っている人は、文構造から単語へ 養分をもらうための経路(へその緒)がやわらかいと考えていいでしょう。音の連続が、文法を備えやすいと考えていいでしょう。
 次に「強さ」が必要になりますが、これは、文構造からもらった養分を単語単位で「圧縮」し、その単語の「イメージの核」とするためです。
 それらのすべてが成り立って初めて、「着床している」と言えることになります。

 「しなやかなバネ」が作れれば、語学は成功したと言えます。それが作れなければ、語学は失敗です。学校のテストの点や高校・大学合格は、この本質とは何 の関係もありません。成功と失敗を決める肝心要のものが、「しなやかなバネ」であり、それが、単語やら音やら、文法やら語彙やら、個々ばらばらに考えられ るものを、語学力というひとつのものに「着床」させるための不可欠の「道具」になります。「道具」であると同時に、「へその緒」であり、そして、最終的に 語学力そのものにもなります。
 また、これがやはり、「磁場」への着床力を決めるものにもなります。
 心理的、精神的な障害を引き起こすことなく、「磁場」に渡った当初にスムーズに「電導」を起こすためにも、胎児(語学力)が、「磁場」に誕生して生活言 語になるためにも、日本人がいつまでも無視していてはならないものであるはずです。

<8452>     



みなさま  投稿者:村田  投稿日:2008年10月31日(金)00時06分49秒

新HPに対して、以前のHPで検索エンジンにひっかかるように与えたキーワードをつけてみました。
<META name="Keywords" content="英語,素読,音読,朗読,発音,英語発音,英語音読,映画,スクリプト,英会話,語学,語学論,小学生,小学校,skype,スカイ プ,電話">
(「語学」以降に書いてあるのはわたしが付け加えました)
他にあった方がいいキーワードがありあましたらアドバイス願います。



村田さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年10月31日(金)17時39分51秒

村田さん、ご苦労さまです。素読舎に似つかわしくないキーワードがあるかもしれませんが思いつくままに。通じる英語、英語学習、英語学習法、英語教授法、 小学英語、中学英語、高校英語、受験英語。

社内のネット専門家にメタ情報について聞いてみたのですが、近頃は検索ロボットのチェックが厳しく、あまりキーワードを増やすのも逆効果とのことでした。 せいぜい1行ぐらいかなと。     



らくださん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月 1日(土)05時38分5秒

お返事ありがとうございます。
付け加えさせていただきます。

>メタ情報
キーワードを増やしすぎてもよくないんですか。
情報ありがとうございます。
今だいたい一行くらいですから、このくらいでおさえてみようかと思います。



過去ログピックアップ  投稿者:村田  投稿日:2008年11月 2日(日)17時33分21秒

過去ログから語学論に関する記事をピックアップしました。(No.1〜No.500まで)
本来ならば、キーワードをつけて整序するべきなんですが、まずピックアップのみ終わらせることに専念します。ひとまずの終わりが見えてきたところでさらに 整理しなおしていきます。
読者の皆様、お待たせしました。
以降、500番づつピックアップして載せていきます。



学校の先生のアリバイ作りなのか  投稿者:村田  投稿日:2008年11月23日(日)01時08分20秒

中三の塾生が学校の総合テストがあったというので、どんなもんだったか結果を聞いてみました。
まだ答案が戻ってきていないということだったので、手応えはどうだったか聞いてみると、「あんまりよくない」、と落ち込み気味で言うのです。
この子は英語はいつも学年で三番以内くらいにいるので、気になりました。
どんな内容の試験だったか聞いてみると、リスニングが25分あって、あとの問題を解く時間がなかったそうです。リスニング25分ということは、残り25分 で長文問題を解かなければならない勘定です。この中学の3年の試験は、長文問題は長めのが複数あります。今回も長めのが二つあったとのこと。

「他の人はなんて言ってた?」
「全然時間がないって言ってました。」

「試験でそれだけリスニングに時間を割くってことは、学校の授業でリスニングに特別に力を入れてるのかな?」
「いえ、全然なんにもやってないです。」

なんだかなあ!

学校は学習指導要領でリスニング重視するというようなお達しがあるんだろうけれど、なんの訓練もなしにただテストでリスニングの配点だけあげればそれでい いのか。
この中学の英語のテストでは、高得点のグループと低得点のグループの二極化が起こっています。
これは埴生中学の現在の三学年に極端に起こっていることだけれど、多かれ少なかれどこでも似たようなことが起こっているのかもしれませんが、今回はちょっ とひどいと感じました。

この塾生には、平均点が下がっているはずだから気にするな、と言いましたが、塾なり予備校なりに行ってない子はどう思うだろうか。学校の先生は生徒になん て言うんだろうか。     


村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時02分19秒

今回の記事はいいな。
だんだん娑婆に遠慮がなくなってきて、いいことだと思っています。
ただし、食えなくなるまでやると大変ですので、らくださんからバランス感覚を習って下さい。     



ニュース  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時41分25秒

書き忘れるところでした。今日耳に入ったニュースです。

北信地方在住のKさんが、また学年トップになりました。現在須坂高校3年生です。

Kさんは、小学5年から素読舎の練習をしました。高校一年、入学直後のテストで学年トップ。二年の春の進研模試で学年トップ。今回、三年の秋、進研記述模 試で学年トップ。
これまでのところ、年に一回、全学年で学年トップになっています。

春から夏が終わる頃まで、スポーツの大会で県外に何度も遠征したりして、ちょっと勘が鈍っているかなと思っていましたが、どうやら回復したようです




テープ起こし(素読舎の教材の使い方)1  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時40分12秒

11月27日(木)根石さん宅での録音です。
題して「素読舎の教材の使い方」。
今週は、素読舎の教材の成り立ちについて掲載します。
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根石 俺の塾は最初は塾じゃなかったんだよ。家庭教師だったんだ。
村田 はあ。
根石 家庭教師って言っても、塾みたいな家庭教師でさ。
最初は一箇所に三人集まってもらってね。屋代駅前にあったんだけれど。近所の人に集まってもらって…近所でもないなあ。一人は杭瀬下、二人は小島か。
その時すでに「電圧装置」をやっていたと思うんだ。「英語どんでんがえしのやっつけ方」に書いてある。レポート用紙を二枚折にして、最も単純化した場合に は、左側に英語、右側に日本語、二つ折りにすれば最もシンプルな問題集になる。それを各自に対して作っていたような気がするな。
村田 三人いたらそれぞれ別のものを用意したんですね。
根石 そうじゃなかったかなあ。
村田 手書きで?
根石 手書きでな。その場で俺がどんどん書いて作っていってやるんだ。この子に対しては何を書くかということは、その子に何かやらせるとわかるわけだ。
そこで何を使っていたかなんだけれど、多分学校の教科書を使っていたと思うんだよな。
村田 最初から三人だったんですか?一軒一軒周っていたようなことを聞いたんですが。
根石 いやいや最初から三人。もう一軒やってくれって言って来た家も、二人同時でやったのかな。一人を相手にしてやったこともあるけれども、二人三人を相 手にしてやった方が多いくらいじゃないかな。そういう場所が何箇所もできて、一週間かけて周っていたわけだけれど、夜に見るわけだから、一日に見れるのは せいぜい二箇所か三箇所なんだよ。一箇所で二時間くらい見たんだと思う。
村田 夜えらく遅くなっちゃいますね。
根石 帰るのはだいたい夜中の11時12時になっていたな。高校生なんかだと夜遅くまで見たと思うんだけれど。高校生はあまり数を見なかったな。小学生の 方が多かったと思う。
それで、もう周りきれないので、一箇所に集まってくれと言って、塾ができたと思う。ほぼ自然発生的な感じにできた。
そこでやっていたのは主に、「電圧装置」作りだ。「電圧装置」を作っておいて、塾生に「一週間のうちにこれをできるようにしておけ。」というわけだ。次の 回の時にその「電圧装置」を目の前でやらせる。その場合、間違いが0でなければ駄目っていうやり方だから、間違いが含まれていれば、もう一回やりなおさせ るというやり方でやっていたんだ。
それで、一番最初にやってた場所で、二人が百点取ってきたんだ。まあ中学1年だったから取りやすかったのかもしれないけれど、三人のうちの二人が百点取っ てきて、評判になったんだよ。それで、「うちも見てくれ」というふうに、塾生が増えていったんだけれど。
それで、塾にするから、と言ったときには、M寺の酒寮の部屋を借りてやった時かな。M寺の娘が英語をやりたいって言って、その友達と一緒にやったんだけれ ど、その当時は篠高の生徒三人でやってたと思うな。初めは二、三人でやっていたんだけれども、五人くらいまで増えたんじゃなかったかな。
もう一箇所は杭瀬下の敬神館って言ったかな?杭瀬下のお宮の近くの建物だな。そこではすぐやめてしまった気がするな。なんでやめてしまったかは覚えてな い。
農家の離れみたいなところを借りていたこともある。そこは声がうるさいっていうことで追い出されたんだ。     



テープ起こし(素読舎の教材の使い方)2  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時41分19秒

村田 そのエピソード読みました。
根石 そうやっていて、俺の生まれ育った中村のうちが空いていたんで、そこへ入ったんだよ。八畳二間の真中をとっぱらって十六畳の部屋でやっていた。そこ は結構人が来たんだ。何人ぐらい来たかなあ。十五、六人くらいまでは来ていたんじゃなかったかな。それでその頃、青焼きの機械を買ったんだ。湿式って言っ てたな。それで「電圧装置」を作ってた。初期の頃っていうのは「電圧装置」を作っていたんだよ。ただ塾の形になって、人が来るっていう形になると、塾生一 人に対してその人専用の「電圧装置」を作るという形ではなくなってくる。塾に来た子どもたちが、汎用のものっていうか、あらかじめ出来ているものを使うと いう形に変わったわけだ。
「電圧装置」を使っていたけれど、農家の離れでやっていた時に声がうるさいっていうことで追い出されたことからもわかるように、当初から声を出すというこ とはやっていたわけだ。
それで、「電圧装置」を作るのをやめた時点があるんだけれど、それはいつだかよくおぼえていない。
一番最初にやっていたことは、「電圧装置」と、声を出して読ませるっていう組み合わせだ。ただそれだけのシンプルな組み合わせだ。
汎用的な教材を作るようになって、もう教科書は使わないと決めて、例文集を作るようになった。これはホームプラザNでやっていた頃にはすでにやっていた な。
あちこちからピックアップしてきた文を集めて、塾専用の例文集を作った。右側に日本語、左側に英語という形にしていた。「電圧装置」みたいに切れっ端じゃ なくて、文まるごと載せた。
例えばこんな感じだ。B4の紙に「これは本です。 This is a book.」と書いてあるのを読ませる。口の動きが本当によくなると、英語を隠して、日本語を見て英語の文を言わせるっていう練習をやっていた。その頃の 例文集を使ってたのはN書店の娘二人だったな。
その二人はお盆になって帰省してきた時に、なんかのきっかけで言い出した例文集の例文が二十も三十も口をついて出てくるって言うんだよ。
村田 お経みたいに。
根石 その続きはこうだよ、って言い始めるとまた二十も三十もずらずらと出てくるっていうんだよ。そういう感じで文を身体に入れていた。そのうちの一人は アメリカへ行って帰って来て、今は長野県の県立高校の英語の先生をやってるんだな。
でもなあ、俺の中ではホームプラザNじゃなくて住んでいた家でやっていた気がするんだよなあ。住んでいた家の中で例文集をやらせていたっていうイメージは 残っているんだよ。
その後、ホームプラザNも追い出されて、W鉄工所でやるんだけれど、この頃は、家賃を二箇所に払うのが気持ちの上できつくて、いやになってな。W鉄工所を 引き払って、小島の住居で塾をやり始めた。でもN書店の子どもたちがやってた時期と照らし合わせると、どうも時期が合わないような気もするんだが…。とに かくあちこちに移動していたから、自分の中でも照合できない。
学校の教科書ではなく、塾の例文集を作って、それに基づいて「電圧装置」を作るっていう形でやっていた時があるはずなんだが、どの場所でやっていた時から どの場所でやっていた時までだったかはよくわからない。
あるいは中村でやっていた時にすでにその形でやっていたのかもしれないな。中村では湿式のコピー機を使っていたのは間違いないし、「電圧装置」をやってい たのも間違いないんだ。その時に塾専用の例文集ができていたかはわからない。
それで、W鉄工所の時だと思うんだけれど、自分で辞書を作り始めたんだ。五つの単語でできてる文があれば、五枚の紙に同じものを書き込むわけだ。それを繰 り返していくと、一つの紙の中に同じ単語を使ってある例文が集まってくるだろ。
村田 ああ。     



テープ起こし(素読舎の教材の使い方)3  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時43分7秒

根石 ただそれだけの辞書なんだよ。それは新しい文を解析というか、説明する時に、もうすでに子どもが知っている文を参照するための辞書なんだ。ここまで やった子どもは何と何が身体に入っているなんていうのは、全部覚えきれないだろ?こういう辞書を作って、例文集の番号で管理していれば、この番号の練習を している子はこの文はもう知っている、っていう風に照らし合わせができるわけだ。それを作ろうとして、5〜6cmの厚さのバインダーを二十冊くらい作った んじゃなかったかな。自作の辞書を机の上に並べておいて、自分で歩いて手製の辞書を調べて、書きこんで、っていうことをやっていたんだけれど、ギブアップ したんだよ。書き込む手間がなまじじゃないし、同じ文を何箇所も書き込んでさ。確かに出来てはくるんだけれど、二十冊じゃおさまらない。まだどんどん増え そうな勢いだったからな。
辞書だけで机二つ分くらい占拠しちゃっていて、しかも辞書を全部開けるわけじゃない。積んでおいて、抜き出して、開いて、書き込んでということをやってい ると、広い場所を取ってしまうんだ。これは無理だぞ、とてもじゃないができない、と思ったんだ。
でも、こういうものを作りたいという構想だけはあった。学校の教科書を使っていると、四年に一回書き換えられてしまうから、学校の教科書をもとにして教材 を作ったら、四年経つと作った教材が全部使えなくなってしまうだろ?だからこんなものに付き合ってられないと思って、塾専用の例文集を作った。教材を固定 したわけだ。初出の文に子どもが出会う時、その子どもはすでにどういう文が身体に入っているかを参照したかったんだ。参照が自在にできれば、この種の教材 は作れる、という構想だけはあった。辞書を作り始めてから、ギブアップするまで、全部W鉄工所の建物の中で起こったことだ。
自宅で塾を始めた頃かW鉄工所でやっていたころかは覚えてないけれど、その頃、MS-DOSが登場したんだ。コンピュータがMS-DOSを使えば文書の処 理ができるというレベルになった。要するに実用レベルになった。そしてそのOSに応じたアプリケーションを作る会社が世の中に出てきた。その時に「友子の 情報」を買ったんだよ。
「友子の情報」については、コンピュータの雑誌の紹介記事を読んだんだけれど、何をやるソフトなのか、いまいちピンと来なかった。「一太郎」なんかと同じ ようなDTPソフトかと思っていたんだ。それは全くの見当違いだったんだけれどな。あれはテキストファイル管理のためのソフトなんだな。何百万何千万とあ るテキストファイルをみんなひとつのソフトの中にデータベースとして入れておいて、それぞれのテキストファイルに検索語を自分で与えておくわけだ。そこへ 検索語を入力して検索すると、その検索語を含んでいる複数の文章がピックアップできる。検索語は複数与えておくことができる。十個でも二十個でも。そのう ちのどれか一つにぶつかれば、その文章がひっぱり出されてくる。だから、カード型データベースみたいなものだよ。カードの一つの大きさが変幻自在という か、小さくても大きくてもいい。テキストファイルであればいい。
「友子の情報」を買った当初は、「ああ、こんなもの買っちゃったよ」と思ったんだな。俺はDTPソフトを買ったつもりだったんだから。あの頃は標準のフォ ントなんてものはなくて、ゴチックの字一つ出すにもえらく苦労したんだ。
でもいじっているうちに、「待てよ、これは使えるぞ」と思った。一旦ギブアップした自作辞書を作る作業をこれを使って電子化したらどうかと。それでできあ がったのが、例の「基礎問題集」だ。「基礎問題集」は本当に長いこと作っていたよ。三年だったか五年だったか。毎日、一日のうち平均して四時間や五時間は コンピュータの前へ座って作ってたんじゃないか。その続きが「700選」の解析だったな。
村田 「ABCD」を「基礎問題集」の後にやったと聞きましたが。
根石 そうか?
村田 「基礎問題集」はハードルが高くて、その前に来るものが必要だったと。
根石 ああ、それは富士通のオアシスっていうワープロ専用機で作った覚えがあるな。
それで、「友子の情報」を使って作り始めた教材が、今の、「WZエディタ」で作っている教材の原型だ。W鉄工所でやろうとしてできなかったことが、できる ようになった。それからたくさん教材を作ったな。「基礎問題集」を作り終わってその続きとして「700選」の解析、その後何やったっけなぁ…。     



テープ起こし(素読舎の教材の使い方)4  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時53分3秒

村田 「1100」っていうのがあったんじゃないですか?
根石 「1100」っていうのもあったよな。要するにそれらは受験用の教材なんだ。「1100」の後は「長文読解」につながっている。全部合わせるとばか でかい教材だ。相当な時間を使ってあるよ。「基礎問題集」を作り始めてから「長文読解」を打ち止めにするまで。ここまでやればどこの大学でも受からないと ころはない、っていうものを作った。実際に全部使ったやつはいない。東大に受かったやつがいたけれど、その時はまだ「長文読解」はできていない。「基礎問 題集」すらできてなかったんじゃないかな。

村田 そうですか。

根石 そいつのことは個人的に見てたからな。市販の長文読解用のテキストを買ってきてさ。汎用の教材はできていなかった。「基礎問題集」を作り始めてから 「長文読解」を作り終えるまで、10年くらいかかったかねえ。そのくらいかけたと思うな。その後は家を作ったりしていて、あんまり教材は作っていなかった のかなあ。

村田 私が来たと時はMS-DOSで教材作りやってましたよ。多分「1100」だと思うんですが。

根石 そうか。まあこれだけ作っても全部使うやつはほとんどいないんだよ。後半部分なんか使うやつがいない。「基礎問題集」をやるやつはいるけれど、 「700」をやるやつが果たしてどれだけいるんだ。その後の「1100」なんか10年に一人出てくるかどうかのもんだ。でも教材だけはできているぜ、とい う体制は作ったわけ。
 それでやってみて、確かに大学は受かるんだ。でもおもしろくないのはさ、受かっちゃうと、みんな英語をやめちゃうんだな。続けるのもぽつぽつはいるけれ どな。いないわけじゃないんだけれど、多くの連中はやめてしまう。
 その頃だな、「電話でレッスン」を始めたのは。もう10年くらい経つんじゃないかな。
「電話でレッスン」の始めは、テキストを生徒に選ばせていたんだ。複数の映画のシナリオを使ってたんだよ。五冊も六冊も。これはとてもやりきれない、と 思って、「ゴースト」一冊にしぼった。学校の教科書を使うのをやめて例文集に固定したのと同じようにな。一冊にしぼってしまえば、そこで教材が作れるわけ だ。最初は「ゴースト文法解析」という名前だったけれど、その後「イメージ核受肉教材」という名前にした。これを作り始めたのがいつだったのか…覚えてな いなあ。小島の家で「電話でレッスン」をやっていたっていうのは覚えているんだが。     



テープ起こし(素読舎の教材の使い方)5  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時56分8秒

根石 大学受験までの教材はひとまずこれ以上作らない。
「基礎問題集」「700選」「1100」「長文読解」とつながっていく大学受験までの教材の全体の量と、今「ゴースト」の文法解析から始めて、途中に大学 入試レベルのものを混ぜて、時事英語っていうか、取引英語っていうのかな、英字新聞の記事なんかをチャンポンに混ぜ込んであるレベルのところまで来ている けれども、その量を較べたら、どっちが大きくなっているのかっていうのはちょっとわからない。
 以上が今まで作ってきた教材のほぼ全体だな。それ以外にもうんとあるんだよ、いろいろ。一種の例文集みたいなものも別の形のものも作ってみたり、作って 捨てたものも相当あるんだ。作って試してみるっていうのは何回かやっている。これだったら使える、これだったらいける、というのは「友子の情報」を見つけ てからだな。例文集を内部に持っていて、教材を作れば作るほどデータベースのデータが増えていくということだ。そういう形で作ってきたものの大きな流れ が、「基礎問題集」から「長文読解」までで一つ。それと「ABCD」「ゴースト」「大学入試レベル」「七年目の浮気」「時事英語」がもう一つの流れだ。
「ゴースト」の解析から始めた流れっていうのは、もう大学入試にはとらわれてないわけだ。受験制度の枠の中で使う教材として作ってあるわけじゃない。受験 の外側にいる人、実際に英語を使って仕事をしている人だって使えるものにしてしまいたいというのがあって、だからそういう人が使っても手応えがあるんじゃ ないか。Naimaさんが使ってた頃は、「ゴースト」解析をやっていただけだから教材が簡単すぎたと思う。今だったら十分使えるんじゃないかと思うけれど も。
 ただ、例えば英検1級の人が「電話でレッスン」を10万行あたりから始めたとしても、初出の文ばかりで使いにくいと思う。途中で「ジャンプ」して飛ばす 場所があっても、初めから使っていくように作ってある。
今の教材は「ゴースト」から作り始めたけれども、その前の部分に新く作り直した「ABCD」をくっつけたから、これは小学校三年から使える。そこから実務 英語・時事英語というところまでつながる。一本道をずっと歩きつづければそこまでつながっているという教材の全体の骨格は現れてきている。全部仕上がった わけではないけれども。こちらの方は受験という風にして考えたんじゃない。受験を超えてしまっている。受験に対応はできるけれども受験専用じゃない。そう いう性質のものとしてできあがってきているものだ。



テープ起こし(素読舎の教材の使い方)6  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 4日(木)14時57分48秒

根石 それをどう使うかの話だけど。
 例えば「ABCD」の部分だと、塾では日本語で文法的な説明なんかを書いてある部分を子どもがそのまま読むだろ?英文まるごとと日本語が対置してある場 合、日本語を一回読んで英文を五回繰り返すだろ。基本的なやり方は「電話でレッスン」でも変わりがない。「電話でレッスン」の場合はつっかかるところが あっても、一回すらすら読めればそれでOKを出して次から次へどんどん行くと。音もある程度仕上がっているというか、あるいは本人が出そうとして、その音 がはっきり意識されている、だけどうまく口が動かないっていうレベルでもOKを出す。教材を使っているうちに、波状的に何度も同じ文が繰り返し出てくるか ら、そのうちに段々音が仕上がっていく。最終的に仕上がればそれでいいんだというやり方でやってるから、かなり荒削りながらも進んでいく。
 「ABCD」も、まだできたばかりだから、塾の方でも「電話でレッスン」の方でも、始めの方を使っている人は一杯いるけれど、後半はまだ誰も使っていな い状態なんだよ。「ABCD」の後半が終われば「ゴースト」に接続していくわけだけれど、「ABCD」の残り三分の一くらいは「ゴースト」の文なんだよ。 また、「ゴースト」の方にも「ABCD」の初めの方の部分をからめてある。だから「ABCD」と新しい「ゴースト」をやった人が出てくれば、もとからある 「ゴースト」は「ジャンプ」をかけてしまえばいい。
 始めたばっかりの人っていうのはさっき言ったように、日本語も何も全部読んでいるわけだ。それも「ABCD」の後半になれば、もう日本語の部分は読まな くてもいい。英文丸ごとの部分だけ拾っていって、五回繰り返す。この使い方が「ゴースト」以後の使い方だ。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月 7日(日)23時52分44秒

以下、データベース用雛形です。

1------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
3,D,○

ネイティヴ,学力低下,

会話がダメなのは、ネイティブに接しないからだというわけで、昭和六二年(一九八七年)から、JETプログラム(語学指導などを行う外国青年の招致事業) がスタートした。今では、全国で六三〇〇人ものネイティブがAET(Assistant English teacher) として中学高校の英語授業を手伝っている。
 ではこの結果どのような効果が実際に出ているのかということである。最近の若い人は英語ができるようになった、と漠然と思っている人が随分いるようであ る。しかし、驚くべきことに事実はまったくその逆なのである!若者の英語力ははっきり低下しているのである。下手になっているのである。その証拠がある。 TOEFLという国際的な英語力のテストがあるが、一九九七/九八年に、日本はアジア最下位に転落したのである。もともと下位グループにいたのであるが、 とうとう最下位となった。その後も同じような位置にいる。
 TOEFLが必ずしも各国の英語力水準を反映していないとか何とか言う前に、注目すべき絶対的に重要なポイントがある。それは日本の順位が次第に低落し てきて、ついに最下位に落ちたという傾向的な事実である。多くの人が期待をよせ、また文部科学省が公式に採用している会話重視英語教育法は、このような惨 憺たる結果をもたらしているということである。

2------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
5, ,○

受験英語,

『国際派日本人養成講座』(http://come.to/jog) という週刊のメールマガジンを主宰されている伊勢雅臣さんは、その一九九号で拙著を紹介してくださったなかで、これは・・・・・・     


村田君、データ2  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月 8日(月)00時01分53秒

2------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
5, ,△

受験英語,

『国際派日本人養成講座』(http://come.to/jog) という週刊のメールマガジンを主宰されている伊勢雅臣さんは、その一九九号で拙著を紹介してくださったなかで、これは自分の留学経験とも一致するとして、 次のような解釈を述べている。

「アメリカで夫の留学に同行してきた奥さん方を観察すると、大学入試で受験勉強をした奥さん達は短期間に比較的まっとうな英語を話せるようになるが、高卒 で受験勉強をしていない奥さん方は、いつまでもブロークンな英語しか話せなかった。この違いを生んでいるのは、頭の善し悪しではなく、受験勉強で一度は英 文法と格闘したことがあるかどうか、という事なのである」



データ3  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 8日(月)22時30分21秒

3------------------------------------------------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.19
18, ,○

植民地, 苦手

Duffyさんの、「NHKラジオ英語講座でほとんどの番組のアメリカ人のイントネーションが異常にハイテンションで凄く変です。」という投稿に対しての 記事からの引用。

====================
 私は中学に入学した年、学校の先生に勧められてNHKの基礎英語を始め、すぐにやめました。英語のイントネーションのハイテンションがいやだったので す。「母音付きの単音」を単位にしている日本語の音になじんだ私の耳は、英語の子音の連続が作るテンションの高さに違和感を感じたのかもしれません。その 頃はまだテレビが普及しつつある時代で、世の中にやたらに英語の音が聞こえているということはありませんでしたので、とりわけ違和感は強かったです。田舎 でしたから、FENなども聞こえませんでしたし・・・。
 一般に、英語という言語の音韻構造がテンションの高い方に向かいがちであるということは言えると思います。そこへ、アメリカの文明の(例えば大量消費 の)「躁状態」なども中学生の私の耳は重ねて聞いていたのかもしれません。
 今や、文明のレベル自体は日本も「躁状態」となり、日本語のテンションが高くなりつつあるという感覚が私にはあります。昔の若者はこんな甲高いしゃべり 方はめったにしなかったなと、近頃の若者同士の日本語のイントネーションを聞いている時に感じます。「母音付きの単音」でそれをやるので、現代日本語には 音韻的なきしみが生じているという感じも持ちますが、古い日本語を保存している人間の耳がそう聞いているだけのことだと一蹴されるかもしれません。しか し、若い人でも、「躁状態」でなくて話しているときは、日本語の基本、「母音付きの単音」で話しています。ハイテンションの日本語を使う人が英語が使える というわけではないのですが、この背後には、英語という言語の浸透があるのではないかと考えています。日本語にこのハイテンションが現象しはじめたのは、 私の記憶では「帰国子女」たちが若い人の中に混ざり始めた頃からでした。
 わたくしごとに戻れば、中学一年生で英語のハイテンションに羞恥を感じた人間が、現在、日本人の英語の「音づくり」なんかをやって母音を削ったりなどし ているのですから、奇妙なもんです。
 私は「音」から英語に入った人間ですが、「耳」から入ったのではなく、「口」から入りました。自分の口を動かして音読し、その音を徐々に英語の音に近づ けるという過程によって、羞恥心をやわらげていくうちに英語が面白くなりました。これは初心者向きの方法として、誰にも勧められるものだと後で気づきまし た。羞恥心によって、英語から遠ざけられている人は意外に多いのではないでしょうか。特に大人の男たちに多い気がします。
 大人の男たちに、私の「電話でレッスン」はいいんじゃないかと思っておりますが、やはり女の人の方がためらいが少ないですね。異言語に対する羞恥心は女 の人の方が薄い。傾向としてそう言えると思っています。     



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月 9日(火)00時16分2秒

データ番号は全角です。
私の方でも、データをつなげて蓄積する作業をやります。
そちらはそちらでやっていて下さい。



村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月 9日(火)00時18分42秒

ゆっくり母さんに作っていただいたおっかさんの会にリンクするよう、タイトルの下を加工して下さい。



4  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月 9日(火)01時20分35秒

4------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
6, ,△

受験英語がそのまま使える英語でないなどというのは当たり前のことである。使える英語、というレベルからすると、よくて七合目、せいぜい5〜6合目程度の ものである。この程度の英語力が即使い物にならないからといって、これをけなすのはまったくの見当外れなのである。高校の普通の英語授業レベルでは、使え る英語の二合目、三合目程度にしか行かないのが現実である。(略)高校までの教科書に出てくる単語数が、二三〇〇語であることを指摘しただけで、なるほど そんなものかと分かっていただけるかと思う。一万語は知っていないと新聞を不自由なく読むことができないが、その二三%しか習わないのが普通の高校の英語 である。     



根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年12月 9日(火)01時49分15秒

データ番号は全角になおしました。

「素読舎母の会・井戸端掲示板」にリンク、了解です。     



語学論データベース・5  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月19日(金)15時06分39秒

5------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
7, ,○

今一番感じていることは「英会話幻想」は「使える英語」習得の敵である、ということである。この幻想から自由になることが、まともな英語教育、効果的な英 語学習を考えていくためには絶対に必要な前提である。おかしなものを取り除けば道は見えてくるはずである、というのが私の考えである。



語学論データベース・6  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月20日(土)13時41分50秒

6------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
17, △

 この表ははなはだショッキングな事実を教えてくれる。読解力はあるが、会話ができないというのが日本人の英語力であると一般的には思われている。しかし それはとんでもない大錯覚であることがわかるからである。会話力に近い聴き取り能力では、韓国とはまったく同じ、中国とは若干差があるがそれほどの開きは ない。(略)さらに読解力では日本五〇に対して、韓国五四、中国五七とさらに差が広がっている。ちょっとやそっとの差ではなく、完全な有意差が存在してい る。要するに、日本の学生が決定的に劣っているのは読解力である、という事実である。
 どうしてこれほど重要な事実を英語教育者、そして文部科学省は認識しないのであろうか。不思議で仕方がない。(略)ある英文学の教授は「他の国に比べ TOEFLの成績が悪いのも、しっかりした発音の基礎、とりわけ聴解能力ができていないことに主な原因があると思われる」(西村和雄編『教育が危ない3』 (略)日本経済新聞社、77頁)などと現実とは正反対のことをはっきりと書いているありさまである。それを誰も怪しまない。
 (略)多くの学者がそうだが、私が直接説明した文部科学省の担当官も、まともな反応を示さなかったのである。日本にはびこっている「常識のウソ」「英会 話幻想」「誤れる英語教育改革幻想」の根強さにはほとほと呆れかえったものである。     



語学論データベース7  投稿者:村田  投稿日:2008年12月20日(土)20時22分18秒       通報

7------------------------------------------------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.23

32, ,○

 初心者の定義一つでも難渋しますね。

私>私が初心者と思っているのは学校を出て(中
学、高校、大学どこでもいいです)それから何か
の必要性を感じて英会話(ここが根本的に根石さ
んと違うと思います)学習を再開しようとしてい
らっしゃる方です。私は早稲田大学教授の矢野安
剛先生の「やり直しの英語上達法」での提案をそ
ういう人々に奨めています。(後略)

 「学校を出て」ですが、これに大した意味はないと思います。中学の文法が知識段階でなく、センスとして動くようになっているというような言い方なら、一 つのレベルを確定します。一流大学を出ても、先日私が書いた「初心者」のレベルをクリアしてない人はたくさんいます。
 本当に、英語に関しては、「学校を出た」などということは意味がありません。学校は多くの人が避けられないので、学校へ行くならしょうがないが、文法で も発音でもいいが、どれだけまともに身についているかだけが問題です。知識が知識のままにとどまっている間は、「身についている」とは決して言うわけにい きません。
 浜谷さんはあくまで「英会話の初心者」を初心者としておられますが、英語の磁場のない場所(日本)では、「英会話の初心者」は結構ハイレベルな読みの力 を持っているような人になると私は考えています。日本という土地では、フリー・トーキングなんぞはほとんど意味がない。フリー・トーキングが多少なりとも 意味を持つのは、下地を持っている人の場合だけです。
 日本では「英会話」をやりたいと思うなら、結局、語学をやることになります。あるいは、語学で下地を作り一定のレベルに達することが必要になります。こ この認識は、日本人に深く染み込んだ英会話という迷信によって、いまだ一般的には英語学習者が踏まえるに至っておりません。日本の英語がなさけないのはそ こです。

 学校英語、受験英語はまるで語学たりえていない。

 浜谷さんは、浜谷さんご自身がなんと言おうと語学をやった方です。
 以上のことを踏まえて、「初心者」を定義したかったわけです。     



語学論データベース8  投稿者:村田  投稿日:2008年12月20日(土)20時29分34秒

8------------------------------------------------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.27

61, ,○

 若かろうが年をとっていようが、保身を先だてる先生は、中間・期末のテストに間に合わせるための授業をします。中間・期末に間に合わせる授業をしている だけで、保身ができて、食いっぱぐれがないのが、現在の学校の教師という職業です。とりわけ、公立の学校は税金泥棒の巣です。点数をはじきだして、順位づ けなどやってるが、そんなことで生徒に力がつくわけではない。しかし、そんな仕事でも忙しくやっていれば、めでたくも麻痺できて、なにか実質のある仕事だ と思いこむことができるのかもしれません。「学校」などというものの外側に位置していたおかげで、私は「そんなものに実質はねえよ」と言い続けることがで きましたが、しかしまあ、放言を続けるのも疲れる。

 保身をやる者が先生の多数であるというような事情は、国家資格のあるなしの違いだけで、塾の世界も同じです。
塾のほとんどが受験制度・成績主義にたかる蛆虫です。学校の内でも外でも、受験制度と成績主義にたかっていれば、蛆虫としてなら生きていかれます。決まり 事の「処理」をやり、肝心なことは生徒の「家庭学習」に押しつけるのが、蛆虫たちの特徴です。この根本にあるのは、個々の生徒の能力はあらかじめ決まって いるという許し難い思想です。そんなことは絶対にありません。こちらがやること次第で同じ生徒がまるで違う展開をみせたりみせなかったりします。     



語学論データベース用  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月28日(日)13時28分19秒

9------------------------------------------------------
柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社)1980.8.21初版

79(80),素材,?

内面が内面として存在するということは、自分自身の声をきくという現前性が確立するということである。ジャック・デリダの考えでは、それが西洋における音 声中心主義であり、その根底には音声的文字(アルファベット)がある。プラトン以来、文字はたんに音声を写すものとしておとしめられてきたのであり、意識 にとっての現前性すなわち「音声」の優位こそ西欧の形而上学を特徴づけているというのである。

(根石メモ)自分自身の声をきくとき、文字は見ていない。素読は、「文字を見ながら」。子供、文字と音声の一致以前。



語学論データベース用  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年12月29日(月)06時18分0秒

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らくだ「掲示板・大風呂敷」(teacup) 2008年12月28日


>「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるように思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強 い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰 く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」とか。

しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま す。