何で「磁場」なんて言ってきたんだろう?  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 6月 7日(土)01時36分23秒

根石 近頃はさ、まあ、夜中の12時頃だけど、英語の仕事終わると、そのまま素直に寝れるんだ。一風呂浴びてから寝るってこともあるけど、そのままへたり 込むみたいにというか、泥の中に転がり込むみたいに寝ちゃうときもあって。百姓やり始めたおかげで、朝方まで起きてるってことがなくなってきて・・・
村田 今はもう起きてないんですか。
根石 寝ちゃってることが多いな。体くたびれるからなんだけど。英語のレッスンがない日でも百姓はやって、夜になるとお湯に行って長々と入ってくるから、 レッスンやる日より余計眠れる。
村田 温泉に入って眠くなる・・・。亀の湯ですか?
根石 そう、亀の湯。昼間、雨かなんか降ってると、とっておきの湯=国民温泉だな。最近は百姓やりながら、思ったり考えたりしていることが多くて、考えた ことを書きとめとくとか、それをきっかけにして何か書き始めて展開していくことが全然できないって状態なわけだ。だから、喫茶店で何か村田君を相手にしゃ べって、それを簡単にテープ起こしして、「大風呂敷」用の語学論の記事にしてみたいというのを考えついたわけだ。だけど、この間、夜寝れなかった時があっ たから日録書いたけど、あれは何時頃書いたか、夜中の2時か3時頃だったような気がするけど、書きたくなればああやって書くこともするけど、前に、「英語 どんでん返しのやっつけ方」でやったみたいに、村田君を相手に何かしゃべって、テープ起こしするみたいなやり方が、百姓仕事と組み合わせていくにはいいか なと思っているんだ。松岡さんに吉本隆明の「状況への発言集成」っていう三冊本を送ってもらって読み始めて、布団に横になって寝る前に読んでるんだけど、 読み始めるとすぐに寝ちゃう。だから、一冊読むのにものすごく時間かかる。一冊読むのに10日とか下手すりゃ20日もかけてる。
村田 いつもはどのくらいで読むんですか。
根石 そりゃたてつづけに読んでれば、一日で一冊読んじゃうようなこともあるよ。だけど、今はそういう読み方ができない。それから、ここ1、2年は、ごみ の問題で時間をとられてきちゃったんだけど、つくづくくたびれたというか、語学論の方をもっとやりたいって気持ちがある。
村田 掃除とか洗濯しながら、ネタを思いついたんで書きとめてあるんですけど・・・
根石 あ、書いてある?
村田 「大風呂敷」の方にはまだ書いてなくて、メモとして書きとめてあるだけなんですけど・・・
根石 そうやって書いてくれたりして、何かきっかけでも作ってくれれば、それをきっかけにして俺も書くってことになることもあるだろうけど、今はそれもま まならないなあ。あのさ、俺の言ってきたことで「磁場」ってのがあるじゃん?
村田 はい。
根石 そんな「磁場」みたいな言い方したところで、「それがいったい何なんですか?」みたいな反応ばっかりだという感じがある。
村田 そうですね。
根石 自分で「磁場」ってことを言い出したんだけど、自分でも「これでいったい何を言ってきたのかな」と思うときもあるわけだ。先に核になることを言っ ちゃうと、これ、言語が「生きてる」とか「死んでる」という問題を言ってるんだと思うんだよ。言語が生きてる場所ってのを「磁場」って言ってきたわけだけ ど、そこに生きてる言語ってのは、「話し言葉」であったり、「書き言葉」であったりするわけだ。で、どうなんだろう、「話し言葉」ってのは、俺が言ってる 「磁場」に、もろそのまんま「生きてる」。それに対して、「書き言葉」ってのはさ、「磁場」が人間の意識にとりこまれた後のことっていうかさ・・・
村田 はあ。
根石 だって、「書き言葉」なんて、普通一人だけでやるもんじゃん。だから、「話し言葉」の中で一番「書き言葉」に近いのは「独りごと」だよ。
村田 はいはいはい。
根石 「独りごと」ってのは、現象的にはあくまでも「話し言葉」だけど、相手もいないし、第三者もいないし、社会的な広がりと重なってるものとしての「磁 場」に対しては閉じてるわけだ。歴史的にはどうだか知らないけど、一人の人、個人ていう場では、「話し言葉」が「独りごと」化して、次に「書き言葉」にな るような気がする。で、「書き言葉」には「磁場」はないのかっていうと、明らかに「磁場」はあるんだ。だけど、「磁場」が生じる場所っていうのは、あくま でも一人の人間、個人の意識という場所だけだよな。一人の意識の中に「話し言葉」の体験の堆積で濃縮された「磁場」というのかな。意識が「磁場」そのもの なんだよ。
村田 うん、うん。そうです。
根石 それまでの生活過程とか育ってくる過程とか、話し言葉や書き言葉を全部含めた上でのあらゆる言語体験とか、そういえば、「読み言葉」ってのもあるし な。
村田 「読み言葉」?
根石 「読み言葉」や「聞き言葉」は、「発語」じゃなくなるわけだ。「話し言葉」に対して、「聞き言葉」が成り立つように、「書き言葉」に対して、「読み 言葉」ってのが成り立つ。おおまかに言えば、これまで「話し言葉」って言ってきたもののレベルには「聞き言葉」も含まれてるよとか、「書き言葉」って言っ てきたレベルには、「読み言葉」も含まれてるよってことになるけど、四つをわざわざ別々に考えれば、「話し言葉」や「書き言葉」は、あくまでも発語の言葉 であって、「聞き言葉」や「読み言葉」には「発語」ってのはないわけだ。

(続く)     



イメージについて  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 6月11日(水)10時22分13秒

根石さんと村田さんのweb対談、こういうの待ってました。『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)を読み返しておりますが、師弟の掛け合いが とても良いですので。

今、なぜ『英語どんでん』を読み返しているかと言いますと、「イメージ」というものについて、どう書いてあったかを確認したかったからです。しかし、今回 のweb対談もそうですが話のレベルが高いです。『どんでん』におけるイメージについての話も。

レベルが高いと感じるのは、私が外国語学習の過程において、イメージをわしづかみにできるようになった経験がないので、実感を伴って読む事ができていない からだと思います。それはそれで、仕方のない事ですので取りあえずよしといたします。

当面問題に感じているのは子供への説明の仕方についてです。息子の普段の練習について、根石さんから「イメージしながら書く」という作業を勧められたこと に関してです。なるほど、と理解した気になっていたのですが、いざ実際に息子に説明する段になって、はたと気付きました。「イメージしながら」って、どう 説明すればいいんだろう。

appleは赤くて丸くて甘酸っぱくて...と、『どんでん』に書いてあるような説明はできそうです。モノでなくても、単語なら何とかなるかも知れませ ん。「最初はこじつけでも良くて...」とか「haveだったら何かモノを持っている場面を想像するとか」「じゃあ、教科書のI have a question Ms. Millerのhaveは?」「おー、そうか。モノとは限らないな。イメージを修正すれば?最初はこじつけでも良いって、そういう意味だよ。修正すれば良 いよ。そういうのこれからもジャンジャンでてくると思うよ」

という感じでしょうか。しかし、文の場合が良く分からないのです。イメージ=日本語訳でないことは確かだと思います。なので、レッスンでも訳の丸覚えに陥 らないための手を打たれているということだったかと思います。とすると、一つ一つの単語のイメージをくっつけて出てくる何か?でもないですし。何と表現す れば良いのでしょうか?

そのために「日本語訳先渡し」があり、イメージ=日本訳よろしく訳の丸覚えをするのではなく、一旦、訳を媒介として文全体が「こういうことを言ってる」と 諒解し、それを取りあえずのイメージとする、という感じになるでしょうか。

つまり説明としては「その文がだいたいどんなこと言ってるかは分かるんだろ?その、だいたいの意味を思い浮かべながら何回か書けばいいんだよ」といった説 明で問題ないでしょうか?

適切な説明をしておかないと、何も考えずに手を動かすだけに終わってしまうような気がします。「言いながら、書きながら、イメージする」。ことば面は簡単 そうですが、なかなか奥が深い行為だと感じます。     



イメージについて  投稿者:sb  投稿日:2008年 6月13日(金)20時28分26秒

(らくださん)>日本語訳でないことは確かだと思います
「イメージしながら」って、どう説明すればいいんだろう。

逆に「どんなことがイメージに浮かぶ(頭に浮かぶ)?」と聞いてみるというのはいかがでしょう

返事がなければ下にあるようならくださん自身のイメージを使ってご本人がイメージするのを助けるのがいいと思います。訳語というのはイメージを助ける道具 にはなると思います

イメージに含まれているらしいこと

説明(日本語、英語、ジェスチャー。。。)

数字
写真

同じ単語を含む別の例文や映像
対象となるテキストを読む速度に緩急をつけることも本人がイメージしやすくなるきっかけになるかも

ありとあらゆることを利用して本人がイメージします
ただしそのイメージは本人にしか分かりません
本人以外が理解するためにはコトバを含むなんらかのコミュニケーションが必要です     



らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 6月14日(土)01時49分21秒

>根石さんと村田さんのweb対談、こういうの待ってました。『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)を読み返しておりますが、師弟の掛け合い がとても良いですので。

 ありがとうございます。あの頃の調子をとりもどせるものかどうか、なんとか、しこしことやっていこうと思っておりますので、続けてお読みいただけたらう れしく思います。

>当面問題に感じているのは子供への説明の仕方についてです。息子の普段の練習について、根石さんから「イメージしながら書く」という作業を勧められたこ とに関してです。なるほど、と理解した気になっていたのですが、いざ実際に息子に説明する段になって、はたと気付きました。「イメージしながら」って、ど う説明すればいいんだろう。

 これ、私も生徒さんに「イメージしながら」ってどういうことなんですか?、とか、どういうふうに?とか聞かれることがあるんですが、どんぴしゃの説明が できません。ですが、ある一つの英単語について、「こんな感じだな、こんな感じの単語だ」というときの「感じ」というものが感じられれば、それでいいんで す。それがイメージの誕生です。これは、「感じ」ですから、すでに「訳語」ではありません。しかし、この「感じ」というやつを、「説明」によって生徒の中 に生じさせることは本来的にはできません。説明可能なのは「概念」であって、イメージではなくなってしまうと考えています。生徒が「こんな感じ」というも のを感じることによって、勝手に自分で動き出すものがイメージであり、説明によって了解したもの(概念)とは違うものです。抽象語はイメージと概念とが限 りなく近いと思っていますが、中学生が扱う単語には抽象語は多くないので、「こんな感じ」っていう「感じ」をつかむのが肝心ととらえていいと思います。

>appleは赤くて丸くて甘酸っぱくて...と、『どんでん』に書いてあるような説明はできそうです。

 これも甘くて丸くてというように言葉にして説明してしまうと、すでにイメージではなくなってしまいます。甘くて丸いああいう感じのあれ、っていうのが、 息子さんの中に自発するかどうか、それを感覚として持つかどうかが肝心なことになります。これは外在的に教師なりコーチなりが持たせることはできません。 生徒において初発がないとイメージにならないと思います。説明すると、初発ではなくなってしまうわけです。

>モノでなくても、単語なら何とかなるかも知れません。「最初はこじつけでも良くて...」とか「haveだったら何かモノを持っている場面を想像すると か」「じゃあ、教科書のI have a question Ms. Millerのhaveは?」「おー、そうか。モノとは限らないな。イメージを修正すれば?最初はこじつけでも良いって、そういう意味だよ。修正すれば良 いよ。そういうのこれからもジャンジャンでてくると思うよ」

 こじつけでもいいというのは、訳語(日本語)を媒介にして「イメージ」を作るので、その「イメージ」が英単語の本来のイメージと比較した場合にずれが生 じたり、夾雑物が混ざったりすることは避けられないということを言っていたつもりです。だから、「ずれ」や「夾雑物」を恐れる必要なひとつもないんだとい うことです。「ずれ」なんかを気にして、自分なりにイメージしないでいたら、理論的には、いつまでたっても本来の英単語のイメージ核に迫ることが始まりま せん。
 英語の「磁場」で生活すれば、「磁場」がイメージすることを強いるので、話は別になりますが、日本語の磁場で日本語を使って暮らしている場合は、英単語 のイメージというものは(個の意識という最小の<あるいは最大の>場で)強引に持つべきものとなります。
 なにはともあれ、自分なりに「こんな感じ」というのを感じるしかないわけです。その場合に、日本語の訳語がきっかけになります。あくまでもきっかけであ り、媒介物です。英単語に即してイメージそのものが生じて動くようになるということは、媒介物(日本語・訳語)を脱皮してイメージが動き出すということと 同じです。しかし、これは「説明」ではどうにもならないものだと思っています。一個人の中で、とにかくそれが動き出すかどうか、媒介物を脱皮するかどうか が肝心なことですから。
 説明可能なのは、語の概念や語と語の関係(文法)などで、それらの説明は私のレッスンでもしておりますが、イメージそのものは生徒が自分で自分の中に初 発させる以外にありません。
 以上、本質論です。以下、方法論です。
 レッスンで可能なのは、「イメージが生じやすくする」ということです。これこそが私のレッスンがねらっている最大のものです。訳語を与えたり、文法の説 明をしたりしていますが、レッスンを継続していただくことによってもたらされる果実は、本当はイメージが生じやすくなる状態というものだろうと思っていま す。イメージが生じやすくなるように、英語をやってごつごつする意識を道普請します。しばらくの間、説明は必要であり、生徒の側の混乱も必須なのですが、 レッスン継続の厚みがもたらす、「こなれ」が鍵になります。初めのうち、どうもなんとなくあやふやな対応をしていた生徒が、しっかりと文の構造を踏まえ て、語をイメージするようになるのに二年くらいかかります。。
 これに関連するのが、「音とイメージの二律背反」というものです。言い方は難しそうですが、実は簡単なことで、音や発音に気をとられていれば意味なんか 考えていられないということです。意味にばかり気をとられていれば、音がいいかげんになるという逆の関係もあります。後者は学校英語によく見られます。
 で、私がどうしているかと言えば、まず音を片付けてしまう。文まるごとの音全体を絶えず扱い、個々の音をなおしたりしながら、文まるごとの音がなめらか にはっきりと出ている状態にまで持ち込みます。このために「復習範囲を手放さない」わけです。何度でも復習して、読み(音読)が「こなれ」た文について は、生徒は個々の単語を非常にイメージしやすくなってきます。音に気をとられないでいいし、文全体の中に置かれた個々の単語は、文構造の理解からイメージ が充填されるということも生じます。音に気をとられなくていい状態を作るのに2年くらいかかるのと、文構造が理解され、語がイメージされるようになるのが 2年後くらいになるのは、内在的に関連しているはずです。音に気をとられなくていい状態になるのと、文構造の理解がしっかりし、イメージが動き出すのが同 じ頃だということです。それが、中学生の場合は2年くらいというレッスン時間の厚みだろうと思います。
 私のレッスンでこの2年を耐えた生徒が、ある学校のあるテストである点をとります。私のレッスンを受けた子供と同じ得点の子供がいた場合、私の生徒の方 がまず間違いなく実力があります。それは、多くの生徒がわけがわからず英語をやってるにすぎなくなる高校入学後にはっきりしてしてきます。私の生徒が高校 入学後にわけがわからず英語をやってるにすぎなくなることはありません。これまでにそれはありませんでしたから、これはもう断言してしまいたいと思いま す。
 matsu さんのお子さんは現在中学2年生ですが、1年生のときからレッスンさせていただいています。レッスンを始めた当初、なんとなくおおづかみにしている(日本 語訳を覚えている)が、文構造にもぐりこんではっきり理解しているわけではないという状態が続きました。この状態は放っておくと、理解できないという状態 につながっていきますが、最近になって、はっきりと理解している手応えが生じています。混乱の期間は割と短期間でした。はっきり理解し始めたことが、まだ 学校のテストの点には反映していないようですが、遠からず反映してくるだろうと予想しています。
 らくださんのお子さんの場合は、今、混乱が生じていると思います。これは良い兆候なんです。私のレッスンがなければ、混乱はもっと小さいものであったは ずなんですが、お子さんにとっては、今、混乱が大きなものと感じられている時期だと思います。ここのところはまかせておいていただきたいところなのです。 ストレスにならないなら、混乱が続いているのはいいことです。
 あらかじめ外在的に整序された秩序(文部省制定の文法の学年割りなど)ではなく、混乱や混沌からのみ生まれる秩序というものがあります。ほんとの秩序と いうものは本来そういうものだろうと思います。役に立つのはこっちであり、文部省なんかが作った外在的秩序では決してありません。小学生から始めていただ いたので、混乱が長引いているということがありますが、これはいい作用としていずれ作用し始めます。

>しかし、文の場合が良く分からないのです。イメージ=日本語訳でないことは確かだと思います。なので、レッスンでも訳の丸覚えに陥らないための手を打た れているということだったかと思います。とすると、一つ一つの単語のイメージをくっつけて出てくる何か?でもないですし。何と表現すれば良いのでしょう か?

 訳のまる覚えが役に立たなくなるようにするために、いわゆる「直訳」をやらせています。
 文法的な理解は、理解ですから、頭の作業が多いと思います。学校英語はこればかりやらせるわけです。イメージし、イメージと音(文字)を合体させるの は、頭脳の作業だけではないと思います。(脳生理学がどう言うのか知りませんし、脳生理学につべこべ言われようとどうしようと、比喩的には)胸に抱くこと ができるか、腹で納得できるかどうかというような、(比喩的ですが)首より下がかかわってくる作業ではないかと思っています。
 最終的には、文まるごとで一つのイメージが生じるようなことになるわけですが、今は、ここに至るための道普請をやっているところです。個々の単語にもつ きあうし、文法の理屈にもつきあうし、構造を感覚的につかむことにもつきあいますが、最終的にはそれらが溶けて一つのものになっていきます。レッスンはそ れが成立しやすくするための道普請です。
 不遜に聞こえても構わないので言ってしまいたいのです。これをもろそのままやっているレッスンは、おそらく私のものが唯一です。柴田さんの優れた学校で の実践でも、音づくりとイメージと構造理解と文法理解が溶けて一つになるまでの面倒は見ていません。私は、週一回30分のレッスンでそれをやっています。 柴田さんと私とで、どっちが「生徒まかせ」が多いかは、見る方向によってどっちにもなります。
 私が学校の授業をやれば、多分、柴田さんとはまったく違うことをやります。ネイティブ音との接点の面積は広いほどいいにしても、私はあれほどにネイティ ブ音をモデルとして、生徒に同一化させるということはやりません。教科書ガイドを読めばそれでいいとはとうてい思えません。ガイドの質があまりにも低すぎ ますから。
 私がやっているのは、道普請を続けて、イメージが動き出すようにすること、理解もイメージも構造把握も溶けて一つになることを生じやすくすることです。 柴田さんの学校のように超優秀な生徒ばかり集めて、東大合格何十人を売りにすることとはまるで違ったことをやっています。そのことを言うのに、柴田さんは おとなしい羊を相手にしているが、俺が相手にしてるのは、暴れる泥だらけの山羊なんだと言ったことがあります。
 百点満点で話をすれば、柴田さんのいる学校に集まる生徒は、80点90点をとる生徒です。私の生徒は、20点30点の生徒もたくさんいます。20点30 点の生徒を50点60点にし、70点80点にするわけですが、そうやって20点くらいから始めて、80点くらいになった生徒は、しばしば、柴田さんの学校 の90点以上よりよっぽど実力があります。
 道普請は続けていくわけですので、徐々に道は平らになっていきます。その過程で、生徒には「イメージしながら一つの文を繰り返しいっぱい書くように」と 言います。この言い方はいつも同じでいいと思っています。こまかく説明しても、説明は無力だと思っています。

 息子さんが高校生になった頃に、スカイプを使って、ゴーストの解析から始まっている「イメージ核受肉教材」を息子さんと一緒に使われることに再度お誘い したいと思っています。スカイプを使えば、電話代はまったくかかりませんし、レッスン代金一人分で二人でレッスンを受けていただけます。レッスンに参加し ていただけば、言葉数を多く費やして私が語学論として言っていたことは、なんだこんなことかとか、なるほどそうかとか、きわめて簡単に納得していただくこ とがいくつもあると思っています。是非ご検討下さい。

 また、しばらくの間は、息子さんの英語は私にあずけっぱなしにしておいていただくので大丈夫だとも思っています。     



sbさん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 6月14日(土)17時08分58秒

コメントありがとうございます。

早速、「イメージしながら書くんだって言ったけど、イメージするってわかってる?」と聞いてみたところ、「planeだったら飛行機を思い浮かべてるけ ど」と言っておりました。ただ、書きながら声を出しつつさらにイメージするのは難しくてできないとも。なので、書いた後に声を出しながらイメージするよう にしているとのことです。



根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 6月14日(土)18時20分18秒

詳細なご説明、ありがとうございます。

>しばらくの間は、息子さんの英語は私にあずけっぱなしにしておいていただくので大丈夫だとも思っています。

はい。英語の実力をつける、という面については根石さんにお預けしておけば間違いないと思っております。ただ、それとは別に、これは英語に限らない事です が、そろそろ机に座って一定の時間を過ごす事も身につけさせたいと思っております。自分が中学生の頃にできていたかと言われれば返答に窮しますが、これは なかなか難儀です。

難儀なので、多くの親御さんは塾に行かせる事でそういう時間を作るわけですが、私はそれをしたくありません。そこで、週に1度のレッスンに関連づけた自己 練習を1日30分でもするようにすれば、力を蓄えつつ習慣もできて良いのではないかと考えています。

そしてこの自己練習について、「イメージしながら書く」ことを奨められましたので、それで行くことにしました。自己練習のメニューも、息子が自分で工夫し てできるようになるまで、できれば根石さんにお任せできないかと思っております。その時の状態に応じて、必要な指示を与えていただければと思います。そし て、できれば息子に伝えていただくだけでなく、掲示板にも書き込んでいただけると助かります。

イメージについてですが、私は単語や文のイメージを説明しようと考えたというより、イメージするということがどういうことなのか、について何らかの説明が 必要かと思ったのですが、根石さんのご説明を読み、そういう説明も必要ないことがわかりました。

「書いてみてどう?」と聞いたところ「手が痛い」と言っていましたので、腱鞘炎にならないよう注意してやるぐらいで良いのだと思います。