NOVA元社長を逮捕 社員積立金3億円流用 投稿者:外野。 投稿日:2008年 6月25日(水)02時56分7秒   通報
2008年6月24日(火) 東奥日報 ニュース

■ NOVA元社長を逮捕 社員積立金3億円流用

写真

 経営破たんした英会話学校NOVA(破産手続き中)で昨年7月、福利厚生用の社員の積立金約3億2000万円を流用したとして、大阪府警捜査2課は24 日、業務上横領容疑で、元社長猿橋望容疑者(56)=大阪市天王寺区生玉町、経理を担当していた元次長村田利彦容疑者(49)=奈良市大宮町=を逮捕し た。

 捜査2課は、大阪市中央区の統括本部があったビルなど関係先数カ所を家宅捜索。業界最大手の英会話学校の経営破たんから約8カ月、経営者の刑事責任が問 われる事態に発展した。

 猿橋容疑者は容疑を一部否認、村田容疑者は認めているという。

 調べでは、猿橋容疑者らは昨年7月20日、福利厚生のためにつくられた「社友会」の積立金約3億2000万円ほぼ全額を、猿橋容疑者がオーナーで村田容 疑者が社長を務めていた「ノヴァ企画」の銀行口座に移して横領した疑い。その日のうちに受講生の解約返還金に流用された。
※写真=家宅捜索のため、NOVAの統括本部があったビルに向かう大阪府警の捜査員=24日午後6時47分、大阪市中央区

(共同通信社)



こんなコトバ見つけました。 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2008年 6月30日(月)23時24分19秒   通報
「人間はいったん生まれたら、帰るところはこの世界のどこにもないんだ」久間十義『狂騒曲』(角川文庫)

いささか強迫的だけど、たしかにそうだ。


こんなコトバ見つけました。 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2008年 7月 2日(水)17時11分20秒   通報
「幸福といふものはたわいなくつていいものだ。」草野心平詩集(岩波文庫)
たしかにそうだ。



書き換えていいでしょうか 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月 2日(水)23時50分39秒   通報
「人間はいったん生まれたら、帰るところはこの世界のどこにもないんだ」



「人間はいったん生まれたら、帰るところはこの世界の外側にしかないんだ」

またまた書き換えて

「人間はいったん生まれたら、この世界の外側に帰っていけるんだ」


草野心平さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月 2日(水)23時52分54秒   通報
そうですね。
心平さんにならって、酒場でもやろうかと考えております


根石先生へ 投稿者:片原 投稿日:2008年 7月 3日(木)19時14分36秒   通報
わかりました。
ありがとうございます。
明日のレッスンですが、実家に帰るので家の電話でレッスンを受けたいと思っています。よろしくお願いします。


英会話学校 投稿者:Jackie 投稿日:2008年 7月15日(火)15時19分23秒   通報
英語畑から離れている間に進化してますね。
既存の英会話学校に通う人は不景気ゆえに減っている模様。
講師をわざわざ地域の学校に派遣しなくても、その場でできるオンライン。
飽き時間を無駄なく、人件費節約。


生徒としても家であいた時間に出来るレッスン。
口の動きもわかるネット電話。通うよりは安いレッスン料金。
増えて行きそうです。

インターネットプライベートレッスン
http://www.online-lesson.jp/internet/lesson/
イーオンオンライン学習
http://www.perapera.co.jp/

書き取りドットコム。
http://www.kakitori.com/sample/select_kyouzai.asp

いろんな手段で気分を変えてお勉強できる。

力をつけるには
キーボードより、手で書くことのほうがやはり定着しやすいし
声にだして一人練習が基本ですけどね。


感想T 投稿者:巴里子 投稿日:2008年 7月17日(木)13時35分24秒   通報
 「暮らしの手帳」とても読み応えがあり、面白かったです。
 扉の絵いいですね。一生懸命にお父さんを描いた娘さんの眼差し、この位置に娘さんの小さい頃の絵を使った根石さんの心情が伝わりホロリとさせられます。 もちろん笑いも誘われました。
 各エッセイの内容はもちろんですが、題名の付け方がうまいと思います。「戦前への遅刻」これは秀逸です。奇妙な題名としか思えないのに、読み終えると 「なるほど」とうなってしまいます。まるで小説を読んでいる様な錯覚をおぼえました。
 随所にカタカナ表記があり、強調、婉曲、揶揄など微妙なニュアンスを感じさせて心憎いと思いました。「ミヤザキ様、オワダ様、コウタイシデンカ様」あた りを「キミノメグミゾ」のジイ様たちに読ませたら卒倒するのでは、根石節炸裂です。
 エロを書いていますが、さっぱりしてます。「ジェンダー」にがんじがらめになっている私ごときにはなんとも羨ましい限りです。
 まだまだ書きたい事がありますので後日「感想U」を書くつもりです。
 ご著書を下さった事、改めて感謝いたします。



国家主義者 ナショナリスト 投稿者:村田 投稿日:2008年 7月18日(金)01時04分8秒   通報
ナショナリスト(国家主義者)

根石さんの定義では国家に自己同一化することで自己が形成されている者。わたしもそう思う。
日本で、中国で、韓国で、今、ナショナリストがブームらしい。
実際に戦争に行ったじいさん達の世代には、むしろナショナリストの割合は少ないと思う。
ナショナリストの行き着く先は外交の破綻→最終的な外交手段としての戦争しかないと思うのだけれど、リアルな戦闘を体験していない世代のナショナリストに とっては、戦争は所詮ファンタジーあるいは過剰なイメージなのではないだろうか。
中国・韓国の「反日」、日本の「嫌韓」「嫌中」は所詮、戦争を体験していない世代の、リアリティを欠いたイメージの暴走でしかないんじゃないのだろうか。 リアリティを欠いたイメージ=妄想だけに、これはタチが悪い。
国家に自己同一化し、近隣諸国に憎悪(たぶん、これは近親憎悪)する者が増えることによって、笑いが止まらない人々っていうのが確実に存在すると思う。ナ ショナリストは、こういう勢力にうまく煽られているだけなんじゃないかと思えてくる。

国家がなくても、人間は生きていける。
「戦後の闇市」がその例だ、と根石さんは言う。混沌の中でも、人は生きていけるのだ。


巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月18日(金)04時34分53秒   通報
ご感想をありがとうございます。
詩集の方は、コピーはとれていますが、百姓仕事が忙しく、なかなかクロネコヤマトへ行けません。もう少しお待ち下さい。
続けてご感想をお願い致します。


草野心平の詩 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年 7月19日(土)16時33分56秒   通報
猛烈な天
血染めの天の。
はげしい放射にやられながら。
飛びあがるやうに自分はここまで歩いてきました。
帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。
仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
その突端にこそ自分はたちます。
半分なきながら立つてゐます。
ぎらつき注ぐ。
血染めの天。
三千年の突端の。
なんたるはげしいしづけさでせう。
(詩集『絶景』より)



(無題) 投稿者:ERI 投稿日:2008年 7月21日(月)04時11分44秒   通報
他国に侵略されても防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されても陵辱されても無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエゴで すなあ。
居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
誰にも相手にしてもらえない文句を垂れ流しながら百姓してりゃ、脳内がお花畑になるのも
理解できるが・・・。



詩は遠い 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月21日(月)05時48分28秒   通報
 人間社会における感性が決定的であり、先験的でないこと

 それはまるで自然がやるように決定的だ。
 だったら、社会を自然を見るように見ていていいのか。愚かしさは愚かしさのままであり、それは微点において(だけ)、改変可能であるのに。微点の改変だ けが、全体を動かすだけであるのに。



(無題) 投稿者:WWWI 投稿日:2008年 7月21日(月)06時01分23秒   通報
英語教育を否定(えらそうに)してますが、生徒は去り、変人扱いされても何の実績も残せせない。その現実を英語教育なり、社会に転嫁しています。学び手が (英語に囲まれる)環境にないからついてこれないのだと!
ある意味、引きこもりの言い分に近い。
こんなに優秀なのに誰もわかってくれないよー、的な。
苦労して作った教材だから傑作なんだ、的な。
その内、幸せになれるペンダントとか言い出しそうね。悪質な詐欺ね。
どうか被害者が増えませんように。



(無題) 投稿者:ERI 投稿日:2008年 7月21日(月)06時20分12秒   通報
ひきこもりが何を誰と話すんだ?WW
そりゃ一般会話が難しいだろう、引きこもりだから。語学論だの文法だのそれ以前の問題よ。
それでも、ありがたがる人がいるのかねえ。まあ、霊感商法や振り込め詐欺がなくならない
からね。


(無題) 投稿者:WWWI 投稿日:2008年 7月21日(月)06時41分53秒   通報
引きこもり英語塾はこちらですかあ?
不満と批判と自己弁護も押し付けられるそうですが?
ああ、幸福のペンダントもね。



(無題) 投稿者:WWWI 投稿日:2008年 7月21日(月)17時42分16秒   通報
日常会話優先がパンパン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
言い放つなんて!!!!!
朝日新聞すら支持しないだろう。無知の寝言以下だな。自身の思想に賛同しない他人を批判
してばかりでは会話(日本語でも)は困難だろう。語学論よりも先に日常生活を見直すべき
だね。
 まともな人として。



(無題) 投稿者:ERI 投稿日:2008年 7月21日(月)19時04分29秒   通報
単純だ。
自分の子供には良い教師に出会って欲しい。それだけだ。
至上の語学論より常識的、道徳的な教師に。自身以外をニセモノ、馬鹿呼ばわりしないまともな人に。自己中心でない人に。
 子供にはまともに育って欲しい。そんな人にならないように。



ERI・WWWIさんへ 投稿者:村田 投稿日:2008年 7月22日(火)03時10分51秒   通報
WWWIさんとERIさんのリモートホストが同じなので二人は同じ方だと見受けました。

2008/07/21 19:04:29 ERI (無題) d78.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.78)
2008/07/21 17:42:16 WWWI (無題) d78.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.78)
2008/07/21 06:41:53 WWWI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 06:20:12 ERI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 06:01:23 WWWI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 04:11:44 ERI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)


まず、わたしは最初の投稿の意味がわからないんです。

>他国に侵略されても防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されて
>も陵辱されても無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエ
>ゴですなあ。
>居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
>無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
>誰にも相手にしてもらえない文句を垂れ流しながら百姓してりゃ、脳内がお花畑になるのも
>理解できるが・・・。

これが投稿された意味がわからないんですよ。

>他国に侵略されても防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されて
>も陵辱されても無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエ
>ゴですなあ。

この掲示板のどこかに「無防備都市宣言支持!」とか「非暴力支持!」というようなこと書いてありましたか?どこにもないはずですよ。
なんでいきなりこんな記事が出てくるかなあと思うのですが…。

>居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
これは全然意味がわかりません。
素読舎が居候なんですか?
家主って誰ですか?

>無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
何を根拠にこう言われるかわかりませんが、結果はとっくに出ていますよ。わかりやすいところで言えば大学入試実績ですね。旧帝大・私立の有名どころは軒並 み合格してます。
英検1級パスした方はじめ、各資格試験についても実績があります。
でもほんとうの「結果」は、塾生が日本人としての立ち位置を見失わずに、使える英語の基盤が自分の力で作れるようになっていくことだと私は思っています。

で、何を根拠に、結果が得られない理論と書かれるのですか?



ERI・WWWIさんへ 2 投稿者:村田 投稿日:2008年 7月22日(火)03時12分52秒   通報 編集済
>英語教育を否定(えらそうに)してますが、生徒は去り、変人扱いさ
>れても何の実績も残せせない。その現実を英語教育なり、社会に転嫁
>しています。学び手が(英語に囲まれる)環境にないからついてこれ
>ないのだと!
>ある意味、引きこもりの言い分に近い。
>こんなに優秀なのに誰もわかってくれないよー、的な。
>苦労して作った教材だから傑作なんだ、的な。
>その内、幸せになれるペンダントとか言い出しそうね。悪質な詐欺ね。
>どうか被害者が増えませんように。

素読舎が英語教育を否定してるわけないじゃないですか。
英語を教えている塾ですよ?

逆にお聞きしたいのですが、
・黒板に書いた訳をただ写させたり
・CDの音を聞かせて、たいした説明もなくマネしろと言ったり
・きちんとした音作りもせずに一斉に音読させたり
・たいしたインプットもせずにひたすら問題集を解かせたり
・…
まだまだありますが、このようなことをやっている学校教育から、いったいどれだけの人間が英語をモノにしたというのでしょうか。
わたしらが問題にしているのは、こういう、役に立たない場所のことです。「英語教育」自体は否定してませんよ。


>学び手が(英語に囲まれる)環境にないからついてこれないのだと!

どこからこういう物言いが出てくるのかわかりませんが、わたしたちはこんなことは一言も言ったことがありません。
こういうことを言うのは、むしろ学校とか英会話学校でしょう。
留学しちゃえば生きた英語が身に付きますよ!なんて言って。

わたしたちの考え方は、ERI・WWWIさんの言い方に即すならば、「(英語に囲まれる)環境」に直面した時のための準備をし続けるということです。

ERI・WWWIさん、もっと日本語をきちんと読みましょうよ。塾長の文章は長いけれど、論理はきちんとしているので、普通に読めば、少なくともERI・ WWWIさんのように逆の意味になるような読み方は、まずできないはずなんですが。

以降はERI・WWWIさんが自分で仮定したことに自分でツッコミ入れてるだけですね。ひとり相撲って言うんでしたっけ。

幸福のペンダントって、何ですか?



ERI・WWWIさんへ 3 投稿者:村田 投稿日:2008年 7月22日(火)03時14分38秒   通報 編集済
>日常会話優先がパンパン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!
>朝日新聞すら支持しないだろう。無知の寝言以下だな。自身の思想に賛同しない他人を批判
>してばかりでは会話(日本語でも)は困難だろう。語学論よりも先に日常生活を見直すべき
>だね。
>まともな人として。

これはたぶん、次の文章についての投稿ですね。

>  日常会話ほど難しいものはない。
>
>  文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また俺たちがだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時は、日本は今 よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大人になって、問題をまき散らすだろう。
>  日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて、Hello と言っていた当時の子供と違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言って、ア メリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
>  日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。

これを読んでどうして
>日常会話優先がパンパン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!
という読み方になるのか、さっぱりです。
塾長の文章を読んで、「もっとやわらかい書き方の方がいいのに」という人はいますが、ERI・WWWIさんのように論旨を捻じ曲げて受け取る人はなかなか お目にかかったことがありませんよ。

上の塾長の文章の論旨は、ざっくり言えば「日常会話ほど難しいものはない」ということですよ。
ERI・WWWIさんもリモートホストから推測して、おそらく日本在住の日本人だと思います。
日本人が日本語で日常会話をするのは当たり前のことですよね?また、イギリス人が英語で日常会話をするのもまた当たり前です。
じゃあ日本在住の日本人が、英語で日常会話をするのはどうか。これは難しいですよ。
なにしろ、英語で人生を体験してこなかった人が、英語で考え、英語で自分の気持ちを語るんですよ?
ありえないですよ。それでも「日常会話」をやるっていうなら、じゃあその「日常会話」の正体って何かっていうと、決まり文句の組み合わせってことになりま せんか?これが終戦直後のギブミーチョコレートとどこが違うかっていったら、違わないですよ。

それでも、まだ決まり文句の組み合わせならいいんですが、ほんとに日常会話ができてしまう場合はむしろ深刻な問題です。小学生のうちに、生活が英語に取り 囲まれているということだからです。
これがアメリカやイギリスなんかの英語圏ならいいですが、ここは日本です。その子の自我形成や思考の軸足は日本語なのか、英語なのか。どっちつかずの、あ やふやなものになってしまう場合が必ず出てきます。そして、うすっぺらな「英会話」だけぺらぺら口から出てくる…。たかが(あえてこう言いいます)外国語 のために、子どもの精神をぼろぼろにしていいんでしょうか。
小学校における「いきいきした英語」が本当にあるとしたら、こういう悲惨な状況になる危うさを知ってくださいということですよ。

>子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!

こどもに英語を触れさせたい親御さんに馬鹿なんて言ってませんって。
「いきいきした」とか「いきている」とかいう言葉に反応して、それがどういうことか想像せず、手放しで肯定している人に対して馬鹿と言っているのです。



村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月22日(火)03時52分6秒   通報 編集済
 ご苦労様。
 できるなら、村田君の自分の語学論として育つような論争になることを願っています。
 一見、語学論に見えなくてもそんなことは気にする必要はありません。

 私は、陸稲が草にやられているので、今日も草を刈らないとなりません。申し訳ありませんが、孫悟空をやっていてくれると助かります。村田孫悟空が、村田 猪八戒になるところを目撃できるかもしれないと思って見学させてもらいます。

 一箇所、「見に付く」の誤植がありました。

 それと最近の村田君の投稿で、投稿者名が「根石さん」になっているものがありました。訂正をお願いします。


ERIさんへ 投稿者:ちい 投稿日:2008年 7月22日(火)07時45分36秒   通報
私は根石さんを支持していますよ。
もっとよく根石さんの文章を読んでみて下さい。


北朝鮮は6カ国協議で日本を批判 投稿者:自由主義者 投稿日:2008年 7月22日(火)10時09分56秒   通報
http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p004.html#page43

日本における朝青龍のいじめ方はただ事ではない



根石くん 投稿者:ERI 投稿日:2008年 7月25日(金)23時35分19秒   通報
大変そうですなあ。諸物価値上がりのご時世ですから。
さて小生が申し上げたいことは語学論ではありませぬ。世に溢れる英語教材を否定出来るほど知識はありませんから。
ズバリ、人格です。
過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。(思い出したくないでしょうが)
そして今、社会との繋がりを絶ち引きこもり状態のままで英語(手段としての)を売る、教えるのは、恥を知れ!と言いたい。

田村さん、貴殿とは意見交換するつもりはありません。
ああ、村田さんか。



ERIなる者の投稿について 投稿者:村田(管理人) 投稿日:2008年 7月26日(土)01時56分42秒   通報 編集済
「大風呂敷」読者の皆様へ。

ERIなる者の投稿がすぐ下にあります。
(わたしがリモートホストを晒したからか、わざわざ別の端末から書き込んでいます。)

この投稿について、根石さんと話してみました。
根石さんは、これまでにクレームを受けたことなど一回もないとのことでした。
ERIの書いていることは、事実無根の悪質なデマです。
だいたい、
>過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。
というようなことはありえないのです。「クレームに対して開き直り圧力だと罵」るなんてことは、根石さんの書いていることを読んでいれば、それはしない、 とすぐわかるはずです。どこぞの民主主義をカサに着たような団体の人じゃないんだから、「圧力があった」なんてことはまず言わない。この文章はERIなる 者の自己投影でしょう。
また、ERIなる者は、「ズバリ、人格です。」とでも書けばダメージを受けるとでも思っているようですが、根石さんは常日頃、「俺は人格でなんか生きてき たんじゃない、職人として生きてきたんだ。」と言っています。英語職人にとっては、人格なんてものよりも、「腕」の方がずっと大事なのです。
腕はまったくしょぼいけれど、人あたりと人づきあいだけはいい大工がいたとして、そんな大工に誰が家を作るのを頼むでしょうか。同じく人あたりはいいけれ ど、腕のない医者に、体をあずけることができるでしょうか。
ERIなる者には、そういうことを理解する能力がないようです。

当初私は、少しは語学論にかするかもしれないと思い、最後までERIなる者の相手をしてみようと思っていました。
しかし今回、このERIなる者は、ただ誹謗中傷したいだけだということが判明しました。
こんな者は、こちらから御免蒙ります。


この掲示板の管理者は、根石さんではなく、村田です。
このERIなる者は、語学論の意見交換をするつもりがさらさらないことを自白しております。
また、ERIなる者の意図が誹謗中傷だということがわかっています。
この掲示板にとって、害なす者以外の何者でもありません。
わたしは管理者として、以後、ERI及びWWWIの投稿は自動的に削除することにします。

皆様、ご承知ください。



ERI ちゃん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月26日(土)02時21分1秒   通報
>ズバリ、人格です。

 「ズバリ」って、カタカナが笑える。おう、「ズバリ」ばっかやってりゃいいじゃねえかよ。
 人格?人格なんか俺にあったんか?「人格」を(たかが)塾をやってる人間に要求する人々がたくさんいることは知っている。そんなものを押しつけられるの が嫌で、わざわざ非人格者としてふるまってきたという自覚ならある。
 俺は、国家資格を持つ教師じゃない。俺は、腕一本で生きてきた職人だ。おめえなんぞに人格をつべこべ言われてたまるか。職人の腕と人格はおんなじもん だ。

>過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。(思い出したくないでしょうが)

 「生徒に厳格に接し」はまったくその通りだ。勉強するつもりで塾に来ている子が勉強するのを脇から邪魔するようなくだらない根性はさんざん見てきた。塾 を使って、英語が面白くなって、もっと知りたいという状態を邪魔するわけだ。ERI というちんぴらの根性と何の変わりもない。
 「恐怖を植え付け」に関しては思い出すことがひとつある。わがまま放題に育ってきた中学生の女の子をどなりつけたことが一度ある。その子は、その場で昏 倒した。俺は指一本触れたわけじゃないが、言葉だけで昏倒した。俺はびっくりした。そのことが俺の塾の歴史での最大の事件だった。そのことについて、親か らクレームはなかった。そもそも、はっきりと俺にクレームをつける親がこれまでいなかった。蔭でこそこそと悪口を言う人はかなりいるんだろう。それだけの ことだ。でたらめを並べても駄目なんだ。俺にクレームをつけて、開きなおられた親がいたっていうんなら、その親を連れてきてくれ。ああ、あれ、クレーム だったんですか?って思い出すかもしれねえから。

>そして今、社会との繋がりを絶ち引きこもり状態のままで英語(手段としての)を売る、教えるのは、恥を知れ!と言いたい。

 「社会との繋がりを絶ち」? アホか。「手段としての」? 金儲けの手段としての、という意味か? アホか。「引きこもり状態」? 俺がいつ引きこもっ ているんだ?(実はたまにひきこもるけど、おめえなんかの知ったことか) 俺は、毎日外に出かけなきゃならねえんだ。事実無根を並べても、ちんぴらは楽し いんだろう。恥を知れは、こっちの言うことだ。

 これで最初で最後だ。馬鹿らしくておめえなんぞ相手にしてられるか。
 村田君と話して、この掲示板におめえは出入りしなくていいってことにした。



巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月26日(土)02時58分47秒   通報
高清水、うまいですねえ。
新政もうまくて腰がありますが、割とよくある味だと、酒味音痴は思いました。
高清水は、なんでこんなに柔らかいんだろう。
俺は柔らかい酒は嫌いだぞと思っていたけど、高清水はいい。
こんなに柔らかくて、しかもうまい酒は飲んだことがないと思いました。
詩集ってもんも、出しておくもんですね。


暑中お見舞い申し上げます 投稿者:Naima 投稿日:2008年 7月26日(土)03時48分7秒   通報 編集済
根石さん

>Naima さんは、この掲示板に出入りしたせいかそうでないのか、どんどん英語から離れていってしまわれたようです。

英語からどんどん離れて行ってしまっているのは事実ですが、大風呂敷に出入りしたせいではありません。英語はやればやるほど母国語との溝が深くなるばかり と言うか....失恋してしまったような感じですわ。

英語を教えていたころは、それでも仕事として勉強を続けねばという強い義務感みたなものがあったのですが、英語講師の仕事を辞めてしまうと、その気持ちも 萎えてしまいました。何よりも磁器上絵付けの勉強にのめり込むようになってしまい、今は絵付けの勉強で手一杯、頭一杯になっています。絵付けの勉強にあ たっては、ドイツ語がどうしても必要なので、このドイツ語で素読舎方式を試して、その経過をご報告しようと何度もお約束しておきながら、それも中途半端に 終わってしまっています。面目ないことばかりです。申し訳ありません。

さて、私のホームページですが、これは絵付け教室を始めるにあたって、友人が好意で作ってくれたものです。管理も友人がやってくれています。

ERIという投稿者、ERIOtさんの周辺の方ですかねぇ。いつれにしろ大風呂敷を長く「愛読」して来た方のように見受けられますが...

また書込みに来ます。



Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月26日(土)04時35分51秒   通報
 午前3時過ぎに、ネットなんかやってるのは、世間一般からすれば、奥様として不良ですよ。
 不良とチンピラの差を昔から考えていますが、浪速ではどんなふうなんでしょうか。私の考えでは、不良は相手にして、俺が教えてもらえることがある、チン ピラは駄目。チンピラはアメリカのブッシュと同じで、「否定」に支配されてる。いや、チンピラと不良という語は入れ替えてもいいんです。生きて判断してる 者にはその差ははっきりあると思うのです。
 だが、割と ERIなんてお子は、チンピラ風の不良なんかもしれねえと思ったりして、迷うことしきりです。今のままだと、相手にする暇はねえよ、ってことです。
 で、ひとまずは「出入り禁止」です。

 なんにせよ、Naima さんが書いてくれたってことは、Naima さんが今でも「大風呂敷」を読んでいてくれるということなので、私としては、一度庭に出て、夜空を見て、ああ、浪速のおなご、と思ったことでした。
 ERIを名乗る者は、意外に私の家の近くに住んでいる者だと思っています。
 Eliot さんとは何の関係もない人です。

 英語をやればやるほど母国語との溝が深まる!
 その通りだと思います。
 だからやるんだと思います。溝を深めるために。コミュニケーション(笑)のために。

 失恋ですか。ううむ。私は最初から英語には振られていたと思っています。それは、私が存外に無垢だった時期で、その時期にさっさと振られていたと。アメ リカの文化も文明も、遠くのおとぎ話だったと。あこがれたことは一度もない、と。
 何のせいか、誰のせいかは知りませんが、私は守られていたのかもしれません。その守る力が(多分、「村」という共同体の力が)死んでしまって、それで、 今になって破れかぶれみたいになっているのかもしれません。

 Naima さんのホームページの色だけでいいからパクればいいじゃねえかと村田君に話しました。あれは、特別に作った色なんでしょうか? なんであんなにきれいなんでしょうか。



酔余二発目 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月 3日(日)02時46分32秒   通報 編集済
杉並病

日本の現代詩の第一人者は谷川俊太郎ということに、異論を唱えることはなかなか難しいことだろうと思う。
その谷川さんは、おやじさんの哲学者が残した杉並の家に住んでいるんだろうと思う。
その杉並の「田舎」にあたる井草だったか、畑が残っているあたりに東京都のプラスチックごみ圧縮用施設は建設され、有害なガスを発生させ、近くの住民を苦 しめた。
こうなりゃ、詩人も哲学者も糞もねえわな。
多分、谷川さんもガスを吸っているはずだ。
それで、谷川さんは、そのことには文句ひとつ言わない。言えば、ただちに政治の問題にかかずらうことになるから。それは一つの態度としてはいいものだと思 う。

詩人にプラスチック由来のガスをぶっかけるなよ。
日本国家めが。
アメリカ相手のパンパン国家めが。


日本陸軍 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月 3日(日)02時56分32秒   通報 編集済
のナショナリズムのぼんやりした根性は、鋳物師屋村に生き残っています。
今年後半あたりで、一発やります


根石さん 投稿者:巴里子 投稿日:2008年 8月25日(月)23時46分46秒   通報
 感想Tを書いている時点であれもこれも書きたいと思いながら、まとめられず、感想Uに回そうなどと簡単に考えたのがいけませんでした。時間が経つにつれ て、何を書くんだったかどんどん忘れていきます。いっその事、感想を書く約束自体をすっかり忘れてしまえればすましていられるのですが、そこまで頭が病ん でないようです。
 詩集と合わせて必ず書きますので、よろしくお願いいたします。



巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月27日(水)00時04分11秒   通報
よろしくお願いします。


世界を知る一冊。お薦めです。 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年 8月28日(木)09時17分43秒   通報
「富の独裁者 」(単行本)光文社 定価2300円+税
エイミー・チュア (著), 久保 恵美子 (翻訳)

副題「驕る経済の覇者・飢える民族の反乱」
帯文「わずか1パーセントの人間が豊かになるために、
   残りの人間が尊厳を失っていく。
   アメリカに支配された世界に未来はあるのか。」

古本で買いましたが、世界で起こっている様々な具体的な事実を知ることができました。その意味では、信頼にたる書物です。一読をお薦めいたします。
帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。
まさに、そのとうりではないかとおもいました。



片原さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月29日(金)21時27分24秒   通報
スカイプでつながりません。
実家の電話は留守電でした。
連絡をお願いします。


沖縄 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月30日(土)02時24分21秒   通報
嘉手苅林昌の歌は三味線に掻き消されそうに弱々しい。
だけど、声だけがふんばっている。
この弱々しさは、地元民謡歌手にはみられないものだ。
声だけが、「まだ」生きていることの証しのようだ。



無題 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月30日(土)02時29分44秒   通報
嘉手苅林昌はもう死んでしまいましたが。



福岡正信様 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月30日(土)02時32分58秒   通報
ご冥福を祈ります。
大百姓としては頑張った方だと思っております。
こむずかしいことを言って、ケムにまいたところが気にいりませんが、あなたの中に居座っていたのは間違いのないタオです。
私は私なりに、踏み間違えて行こうと思っております。
どうぞ、やすらかに。



馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月30日(土)02時42分8秒   通報 編集済
帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。

白土三平の「カムイ伝」をおすすめします。
今に始まったことではありません。


馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月 1日(月)03時14分30秒   通報
ご推奨くださった本、読みたいですが、高いですね。
古本で安くてに入った場合は、買って私に送っていただけたらありがたいです。送料はこちらで負担します。
私もブックオフで探してみます。
500円程度でみつかった場合は、090−4181−5912までご連絡下さい。



ネットの古本屋で 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年 9月 1日(月)11時00分17秒   通報
日本の古本屋
https://www.kosho.or.jp/servlet/logout
で、いま検索したところ、800円というのがありました。
ここで購入されたら、いかがでしょう。
入会手続きがありますが、ただパスワードを設定するだけです。
ここの古本屋さんは、良心的だと聞いています。


富の独裁者 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年 9月 1日(月)19時55分36秒   通報
アマゾンの中古商品には、400円くらいから、ありました。
アマゾンの古本の状態は信用できない、という話は聞いたことがあります。
直接ひとが商品を見ていないのだろう、ということなんでしょう。
で、「日本の古本屋」が信用できるということになったのです。
全国の古本屋さんが集まって作っていて、各古本屋さんからの直送なのです。
普段から利用している人から聞いた話です。参考まで。



むかし信州に居た幽霊 投稿者:上村保 投稿日:2008年 9月 5日(金)00時19分21秒   通報 編集済
私も相変わらず売文屋みたいなことをして飯を食おうとしています。
根石さんも相変わらず、近くの人から理解されず、大風呂敷を広げているようですね。
千代ちゃんがお嫁に行って、父親の名前は分かりませんが、ソウマちゃんという、おとこのこが生まれたようですね。私の長男の長女は今、水戸市に住んでいま すが、今年、小学校4年生になります。
私が水戸の長男のNTT回線に電話すると「ナガサキノじいじ?」と声だけで、分かる歳になりました。道理で、私も歳を食らい、世間からはよぼよぼの爺さん のように見える歳になってしまったようです。
マイクロソフトのワードを使って、殴り書きの記憶だけを頼りにして書いた文章があります。根石さんのパソコンへ送りたいので必要な事項、メールアドレスな どを教えて下さい。じぶんのパソコンのメールアドレスは設定してあるのですが、覚えていません。
パソコンの操作方法なども分かりやすく、教えていただくとありがたい、です。


上村さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月 5日(金)14時35分14秒   通報
上村さんの投稿名をクリックすれば、メールが出せる状態になっているのに気づきました。これを使って、個人用のメールアドレスと、この掲示板に公開するた めのアドレスの二つを送ります。


test 投稿者:上村保 投稿日:2008年 9月 5日(金)15時25分24秒   通報
aaa


社会の瞞着について。 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2008年 9月10日(水)15時14分15秒   通報
戦う哲学者の異名を持つ中島義道さんのインタビュウです。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no100.html



馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月12日(金)01時10分35秒   通報
ありがとうございます。


いい言葉 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月12日(金)02時12分20秒   通報
英語嫌い人さんに教えてもらったところを読んできました。いい言葉がありました。

------------------------------------------------------

努力してもだめなことはある。それを切実に語ることがない。生きていてもあまりいいことない、そう思い自殺するのも仕方ない。美を求めることからこそ人は 差別する。そうした考えをやめることはできない。人を愛することの大切さをよく耳にしますが、愛したのなら反面嫌いな人もうまれる。真理を求めれば求めな い人を軽蔑したくなる。つまり哲学が危険だというのは、真・善・美を求める道は悪ともつながっているからです



日本オワタ 投稿者:日本人全滅のお知らせ 投稿日:2008年 9月12日(金)14時35分17秒   通報
【三笠フーズ殺人米】発ガン率100%汚染米 データ置き場
http://www20.atwiki.jp/aflatoxin/

自然界における 最 強 の 発 が ん 性 物 質 アフラトキシンB1
(0.0015ppm = 10億グラム中に1.5グラムの濃度で、 100% 発 癌 ) に汚染された毒米が *10年以上に渡って* 食用として転売されていました。

私たちの毎日口にする お米 にはもちろん、子供も食べるおかきやお煎餅、団子やういろう、 ご主人が晩酌に嗜む 焼酎・日本酒・発泡酒 などに加工され、広く流通していた恐れがあります。
具体的な流通経路は未だに公表されていません。

× カビ
○ カビ毒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3

[毒性]

アフラトキシンは地上最強の天然発癌物質であり、
その毒性はダイオキシンの10倍以上といわれる。
主に、肝細胞癌を引き起こす原因物質として知られている。

http://www.asahi.com/national/update/0907/TKY200809070156.html

米販売会社「三笠フーズ」(大阪市北区)が農林水産省に、
「事故米を2割ほど、正規米に混ぜて出荷していた」と説明
三笠フーズが正規米との混合を認めているのは、カビ毒の
アフラトキシンB1が検出されたり、水でぬれたりした分で、いずれも「うるち米」



そうなんだな。そうだろうなっていう感じは前からあったけど。 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月13日(土)01時27分3秒   通報
三笠フーズ関係者は事故米の食用への転用について、「(同業者は)どこでもやっている」と証言している。このため農水省は、過去に政府の事故米を購入し た、ほかの16社についても、事故米をどのように販売したか詳しく調べる。(歌野清一郎、宮崎勇作)

日本人全滅のお知らせ様

記事ありがとうございます。
ここはおおざっぱに英語・語学論関係の掲示板にしております。
汚染米・毒米については、できましたら、「住環境に文句のある人々の為の掲示板」に投稿していただけたらありがたく存じます。
よろしくお願い致します


英語教育との類似点多い。 投稿者:パクパク 投稿日:2008年 9月13日(土)13時26分17秒   通報
ご無沙汰しています。
三笠フーズの問題は、英語教育と類似点が多いとおもいます。
官が介在しています。
事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。
糊として、工業的につかわれることのない事故米を非常に
高い価格で業者に払い下げしています。
業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。


馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月14日(日)00時57分1秒   通報
本届きました。ありがとうございます。
ネットで買ったんですね。最近は、神田や早稲田にはでかけないのですか。馬の骨様はちょくちょく行っているんだと思っていたもので、自分の本を探すついで に一冊買ってもらえればいいくらいに思っていたのですが、わざわざネットで探して下さったとわかり恐縮しています。
そちらから我が家に送るのに要した送料もお知らせ下さい。



パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月14日(日)01時21分14秒   通報
>事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。

 それに娑婆が気づいてくれないのか、気づいても素読舎をみつけるに至らないのか知りませんが、相変わらず私は貧乏しています。
 道教だのタオだのと、村田君と話をして大風呂敷を広げました。素読を原理とする方法は、アメリカ由来の近代的な学習法ではありません。東洋の伝統に根ざ したものです。英語そのものはアメリカ伝来、イギリス伝来で結構だが、それを受け止め、消化し、こなす方法は、日本の文化の厚みの中からみつけ出さないと 駄目だと思っています。
 それが、日本人が英語をやって、毒まみれ、農薬まみれ、コミュニケーションまみれ、グローバルまみれにならないで済む唯一の方法ではないかと思っていま す。唯一などというと不遜なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私はそのくらいなことを言って娑婆との間に軋轢を生じさせていく以外に、今 となっては生きていく方法がみつかりません。

>業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。

 農林水産省はこの毒米の流通に責任があり、文部科学省は、毒英語(将来使い物にならない英語なのに受験生を苦しめている英語)の流通に責任があります。 まともな語学論から見れば、日本の民衆に対して、文部科学省にも、法的責任、賠償責任があると考えます。
 おっしゃる通り、(英語が使い物にならないものとしてできあがることの)「因果関係がわからない」ので、文部科学省が蛙のつらにしょんべんを続けていら れるだけなのです。

 小学3年生くらいからやっても害にならず、理解に導くことができ、将来、花の咲く生きた種を持たせる方法として素読は有効です。これを官製の小学生英語 教育に対置してみたいと思っています。そのために、このところずっと、小学生用文法教材を作りつづけてきました。

 蛙のつらにしょんべんと、馬の耳に念仏ばかりの世の中ですので、小学生用にこんな膨大な教材を作ってみても、またがっかりさせられて終わりなのかもしれ ませんが、教材作りは私には業病みたいなものです。文部科学省にも娑婆にも「それでいい」と言う気がいまだまったくありません。



化けの皮 投稿者:Jackie 投稿日:2008年10月 1日(水)16時20分38秒   通報 編集済
アメリカの金融工学、実は金融詐欺だったと
やっと認知されるようになってきた。

やっとこさ・・。

日本の英会話幻想も、はがれてきている。

大枚をはたく大人の英会話、英会話学校は、
「いざなぎを超える大景気という不景気」になって影を潜めはじめ。

アメリカという国へ「憧れ」の幻想もなくなってきた。

それで、かわりにはびこる子供英会話幻想。

国民を大切にしない国の国力は落ちる。

そんな国の未来には言葉の植民地が待っている。

英語力、中国語力が、必要な時代になってくるのか。

やだなあ。



Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月15日(水)01時06分38秒   通報
>日本の英会話幻想も、はがれてきている。

あやつらの化けの皮は、ほんとうに因幡の白ウサギくらいに剥がれて欲しいと願っています。ただ幻想だけを売ってきたのですから、そりゃもうかりまっさ。今 後はできるだけ素読舎があやつらの丸裸に塩を擦り込んでやろうと思っています。

>アメリカという国へ「憧れ」の幻想もなくなってきた。

わたくしごとですが、かつて一度もアメリカに憧れたことがありません。文化には「憧れ」ってものを持つのにやぶさかではありませんが、「文明」なんぞに憧 れたことは一度もありません。だから、海を渡るんなら、ネパール、タイ、カンボジアに行きたい。その次はイギリスの田舎に行って、女の体の曲線みたいな丘 をながめたい。最後の最後にアメリカですが、ニューヨークくらいしか行きたいところがありません。ケンタッキーの友達のところにももう一度行くかもしれま せんが、ケンタッキーは無茶退屈なところです。

>それで、かわりにはびこる子供英会話幻想。

日本人はどこまでだまされたら満足するんでしょう?
馬鹿な母親どもは放っておいて、損してもらう以外にありません。

>国民を大切にしない国の国力は落ちる。
>そんな国の未来には言葉の植民地が待っている。

だけど、国家ってのは、国民なんか大事にしません。
日本というところの国力はもう十分に落ちているのではないでしょうか。
だけど、アメリカもいよいよいけなくなっていますから、日本はしばらくの間、さらにいけないでしょう。日本国家は、戦後ずっと従順なアメリカの妾をやって きましたから、いけなくなるのも自業自得ですが、俺たちに迷惑かけるんじゃねえよとは思っています。

大岡昇平の「俘虜記」を読み始めましたが、大岡もアタマの固い人で、読みにくいこと、読みにくいこと。

>英語力、中国語力が、必要な時代になってくるのか。
>やだなあ。

気が滅入ります。



ウイリアム・S・バロウズ 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年10月23日(木)22時05分35秒   通報
http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48009020/48009020peevee40875.flv



余生 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)04時26分57秒   通報
今後は、折口信夫を読みながら、ゆっくりと死んで行こうと思っています。

弟子にしようかと思っていた人が、先日一人死にました。

もう一人は、素読舎へ払う月謝をためて、ホンダのバイクに買い換えたのを覚えています。
今は、ハーレーです。

もう、いっぱい酒を飲んで、死んでいくに限ると思い始めてしまいました。

さようなら、さよなら
元気でいてね
若い二人はいつでも逢える
たとえ別れがつらくても
お嫁なんかにゃ行かないわ
待って、待って、待っているのよ
一人でいるわ
さようなら、さようなら
好きになった人


疲れて横になっていて、思いついて起きあがって書いたもの 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)16時28分35秒   通報
 何がいけないのだろうか。本質的な語学論をやること自体では食えないことはわかっている。しかし、それがあるから素読舎の塾生は力をつける。成果は出て いるが、それでも人は協力してはくれない。本質的な語学論をやっては駄目なのだろうか。本質的な力をもたらす教材など作っていては駄目なのだろうか。
もう長いこと、食えるか食えないかの境を歩いてきた。今も歩いているのはそこだ。

 カフェをやろうかと考えたことがあった。いや、今も考えていて、それに向けてごくわずかずつ大工仕事やコンクリ仕事は継続している。カフェはいずれやる のだろう。

@塾生がいなくなるまで、あるいは体が仕事ができなくなるまでやる。
Aカフェと両立させ、英語に注ぐエネルギー量を減らし、バランスをとる。
B一挙にやめて、英語に注ぐエネルギー量をカフェ開店に全部注ぐ。

 @からBの間を気持ちが揺れ動く。そのくせに、ふと気が付けば、教材のことを考えている。時間を作り出して、教材を作りたいと思う。頭で考えることと気 持ちの動きとがどこでどう食い違うのか、わけがわからなくなる。これは職業病なのだろうか。

 教材を作ってもそれほど多くの人が使うのではないのはわかっている。それなのに、しょっちゅう教材のことを考える。小学3年生くらいで使い始めることが でき、一本道をたどり続ければ、英検1級以上の人がさらに力をつけることのできるような教材。それが構想しているものである。
 小学生が使い始める教材の終端部分をゴーストの「イメージ核受肉教材」にジョイントするところまでやれば、再び英検一級該当、あるいはそれ以上の力を作 る部分の作成に戻るつもりでいる。生活が成り立つか成り立たないかという程度の生徒しかいないのに、こんなに膨大な教材を作ってどうするのか。自分の生活 のことを先立ててこんなものを作っていかれるものではない。何がやりたいのか。

 一本道を作りたいのである。白紙の初心者から英検1級以上まで、たどり続けさえすればたどれる道を作りたいのである。それができれば、英検の級なら級 で、人がどういうことをどれだけやればそこに至るのかの目安が作れる。そのことの意味がある。しかし、どうしても教材は膨大なものになってしまう。

 いずれフリーソフトのように世の中に開放してみようかとも思うが、自分の生活が成り立つか成り立たないような教材を開放することに何か意味があるのだろ うかとも疑う。

 「営業活動」をしなければならない。教材を作る時間を奪われる。泣き言を言いたくなる。
やめてどうするのだ。そう考えるときも、教材のことを考えるのである。やめたという行為の脇に、膨大な教材が残る。それは内的にはどんな風景なのだろう か。戦後の英語の虚妄というメタファにはなるのだろうか。


うろ覚え 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月27日(月)12時31分2秒   通報 編集済
さようなら、さよなら
元気でいてね
若い二人はいつでも逢える
たとえ別れがつらくても
お嫁なんかにゃ行かないわ
待って、待って、待っているのよ
一人でいるわ
さようなら、さようなら
好きになった人

 先日、酒でぐらぐらしていたら、ふいにこの歌が口から飛び出したのだった。
 読み返してみると、「若い二人はいつでも逢える」というところが余計な一行だと思えてならない。いつでも逢えるなんて具合に、そんなに簡単に逢えるもん じゃねえよ、と思ったのだ。
 私の場合は、「好きになった人」っていう単純明快なことではなく、その人の中に形成された英語力の元、その形成過程そのものなのだ。あんなに小さかった のが、こんなに大きくなったと思い、しかしそんな理由で練習をやめてしまうのだったら、まず間違いなく墓場行きだと思い、「さようなら、さようなら」とい う都はるみの高い声が胸に響くのだ。
 それはその度に身を切られるように痛い経験だった。「過程」を奪われることの痛さだった。死児を抱く哀しみとはそういうものだろうか。

 ついでながら、「お嫁なんかにゃ行かないわ」は、「磁場なんかにゃ行かないわ」となるのである。じゃあ、俺は、何を「待っているのよ」なのか。
 おそらくこれは理解されない単純な言葉だ。
 英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日を。



酒 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月27日(月)12時47分8秒   通報
 酒を飲んで掲示板に書くことが常態ですが、翌日になって後悔することが多い反面、そうかそういうことを言っていたのかと、自分の考えがはっきりすること もあります。
 先日書いた「大盤振る舞い」は、13万行という教材の行数と収入額の落差に愕然として生じたものです。この13万行の後半は使っている人が一人もいませ んが、作り続けてきました。
 日本の社会の成り立ちは、こういう仕事をする人間がなかなか食えないようにできているらしく思われます。
 パソコンのコピーとペーストを多用し、ところどころに自分の言葉で解析を加えていくのですが、コピー、ペーストを使ったところで、しょせん手作業です。 1万行作るのにどれだけへとへとになるかというのは、多分私の体が知っているだけです。
 泣き言はひとまずここらでやめておけと命じる声が自分の中にありますので、「大盤振る舞い」の解説にとどめ置きます。


詩を書きました。。 投稿者:足立和夫 投稿日:2008年11月 3日(月)22時35分29秒   通報
草男(くさおとこ)―出現
足立和夫



机の電話が呻きはじめ身が強張る
受話器をとると
声を吸い込んだままになってしまい
キョックキョックキョックキョック
 キョックキョックキョックキョック
酷くどもる 吃音
極東倉庫です がすぐにはでない
わたしのなかの草男がすべてのそとを
拒絶しようと明滅するのだ
しかたがないので
鼻をつまんで気絶してもらう
会社のひとたちは軽くわらう
わらって緊張をほぐそうとするのだが
歪んで硬くなった頬のなかで
喉のおくから無口がせりあがってくる
机のうえに視線がさまよい
わらいを放散できない
話しかけてくるのだが
耳のなかで沈黙が膨らみつづけていた
椅子からずり落ちた草男は
なにかを低く喚き
ここからの脱走をかんがえるが
すべての精気が硬直し痩せたままだ
穏やかに息をひそめ
五年間居て辞めた
草男の汁の飛沫と湿った匂いが
さらに濃くなって
空にのぼり蟠(わだかま)っていく
緑色の闇 耳鳴りの深い空
時間が中途半端にちぎれたままだった
幻影かもしれないが
尖った誤解はつねに悩ましい
まるで吃音のように
こころは怪物なのでたえず発情して
生きがたく逝きがたい
ほとんどの時間を眠り込んでいる草男は
草の声でいった
空にのぼる蟠(わだかま)りは
放っておけば夜陰の河に流れてそれですむ、と
沈黙のための用意もしてみたが
孤独の底に落ち着くには
生涯の終息はいつも近すぎる
草の声はいった
草の葉のしたで生き抜いてしまえ
うまく隠れた者がよく生きるから、と
現れることだけがすべてではない
草の茎を折って汁を啜れば苦い
ひとの生は宇宙のなかで
燃える星に困惑し
謎のにおいを嗅いだままだから
そのまま終わるだけ
うつくしく光る朽ちた骨たちも
謎というわけだ
崖っぷちの静けさを知る者は
あまりいないが
草の葉は
晴天も 曇天も 荒天も
地上で穏やかにあたらしい空を
受けとめて生い茂る
緑色の闇 耳鳴りの深い空
草の声を耳に詰めて
夕色の世界を往く
断崖の草が生い茂るところで
いつものように草男は眠りこけている
風が崖を這うように昇ってきた




「ル・ピュール」7号(2008.9.28発行)に掲載したものを一部改稿しました。



足立さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 4日(火)04時27分31秒   通報
「宇宙」という言葉を詩の中に書くより、今度の詩の方が宇宙を感じます。
詩は生理が動かないとつまらないとも考えてきました。


足立さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 4日(火)04時56分47秒   通報
不遜を重ねます。
足立さんの詩は、後半で通俗的になる癖があるんじゃないだろうか。
思いの丈を書いてから、思い切って、後半半分とか三分の二を捨てるといいんじゃないだろうか。捨てがたい行が、いくつかあるのですが、それはまた別の一編 でやるといいんじゃないだろうか。
酔っぱらいのくだですので、明日になれば、また私は別の考えになっているかもしれまでんが、今はそんな感じがします。



南原充士(なんばら・じゅうし)さんの日記 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年11月 6日(木)16時51分56秒   通報
2008年11月06日
15:53

パスバンド理論




 きょうの日経夕刊。福岡伸一。「あすへの話題」。

 オバマ当選のニュースが目に付く中で、ちょっと面白い話。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 福岡によれば、言語のパスバンドというものがあるという。これは、フランスのトマティスという耳鼻咽喉科の医師が唱えた理論らしい。

 たとえば、イギリス英語なら、2,000〜16,000ヘルツ

       日本語なら、      100〜1,500ヘルツ

       が、パスバンドだという。

      この周波数帯を外れると、音が聴き取りにくいのだそうだ。

 パスバンドは、子供の頃に形成される。成人してからではなかなか広がらないという。

  どうやら、ロシア語は、きわめて広いパスバンドを持つ言葉らしいが、はたして、ロシア人は 、他言語習得に堪能だろうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ざっと以上のようなことだが、なるほど、外国語がなかなか上達しない理由のひとつとして、そんなこともあるのかと思った。



トマティス 投稿者:村田 投稿日:2008年11月15日(土)03時17分25秒   通報
津田さんの通っていた教室は、トマティスセンターです。

過去ログから引用します。

===============
340. トマティスセンターに通って 投稿者:津田 美鶴 投稿日: 7月16日(月)12時09分33秒

 根石先生へ
 STさまへ

 トマティスセンターでは、私は聴覚、発音訓練のみ受講しましたが、語学に限らず他にもたくさんの講座があるよ
うですね。
 料金については、24回(1回2H)でだいたい18万円程です。教育訓練給付金制度を利用すればだいたい4万円強で受講できます。

 受講前と受講後の変化は、自分の声で確認できました。入学後、日本語と英語の両方の声をテープに録音し、最終日に聞き比べましたが、英語の音に深さが出 せ、不思議と英語の方が発音しやすくなっていました。

 トマティスの活用法ですが、受講後は、音が取れて発音ができる状態ですので、その準備ができていない、又はその時間が持てない方に比べると、数段イメー ジへの転換が早い!と思うのです。もちろんこういう機関に通わなくても英語の音をつくることは可能ですよね。ただ、発音訓練はどの語学教材も単調でおもし ろくありませんでしたので、おもいきって受講してみました。


 それまでの私の英語の発音についてですが、先生から誉められたこともなければ注意されたこともないという、「フツウの発音」だったと思います。抑揚がな かったんですね。きっと。トマティスのスタッフの方は、「もともと発音がきれいなので、あまり変化が感じられないかもしれませんね・・・。」とおっしゃっ ていましたが、自分では、発音がきれいだとは思ったことがありませんでした。学生時代は、sheをseeの音と同じだと思って発音していた事がありますか ら。これは誰か注意してほしかったですね(笑)英語をきちんと聴いていなかったんですね。

 日本の教育では、発音はあまり重要視されていないように思います。それは、指導できる方がまだまだ少ないということも問題かもしれません。そればかりに こだわることはありませんが、違う音で覚えてしまうと、その音を聞いた時に、せっかく意味がわかっていてもイメージが動かない様な気がします。音の認識が 行われない様に思うのです。
===============


馬の骨さん 投稿者:村田 投稿日:2008年11月15日(土)04時38分23秒   通報
・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

これはその通りなんだと思います。

>どうやら、ロシア語は、きわめて広いパスバンドを持つ言葉らしいが、はたして、ロシア人は 、他言語習得に堪能だろうか?

南原充士さんのこの疑問、答えは「堪能とは限らない」ではないだろうかと思います。
聞き取ることができる音の幅が広いということは有利ではあるでしょう。
しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

パスバンド理論というのが気になって、調べてみました。
そうしたらトマティスセンターにたどりつきました。
http://www.tomatis-japan.com/welcome/method/index.html

>トマティスの基本三法則
> 1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
> 2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
> 3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

「耳で聴き取れない音は発音できない。」
素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。
素読舎では日本語の音を足がかりにして素読を原理とした方法で訓練することにより、「通じる音」を手に入れていきます。その過程で、「聞こえる耳」も育て ていると思います。
確かに、「言語のパスバンド」は子供の頃に形成されて、大人になってから広げるのは難しいのかもしれませんが、訓練によってなんとでもなる、と思います。

パスバンド理論について興味深いサイトがありました。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9415/sikou/sikou31_081107_passband.htm
「日本語のネイティブは低周波音を聞き取りやすい。従って、低周波音被害に遭う可能性が非常に高い」


村田君、馬の骨さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)01時49分59秒   通報
・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

 日本語使用時と英語使用時で、脳の働く部位が違うことが映像化できるらしいですが、「特有の周波数帯」の問題は、「脳の部位が違う」こととどう関係する のかしないのか。

 私は、「脳の部位の違い」をもたらす最大の要因は、言語シンタックスの違いだと考えてきました。
 子供のネイティヴ言語習得過程では、言語(シンタックス)は外在物であり、子供は外在物としての言語(シンタックス)の中に白紙として生まれてくる。こ の場合、「白紙」というのは、言語習得の可能性(言語獲得能力)の先験性とは矛盾しません。
 新生児は、言語獲得能力を(なぜか)最初から持っていて、個別の具体的な言語に対しては「白紙」であるということです。新生児は、どんな言語であろう と、それが個別の具体的な言語であれば、習得してしまうという意味で「白紙」です。
 (この「言語獲得能力」が、チョムスキーの言う「普遍文法」ではないかと考えてもいます。生まれてきた赤ん坊には、能力としての(あるいは意欲として の)「文法」以外に他に文法らしきものは何も見当たりません。能力や意欲が「文法」だとしたら、そういう文法を誰が書いたのか。「神が」と考える人もいる し、「自然が」と考える人もいます。私は「自然が」と考えています。自然史の一齣である、と。)

 外在物を内在化させる過程に必ず作用しているのが「媒介物」であり、言語習得の場合は、それがまずは、「音」である以前に「声」だと考えてきました。 「音」ではなく「声」だと考えるのは、(あくまでも「言語獲得能力」にとっては)、(多くの場合)母親であり、親しさであり、まったく心を開ける相手だか らです。赤ん坊に聞こえているものが、「音」などという外在物であるわけがない。「母親」も客体であるわけがない。「言語獲得能力」にとっては、母親や親 しさや愛情の間に何の区別もなく、それらと「声」との間に何の区別もなく、おそらくその「声」と自分との間にも区別がない。しかもなお、それは「声」とし て「自分の中に」響くものです。自分のものです、というか、もしかしたら、その「声」こそが「自分」というものの原初です。
 「内在化」。それが原初にあるものです。
 物理学が客体として扱う「音」とか、生理学が耳が聴き取る客体だとするものは、赤ん坊にとっては(「言語獲得能力」にとっては)「声」として「自分の中 に響くもの=内在物」です。客体と愛情や感情の間に区別がないからこそ、それはきわめて容易に「内在物」になる。
 ネイティヴ言語習得の「媒介物」は「声」(愛情や感情)であり、語学(言語)習得過程の「媒介物」は「音」だと分けて考ればいい。「音」だったら、愛情 や感情はなくても成立します。それが語学の場面です。
 いずれにせよ、そこには「媒介」されるものがあります。「媒介」するという行為が、赤ん坊が人間の赤ん坊であるという自然がもたらすものであるか、人間 の個の意志がもたらすものであるかの違いがありますが。
 ネイティブ言語習得過程では、声が媒介にされ、「母語」が固定されます。音やシンタックスなどの外在物が内在化されて、固定されます。これはきわめて早 期に、子供が2歳3歳頃に固定が始まります。「音」だけに限って言えば、よく聞き取るべき周波数の範囲と、聞く必要のない周波数の範囲の区別が固定され始 める時期と言ってもいいと思います。
 幼年期の早期に固定される区別を相対化し、再度、「自分」を異質な音やシンタックスに向けて開くのが、語学という行為だととらえればいいと思います。語 学という行為は、本当は実にダイナミックな行為なのです。

>トマティスの基本三法則
> 1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
> 2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
> 3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

>素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。

 ここのところですが、トマティスは幼児のネイティヴ言語習得過程を語学の方法としてしまっているのが理論として錯誤を含みます。というか、逆立ちしてい ます。耳で聞き取れない音は発音できないというのは、耳で聞き取る音を発音するようになる幼児の言語的ふるまいをなぞったもの言いですが、語学において は、耳で聞き取れない音も人間はいくらでも発音できます。「口の両端を斜め上に」と私が指示し、生徒が出した音を、私が「そうだ、その音だ」と言ったと き、生徒の中に生じている感覚が肯定されます。この肯定された感覚が核になります。言ってみて、その時生じた感覚が肯定されたことにより、感覚的な核が生 まれ、耳が働き出すということは語学では常に生じていることです。
 トマティスの基本三法則は、「基本的な間違い」三法則と言うべきです。
 トマティスの三法則は、幼児のネイティブ言語習得過程にあてはまるものであり、語学はその全体を相対化する行為だというところが暗闇になっています。ト マティスは、こういう暗闇によってお金をもうけてはいけません。
 柴田さんの生徒たちは「おとなしい羊」であり、私の生徒たちは「泥だらけの山羊」だというようなことを、以前書いたことがあります。(なにしろ、「泥だ らけの山羊」をやっていた日には、中学受験なんかなかなか通過できません。)この言い方で言うなら、津田さんがトマティスを使って効果を実感できたのは、 津田さんが「おとなしい羊」だったからだと考えています。だから、「おとなしい羊」の方々はトマティスを使えばいいし、「泥だらけの山羊」の方々は素読舎 を使えばいいということが言えると思います。
 津田さんは、赤ちゃんの「白紙」を当時お持ちだったのであり、それは津田さんの美質だと思ったことをかすかに覚えています。普遍化はできないとも思いま した。

>しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

 おおざっぱにはそういうことだと思いますが、これについてはまた後で書きたいと思います。「強固に結びつける」ということが「瞬間化」と同じことなのだ という観点を提示しておくだけにしますが、タイミングを見て、話題を再度提示してくれることを村田君に頼んでおきたいです。



空手 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時26分58秒   通報
浜田さんという古くからの友達から空手を習い始めました。浜田さんは三段を持っていて、中断突きをやると空気が鳴ります。
空手を習い始めてから、南郷継正「増補 武道の理論」(三一書房)を読みました。
若書きの本ですが、理論としては、私の語学論と共通する部分がかなりあります。

いきなりCDを聴いて真似しろと言うのは、南郷さんを参照するなら、乱取りや試合ばかりさせて、ちゃんと型を鍛えないという「お気楽」です。
この「お気楽」のせいで、日本の武道は醜くなったし弱くなったのだというのが南郷さんが言っていることです。
オリンピックの柔道の判定結果なんか見ていると、醜くて目をそむけたくなります。どこにいったい柔道の「型=技」があるんだと思い、南郷命名の「ごりらの ダンス」が実にリアルな言葉だと思います。


中京在住のFさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時34分2秒   通報
 南郷さんの本を教えていただきありがとうございました。
 やっと今頃になって読んでいます。
 今でも掲示板を読んでくださっていたらうれしいのですが・・・


多読を広めた酒井さん 投稿者:パクパク 投稿日:2008年11月25日(火)20時54分14秒   通報
新刊がでました。

さよなら英文法!多読が育てる英語力
酒井邦秀著

この人の本が一番、正当であるとおもいます。
反文部省です。
国立大学の教員をそれにもかかわらず、続けています。

チェックポイント
1)冠詞
2)代名詞
を、学校英語のような教え方をしていない。


らくださん、matsuさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月28日(金)01時51分0秒   通報
書いていただいてありがとうございます。

 今日は寒くて下痢で、空手を習う日でした。
 空手の「型」を「決めた」と「同致」で、パンツを汚すのもはばかられたので、浜田さんに提言し、山登りに切り替えてもらいました。山登りなら、はばかる ことなく藪の中に入って行って、晩秋の冷たい風に尻をさらすこともOK。キリピーに見せるのはヤダけど、恐竜たちには見せてやってもいいよ。
 行ったところは、長野市篠ノ井の恐竜公園というところでした。。。。。ただで入れて、なかなか異様な風情のあるところです。この掲示板の常連の方たちが 我が家に遊びにおいでた(おいでになった)時にはご案内できます。
 あ、いいこと思いついた。プラスチックはリサイクルを繰り返すと、そのたびにプラスチックとして劣化していきます。もうここらまで劣化したらいいかげん リサイクルも終わりだという質のプラスチックは、恐竜にして固めてしまえばよかねえか。篠ノ井の恐竜たちは、ちょっと小さい。もっとでかい恐竜を作って、 姨捨山(冠着山)のボコ抱き岩の高さくらいのところに据えたらいいんじゃねえか。
 多分駄目。強清水の水が汚くなる。今でさえ汚いのに。

 駄目だあ。酔っちまったあ。

 とにかく皆さん、ここへどんどんお書きいただくことを願っております。
 失礼いたします。



ほう 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月28日(金)02時15分1秒   通報
>村田君

雑誌に最初に書いたものと本になったものはまるで印象が違うな。よっぱらいだから、印象しか言えないけど。
本のやつを最初に手がけたから、しばらく本をやって、雑誌初出のやつを後からやってみたら面白いかもしれない。


根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年11月29日(土)00時26分19秒   通報
>「根石さん(発音について)」は、また難しいことを言い出したなと思いました。
> つまり、「音」っていうのは、「意味」と一緒にならねえと駄目なんだと言っているのかなと思いました。

つまり、そういうことを言いたかったんでしょう、昨日のわたしは。
酔っ払っていても、チョムスキーをがっちり鷲掴みしようとしているのはさすがだなあと思っています。

チョムスキーの寄稿した記事はいずれやりたいですね。

すいません、酔っ払いなので今日は早々に落ちます。


こんなコトバ見つけました。 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2008年12月 2日(火)09時53分36秒   通報
中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』(ちくま文庫)から引用。

「ディベーティングは、科学的な態度に近くて、アメリカ人なんか好きなようですけれども、弁護士の教育ですね。ソフィストといって、ソクラテスが一番嫌っ たものです。

つまり、いつも議論に勝つように教育するわけです。・・・討論術の授業を受けて、勝たなければ優等生にはなれないわけです。・・・内容はなんだっていいん ですね。・・・いつも勝てばいいわけですから。

『ゴルギアス』でソクラテスはそういう話を非常に明確に言っていまして、勝つか負けるかということにかかわるんだったら、私は一切あなたとお話しません、 というような言い方をします。

だって、ソクラテスは真理を求めているんですから、負けたって場合によってはいいわけですよね。・・・それは真理なんですから・・・

対話とは・・・相手を打ち負かすことが目標ではなく、・・・自分の実感とか身体というものを、かけがいのない自分の言葉、ニーチェによると「血の言 葉」・・・をもって、ぶつかっていくことです。

・・・負かされても、・・・何かがわかるようになるからいいわけです。これがディアレクティケという弁論術、あるいは弁証法の基本です。」




文学へ渡る語学 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 8日(月)01時30分39秒   通報
matsuさんの久しぶりの投稿に触発され、『英語どんでんがえしのやっつけ方』根石吉久・村田晴彦(小学館文庫)を読み返してみました。何度目になるか 忘れましたが、やっぱり一番好きな一節のひとつはここでした。本の最終章、クライマックスの部分のネタバレで申し訳ありませんが、引用させてください。こ の本は思想書ですね、やはり。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
俺は、むなしさに対抗できるものは、むなしい何かじゃないと駄目だと思っているんだ。むなしいからむなしくないものを求めるっていうふうに求めていった先 には、例えばオウムがあり、自己開発セミナーがありっていうことになる。むなしいものには、むなしいものを対置する。むなしくて激烈な何かだよ。むなしく て激烈な何かっていったら、俺は語学を思うな。

語学から生活言語へ渡ることは、語学の「あふれ」として実現できるよ。だけど、それが語学の最大の価値じゃない。語学をやることっていうのは、そのこと自 体は、むなしさをむなしさとして持ち続ける力だよ。その力自体の価値っていうのがあるんだということだ。そこが語学が思想に転じうるポイントだと思う。転 じ得るなら、そこから翻訳へでも、詩へでも、批評へでも出て行けばいいんだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 9日(火)00時26分39秒   通報
 また読んでいただけたとのこと、うれしいです。
 ああいうところは、重箱の隅としてしか扱ってもらえないところです。
 ああいうところを読んでいただけたことがうれしいです。



根石吉久と柄谷行人 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月10日(水)23時53分6秒   通報
>語学をやることっていうのは、そのこと自体は、むなしさをむなしさとして持ち続ける力だよ。その力自体の価値っていうのがあるんだということだ。

らくださんが、根石語学論の要ともいうべき言葉を引用してくださったので、私も一年前に考えていたことを思い出しました。あの時は、根石さんと吉本隆明の 差異を際立たせることで、むしろ根石さんの思想と柄谷行人との親近性を指摘しようと思っていました。

>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして 「制度」というものはわからない。

思想にかぶれた学生時代を終えて、砂をかむような実社会での格闘を余儀なくされたとき、自分を励ましてくれたのは、柄谷のこんな言葉でした。
村田さんが、根石さんの「心は死にはしない」という言葉に感じたのと同じ励ましを、その時感じていたのだろうと思います。

>自分に対して、ひとつのことを完全に強制することは、少なくともやってはいけないことではない。いや、語学においては、これはうんとやらなければどうし ようもないことなのだ。大丈夫だ、心は死にはしない。

これは、今ある心がそのまま強く鍛えられるということではなく、むなしさと完全に向き合うことで初めて取り出せる心の形がある、ということだろうと思いま す。
このむなしさへの特異な向き合い方において、根石さんと柄谷には通底するものがあると考えています。



matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月11日(木)00時32分24秒   通報
 柄谷行人さんには、高橋敏夫が企画した(?)東京理科大での講演会の後で、向かい合いに座って話したことがあります。
 当時私は、早稲田鶴巻町の安アパートに住んでいましたが、柄谷センセイが言うことにゃ、

(柄谷センセイ)「君はこの近所に住んでいるんだろう」

 なんでこのセンセイはそんなことわかるんだ?
 理科大からすると、早稲田鶴巻町は「この近所」なのか?

(根石センセイ)「なんで、そう思うんですか」

(柄谷センセイ)「だって、そういうもん着てるから」

 私はオフクロが作った「綿入り」の半纏を着ていました。「綿入り」なら、八王子からでも、国立からでも、風邪をひかずに理科大にたどりつけます。柄谷セ ンセイは、「綿入り半纏」を着て電車に乗るやつはいないのだろうと思っていたらしく思われます。

 「話した」といっても、そんなことを「会話した」だけです。

 「畏怖する人間」でしたっけ、「畏怖するなんとか」という柄谷センセイの本を読んだら、わけがわからなかったので、その後は柄谷センセイの本を読むのを やめました。

 吉本隆明センセイは、読むと喉に小骨がひっかかってとれないような感情になりますので、大学を出てから読みました。あのセンセイは柄谷センセイと比べる と、格段に不良だと思います。

 読んだ吉本センセイの本は、自分で買ったのもありますが、松岡祥男さんにもらったものが多いです。松岡さんが自分で買ったあと、「吉本さんからもらった から一冊あげる」って言って郵送してくれたので読めました。(感謝→松岡さん)

 お返事になっていませんが、引用して下さった柄谷センセイの文は、「ナマ」な声でよろしいと思いました。村田君は、私と出会う前は柄谷センセイが好き だったようなので、今後は村田君から借りて読んでみようかなと思っているところです。

 それにしても吉本さんも松岡さんも偉い人だと思います。柄谷センセイの著書をきちんと読んで、罵詈雑言雨霰です。
 私はほんとに柄谷センセイは放置してしまいました。

 読むことはやぶさかではないので、村田君、柄谷センセイの本はブックオフに売らないでね。



根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月11日(木)05時42分34秒   通報
>無口な子供は自分の内部とのコミュニケーションが濃くなってるだけだ

なるほど〜と思いました。おとなしい子は、つい私も「なに考えてるかわからない」と敬遠しがちですが、そんなことないんですね。こういう見方があるんだな と発見させられました。
ただ、小学生、挨拶しませんよ〜。校長は英語教育を自慢としてる方なので、正面きっては批判しづらいですが、まず朝の挨拶ですよね。とアンケートに書いて みました。

他にも就学前からの英語教育に力を入れるお母さんも多いです。(実際に親が普段使っている家庭もあるようですが)また、今後、小1プロブレムに対応すべく 「黙って人の話を聞ける身体」づくりも今後、就学前に徹底されそうです。「自分の意見を人に伝えられる」ことも徹底してほしいと思いますが。

matsuさんへの柄谷センセイの話も興味深く読ませてもらいました。
柄谷が花田清輝を紹介していたのをきっかけで、花田ファンになった私です。
「真実はデマゴーグにある」とか、「虚偽以上の虚偽に視野を限る」とか
よくわからないところもあるのですが、私はわくわくしてしまいます。

そんなわけでして、花田ファンの私としては
根石さんの花田批評を聞いてみたいような、聞きたくないような、微妙な気持ちです。
どうぞ、お手柔らかにお願いいたします。


花田と吉本と根石吉久と 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月18日(木)21時50分45秒   通報
吉本隆明の文体は、読み手に書き手への同一化を迫るような力をもっています。
たとえば、共同幻想をめぐるテーゼなどは、読み手を一つの姿勢に追い込むようなところがあります。吉本に信奉者が多いのは、そのためでしょうが、本家とく らべてあまりおもしろくはありません。

一方、花田のテーゼは、「前近代を媒介にして近代を超える」とか「対立物を対立物のまま統一する」(あやふやな記憶ですが)とか、今から見れば、少しとぼ けたような、ゆるい感じがするものですが、意外に使い勝手のいいものなのかもしれません。

昨年、私が根石さんに議論を仕掛けたのは、根石思想を吉本の用語系で了解しようとすると、大事な部分を取り逃がすように感じたからでした。
江戸の母さんの記事をきっかけに、根石思想を理解するのに使えるのは、むしろ花田清輝の「楕円」の思想ではないか、と気づきました。

根石さんの立ち位置は、英語学習における、英語圏の「磁場」の圧倒的な同一化の圧力に抗して、「語学」の孤塁を守る、というところにあります。
対立物を対立物のままに、二つの中心を持ち続ける「楕円」のイメージは、日本語と英語の狭間で、「磁場への同一化はみにくい」と言い切り、あくまでその中 間者(媒介者)たろうとする根石さんにこそ、ふさわしいという気がします。


matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月18日(木)23時51分43秒   通報 編集済
今度お書きいただいたものは、非常によくわかりました。
花田を読みたくなりましたが、その「前近代を媒介にして近代を超える」というテーゼを一番うまく言っている著書名は何になるのでしょうか。是非読んでみた いと思います。




根石さん(柄谷行人について) 投稿者:村田 投稿日:2008年12月19日(金)00時45分42秒   通報 編集済
いつでも柄谷本持っていきますよ〜。
と言っても、「日本近代文学の起源」と「マルクスその可能性の中心」「探究I」「内省と遡行」「言葉と悲劇」「終焉をめぐって」しかないですね。
でもこうして見ると、覚えているのは「日本近代文学の起源」と「マルクス〜」かな。「日本近代文学〜」は、明治時代の歴史の断絶をキリスト教との関係でえ ぐりだしているところが学生だった自分にはえらくインパクトがありました。「風景」「児童」なんていう言葉が実は結構新しいものだったとか。自分が当たり 前だと思っていたものが、たかだか明治時代にしか遡らないということとか…。「告白という制度」という章なんかは今読んでもおもしろいです。分析だけだ、 と言ったらそれまでなんですけど。
「マルクス〜」は、「命がけの跳躍」っていう文が飛び込み営業してた頃に心の支えになっていたと思っていたんだけれど、今読みかえして見ると、あんまりピ ンと来ないかな…。きっと背伸びしてたんだと思います。

matsuさんの引用していた
>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして 「制度」というものはわからない。
っていうのには出会わなかったのは、わたしの読み方が浅かったのか思います。

本棚見返してみたら花田清輝の「新編映画的思考」っていうのがありました。でもこれ、買ったまま、まだ読んでませんね。今晩読んでみようと思います。

そういえば中村雄二郎の身体論とか栗本はよく覚えています。



村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)00時47分25秒   通報 編集済
matsuさんの引用していた
>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして 「制度」というものはわからない。
っていうのには出会わなかったのは、わたしの読み方が浅かったのか思います。

 「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像します。 「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」ということの中身を柄谷はどこかに書いているのでしょうか。ただこう言ってみただけで、それ を書いてなかったらこけおどしだと思っています。「磁場経験」を概念で言うのではなく、「リアルな言葉」にしていないということを、これまで國弘正雄批判 で言ってきたのでしたが、柄谷にも同じことが言えると思っています。

 (日本で)「自分が住む場所の、コード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして『制度』」というものはわからない。」という方がよほど納得 できます。

 柄谷が「磁場経験」を元にこれを書いているのであれば、「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」でわかるのは、どこまでいっても異 文化の「異質さ」であって「制度」なんかじゃなかろうとも思います。こんな程度のことを言うのであれば、江藤淳の「他者」の方がずっと内実があるではない か。もっとも、江藤も「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」の中身は書いていません(私が読んだかぎりでは・・)。
 「コード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」という言い方で、私は自分が生まれて育った土地からはじかれながら塾をやってきたことを思いま す。学校英語・受験英語というコード、茂木弘道「文科省が英語を壊す」にならって言えば、「英会話幻想」というコードなどは、すっきりとした語学を汚す (戦後)制度的な産物であり、塾を始めた当初から私はこれに従いませんでした。(子供にテストの点をとらせるのはうまかったのですが、学校制度や受験制度 は汚物だという観点は失ったことがありません。私には、自分が大学を出たことを汚物だと見る観点があります。)
 学校制度や受験制度に観念的に従わないと、塾なんかやってもなかなか食えない。食えるか食えないかの境界をずっと歩いてきたのでした。柄谷なんぞから 「制度」などとお説教される必要はまるでない。
 磁場帰りで、大学教師なんかやっていることで、柄谷は「自分が住む場所の」制度にしっかりと「従っている」ではないかと思うことを抑えられません。お 坊っちゃんが、なにをこけおどし言ってんだよ、と思うのです。
 大学教師なんかっていう「制度内」の商売を抜けて、直に娑婆を相手にする塾をやってみたらどうなんだ。この思想お坊ちゃんの顔がどう歪むか、それを書い てみるがいいのだ。それが書けないことと、「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」ということの中身が書けないことは同じことなん だ。






村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)00時55分11秒   通報 編集済
 とは言うものの、読むのはやぶさかではないので、本を貸して下さい。
 俺はとにかく、英語磁場帰りがでかいつらをこくだけでむかつくのです。





根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月20日(土)12時39分50秒   通報 編集済
matsuさんが引用されてた部分は、私は本では読んでないんです。たぶんその本を持ってないです。
引用された部分を読んで、柄谷は語学に関係することも言っていたんだ、と思い、自分はたいして読んでないんだなあと思ったのでした。

> 「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に
>反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像しま
>す。

根石さんの書いている通りじゃないかと思います。
確か、栗本慎一郎が学生に対して、「柄谷が今アメリカへ行っているが、帰ってきたらまた何か新しいこと言い出すぞ。」とどこかで書いていました。また目新 しい文物を輸入してくるぞ、と。(ただ、目利きではある、と書いていましたが)

持っている本は日曜日に持っていきますね。




村田さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月21日(日)21時12分2秒   通報 編集済
>「マルクス〜」は、「命がけの跳躍」っていう文が飛び込み営業してた頃に心の支えになっていたと思っていたんだけれど、今読みかえして見ると、あんまり ピンと来ないかな…。きっと背伸びしてたんだと思います。

これには、ちょっとびっくりしました。私もまったくおなじ経験をしていたからです。柄谷をこんな風に読んだという話を、ほかの人から聞いたことはありませ ん。意外と同世代の共通の経験なのかな、と思いました。
ただ、これは「マルクスその可能性の中心」ではなくて、「探求T」のマルクス論ですね。「探求T」を読み返せば、きっと(その時以上に)ピンとくると思い ます。

>「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像します。

これは、根石さんの言葉の引用ですが、村田さんも同意されていましたね。
柄谷の片言隻句の解釈で争う気はありませんが、ここで柄谷が問題にしているのは、あえて根石用語で言えば、「磁場」体験ではなくて、「語学」体験だろうと 思います。「語学」体験だからこそ、リアルなものが「言語」だけだと言い切れるわけでしょう。

>ただこう言ってみただけで、それを書いてなかったらこけおどしだと思っています。

これまた、根石さんからの引用で恐縮ですが、私には、柄谷がほとんどそれのみ、つまり根石用語でいう「語学」という体験についてのみ書き、それを理論的に 彫琢してきた批評家であるように思えます。


根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月21日(日)21時45分31秒   通報 編集済
花田については、ほとんど読んでいませんし、自分でもよくわかったという気がしません。
ただ、岩波文庫の評論集は、今でも簡単に手に入って、花田の思考スタイルがよくわかるアンソロジーだと思います。

ごく最近、勤務場所の近くの路地(いつもその脇を歩いて通勤しているのですが)に、花田の生家があったことを知りました。
来年の3月29日で生誕100年になるというのも、感慨深いです。



matsuさん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月22日(月)20時39分6秒   通報 編集済
「探究 I」の方でしたか。昨日、「マルクスその可能性の中心」をざっと見てみたけれど、どうりで見つからないわけですね。いい加減だなあ、自分。
確かに、こういう読み方してた人は周りにはいませんでした。でもバブルがはじけた後、同じようなことを思っていた人は他にもいたのかもしれませんね。
「命がけの跳躍」についてですけど、昨日、根石さんのところに柄谷本を全部持っていってしまったんで、今細かいところは覚えていませんが…。物と価値の間 に等号関係を作るのは論理ではなくて飛躍なのだということでしたっけ(間違ってたらすいません)。あらかじめ売れる見込みがないと判断されているものを売 らなければならない部隊の営業に配属された自分にとっては、拠り所になったんだと思います。
でもそういう点では、「ナニワ金融道」の方がリアルかな、と今は思います。


matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)00時35分41秒   通報
>ただ、岩波文庫の評論集は、今でも簡単に手に入って、花田の思考スタイルがよくわかるアンソロジーだと思います。

 お教えいただきありがとうございます。
 手に入れて読んでみます。


matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)02時10分55秒   通報
>ここで柄谷が問題にしているのは、あえて根石用語で言えば、「磁場」体験ではなくて、「語学」体験だろうと思います。「語学」体験だからこそ、リアルな ものが「言語」だけだと言い切れるわけでしょう。

 「磁場体験」か「語学体験」かについてですが、柄谷がはっきり書かないにもかかわらず、言説の背後にあるのは、「磁場体験」だと思います。柄谷が言って いる「言語」っていうのは、語学で扱う言語のことではない。「磁場」のコードに自分が容赦なくさらされるときの身体をつらぬく「言語」のことです。

 村田君から借りて、「探求1」というのを読み始めました。
 「命がけの跳躍」という言い方も、柄谷の変貌に即して言えば、「語学体験」から「磁場体験」への「跳躍」なんだと読めます。(「畏怖する人間」一冊の半 分程度までしか読まなかった者が、「探求1」を読むと、明らかに言葉の質が違い、「変貌」があります。)この変貌の背後にあるのは、「語学体験」から「磁 場体験」への「跳躍」です。間違いないと思います。それが「命がけ」であるのは、まるでおおげさではなくそうなんですが、柄谷はその「磁場体験」を概念的 にしか書かない。いや、そもそも肝心の「磁場体験」そのものを書かない。この密輸入ってのを、日本の知識人たちはやるんです。「磁場体験」を伏せること で、密輸入になってしまうんです。
 こういう者と高村光太郎のパリ体験を比べるとはっきりします。高村光太郎も俺なんかと比べれば美男子だが、高村はパリの下宿の鏡にうつる自分の顔を 「猿」だと見たのです。西洋人が東洋人を見るときの視線そのままで、自分を見てしまったのです。柄谷は顔が美男子だから、アメリカで自分を「猿」だと思わ なかったのか。そんなはずはねえだろと思うのです。柄谷だって、アメリカに行けば、自分の中に「猿」を感じちゃうんです。鏡を見れば「猿」を見るのです。 日本人の共同主観なんです。(なんちゃって)

 柄谷は、自分の「猿」を書かないのです。國弘もそうです。「磁場帰り」が駄目なのはそこです。

 これまで読んだところでも、その「猿の」「命がけの跳躍」を「貨幣」なんぞにやらせていて、自分の「語学体験」から「磁場体験」への「跳躍」は一行も書 いていない。駄目なんですね、こういう概念屋。

 どこまでも、概念を概念で切るときの切れ味がいい。利口なお坊ちゃんだという思いを新たにしました。分析の切れ味はいいんです。メスみたいによく切れる ときがあるんです。
 吉本が鈍刀でぶったぎるときの鈍く重い音みたいなのが、柄谷にはまったくないですね。おめえは思想のデパートかよと思って、読んでいる途中でげらげら笑 い出したくなったのでした。いやはや、たったこれだけのページで西欧の思想家・哲学者の名前を20も30も繰り出して、お見事!っていう調子で、スパスパ と分析してみせてくれる。こちとら教養がねえから、こうも次から次へと繰り出されると、頭だけが忙しくて、苦痛のあまり愉快になって、笑い出したくなるん だ。。。。。。
 ヘーゲル、マルクス、スピノザ、チョムスキー、プラトン、ドストエフスキー、ウィトゲンシュタイン、デカルト、スピノザ、フッサール、ヤコブソン、レ ヴィー・ストロース、カント、ソシュール、バフチン、デリダ、クリステヴァ、クルプキ、ロラン・バルト、ドゥルーズ・ガタリ、デュルケム、まだまだまだま だ、あるよお、柄谷デパート、安いよお。

 うるせえんだよ、馬鹿野郎って思いませんか?

 今日読んだ数十頁の中から拾い出しただけで、こんなにも多くの思想家・哲学者を身軽に手軽にちょこまかと分析してみせてくれるんです。それで、読むほう は頭だけが忙しくなりました。分析の切れ味ってのはところどころで「お見事」で、何ひとつ胸に響くものがない。それで笑い出したくなっちゃったのは仕方あ りません。アホかよ、おめえ、西洋思想家の名前を次から次へと繰り出し、ちょこまかと軽いメスさばきで分析なんかこいてる身軽さこそ、バフチンに言わせれ ば、大学生相手の知的グループ(大学教員ども)の「内部」にだけ響く「モノローグ」なんだわ。そう思うことを避けることができませんでした。柄谷ご本人は おおまじめに思想しているつもりなんですが、どうにも笑い出したくなって仕方がなかったのです。
 このまじめで利口なお坊ちゃんを読むと、バフチンの「ポリフォニー=哄笑」は無理ですね。なにしろ明るい暗さですから。気持ちがつまんなくなっちゃう。

 柄谷につつしんでささげたいのは、ただ単に「笑い」ですね。柄谷の文章にはどこにも「笑い」なんかなくて、明るい暗さしかないが、俺が笑っていけないは ずがない。だって、俺は「他者」なんだもん。了解なんかしないまま笑うってことをする俺も、柄谷にとっての「他者」の資格あり、ですよね?

 柄谷にとっての俺という「他者」を、柄谷は「動物」とか「精神分裂病」とかという「他者」として扱ってもらっていいが、ご本人は単なる「神経症」なんだ わ。いつもの「磁場帰り」の病気なんだわ。

 知的グループ(教員ども)あるいは大学生の間だけだわ、こんなもんが笑われずに通用するのは。そう思います。吉本や松岡さんが、柄谷を浅田彰なんかと同 一視するのがようやく納得できました。

 「語学」には本質的な他者に出会う契機はありません。コードにさらされるってこともありません。ただ単に、コードを学ぶだけです。個人の意識に閉じてい るのが「語学」です。それが「語学」の天地です。

 そこから俺は「跳躍」しちゃった、と柄谷は言いたいんです。じゃあ、いいから、それでいいから、それを概念でなく言うがいい。この身軽で利口なお坊ちゃ んがやれないことはそれです。

 柄谷は、多分、「語学体験」と「磁場体験」の区別ができていません。
 それができないもんだから、「磁場」にいじめられたウサ晴らしを日本に帰ってきてやってけつかるのです。そんな程度のことがバレないとでも思っているん ですね。利口なお坊ちゃんは油断が大きすぎる。
 やたらと西洋哲学者の名前を繰り出して、身軽に切れ味よく、ちっこいメスで分析するんです。(そんなちっこいメスじゃ切れないんだってば。)

 お前さんに欠けてるのは、「磁場」って用語なんだ。「他者」なんか、「知的グループ」の外側で、民衆は誰だって血を流しながら知っている。

 このお説教臭さ。たまらんぜ。



命がけの跳躍 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)02時24分59秒   通報
俺には、「命がけの跳躍」は日本在住だけで目が回るほどあるな。
だから、「命がけの跳躍」って言葉じゃなくて、演歌の切れっ端でなぐさめられたりするんだな。

 「赤いツッポのヤンシュが騒ぐぅ。雪に埋もれた番屋の隅で、あたぁしゃ夜通し、飯を炊くぅ」



根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月23日(火)22時20分4秒   通報 編集済
よくわかりました。
ただ、私から見ると、根石さんの柄谷の読みは、ほとんど的を外しているように思えますが、それも仕方がないと思います。
誰も嫌いな人間のことをまともに読もうとはしないものですから。

また、私が根石さんの語学論を過剰に読み込んで曲解していたことも良くわかりました。
柄谷についてはもちろん、吉本や花田にからめて書いたことも、おそらく見当違いだったと思います。撤回させてください。




matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月24日(水)05時36分12秒   通報
>また、私が根石さんの語学論を過剰に読み込んで曲解していたことも良くわかりました。
柄谷についてはもちろん、吉本や花田にからめて書いたことも、おそらく見当違いだったと思います。撤回させてください。

 撤回なさるのは結構ですが、私の方は読まないでいた柄谷を読み始めてしまったので、勝手に書くことにします。前回は、酔いが回って、後半がしまりがな かったので、もう一度やってみたいと思います。また飲み始めているので、今回も後半は前回同様になるおそれがありますが、やってみるしかありません。

>ウィトゲンシュタインは、「われわれの言語を理解しない者、外国人や子供」を、いつも思考の前提としている。彼にとって、それが他者のイメージである。 (略)
 ウィトゲンシュタインにとって、他者とは、「われわれの言語を理解しない者」、つまり言語ゲームを共有しない者にほかならない。そして、コミュニケー ションは、「直接的伝達」(キルケゴール)ではなく、それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベルにおいて考えられなければならな い。「直接的伝達」は、言語ゲームを共有する者同士では可能である。また、その場合、その伝達を可能にする社会的規則・コード(超越者)を取り出すことが できるだろう。しかし、それらは言語ゲームが共有化されたあとでの事後的な説明にすぎない。それらは、コミュニケーションの基礎づけたり得ない。むろん、 私は、他者(言語ゲームを異にする者)とのコミュニケーションが不可能だといいたいのではない。その逆に、コミュニケーションが合理的には不可能であり基 礎づけることができないにもかかわらず、現実にそれがなされている事実性に驚くべきだといいたいだけである。
         (「探求1」キルケゴールとウィトゲンシュタイン)

 柄谷も、ウィトゲンシュタインと同じように、「われわれの言語を理解しない者、外国人や子供」を「他者」だと言いたいのです。その意味で、この本の前半 を読んだ時点では、私はまったく柄谷が言う意味での「他者」でした。ところどころ切れ味のいいところがあるとは思うものの、何を言ってるのかまるでわから んというところが圧倒的に多かったからです。matsu さんは、こんなものを読んですんなりわかるのだろうかと、読みながら思ったことも書いておきたいと思います。
 上に引用したものを読んだあたりで、ようやく少しは言いたいことがわかってきたのですが、それは柄谷が「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教 えること)」をしたからではありません。私が我慢して読んだからです。私が、この本一冊を途中まで読む過程で(まだ読み終わっていません)、「それを可能 にするものそのものの伝達」など柄谷は何ひとつしていません。

 さて、「コミュニケーションは、「直接的伝達」ではなく、それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベルにおいて考えられなければな らない」についてですが、私が日本在住の「外国人」とつきあうときにしてきたのはまさにこのことでした。しかし、それは「英語によって日本語を教える」こ とによってだったのです。
 (日本人の)「子供」ならともかく、「外国人」に「日本語」で「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)」が成立するとでも柄谷は考え ているのでしょうか。こいつは筆のすべりはいいが、考えが粗雑だと思うのはこういうところです。筆のすべりがいいとか切れ味がいいってことと、考えが粗雑 だということとは両立するんですね。

 この柄谷の考えでいいのなら、先日発表された厚顔無恥文部科学省の英語教育に関する考えもあれでいいことになります。「レベル」だけで言えば、「それを 可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベル」で厚顔無恥省もものを言っているのですから。
 私は「できっこない」と言っているのです。ですから、厚顔無恥文部科学官僚どもに言う言葉も柄谷に言う言葉も同じものになります。「空文句だけ唱えてん じゃねえよ」です。

 柄谷はウィトゲンシュタインを借りて、「外国人」を問題にしているんだから、私のいいがかりも筋の通らないものではないと思いますがいかがでしょうか。
 柄谷の言うこととは違って、「直接的伝達」も「それを可能にするするものそのものの伝達(規則を教えること)」も、両方とも、「言語ゲーム」を同じくす る者の間でしか成り立たないのです。

 柄谷はアメリカに渡る前に、日本でしこたま英語をやった人間です。「東京大学経済学部卒。同大学院英文科修士課程修了」です。

 「現実にそれがなされている事実性に驚くべきだといいたいだけである」というときの、「現実にそれがなされている」場所を柄谷は具体的に書きません。私 はその「場所」をアメリカだと考えていますし、「磁場体験」だと考えています。語学の内部では、柄谷の言う意味での「コミュニケーション」などどこにも成 立しません。それは語学の外側(=磁場体験)においてあるだけです。この一点に関して言うなら、matsu さんが柄谷を読めていないのだと思っています。
 「東京大学経済学部卒。同大学院英文科修士課程修了」の頃に柄谷がやった「語学」があったからこそ、「現実にそれがなされている事実性」があったので す。柄谷は、「前提」を伏せるのです。

 柄谷が具体的に書かない「場所」がアメリカでなく日本であるなら、「語学」ではなく「読書」によって、私が柄谷の言うことを曲がりなりにも受け取り、 「現実にそれがなされている事実性」に、柄谷が驚くべきです。私と柄谷では、「言語ゲーム」をまったく異にするのですから。
 柄谷は「日本でしこたま英語をやった」語学体験も伏せ、アメリカでの(猿としての?)「磁場体験」も伏せるのです。それで、日本に帰ってきてから、西洋 哲学者たちの説をちょこまかと持ち出し、メスで切ってみせるのです。そのしぐさの下から、シミチョロ(死語で申し訳ありません)としてちょろちょろと見え るのが、「語学体験」であり、「磁場体験」なのです。

 「磁場」の問題を捨象して、「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)」などと言ってもしょうがねえんです。そんなことを言うことが、 柄谷が自分で繰り返し繰り返し批判する「モノローグ」にしかならねえのです。

 「それを可能にするするものそのものの伝達(規則を教えること)」だあ?
 それをやってきたのは俺だよ。柄谷よ、お前なんぞじゃねえよ、と言いたい。

 だいぶ酔いがまわってきましたが、もうひとつ引用してみます。

>柳田国男は、「学ぶ」は「まねぶ」であり(「習う」はいうまでもなく「倣う」である)といい、それを「おぼえる」(覚える)に対比させている。そのよう にいうことで、柳田は、一般に、学ぶこと(学問)を、おぼえることの上に置く位階を転倒させた。ただ、柳田の区別は、別の意味で重要である。泳ぎを教える とき、われわれは、さしあたって、相手にフォーム(形)を真似させるほかない。泳げるようになる一瞬の悟り(覚り)を、待っていなければならない。
 曹洞禅(道元)の場合も、各種芸道の場合も、各々「形から入る」。つまりまねぶところからはじめる。しかし、これは一般に「教える」過程についていえ る。ウィトゲンシュタインが、言語の習得を訓練とよんだのは、この意味である。
 子供はまねばないならば、言語をおぼえないだろう。人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ。これは自然史的な能力であ る。しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。つまり「教える---習う」という関係のレベルか らはなれたところで、ピアジェやチョムスキーのように「生得能力」から学習を説明することは、本当の意味で「習う」ことに迫ることではない。それは事後的 な説明にすぎない。

 頭の回転の速い馬鹿っていうのはこういう者のことだ。文章が絶えず横滑りする。
 柳田国男が、これこれこう言ったと言い、「学ぶこと(学問)を、おぼえることの上に置く位階を転倒させた」と言う。そうなのかと思うが、「学ぶ・まね ぶ」を「覚える・悟る」と対比させることによって、柳田がどう「位階を転倒させた」のかはちっともわからない。
 柄谷の書くものの中に柳田国男という名前が出てきたからといって、柳田国男についてわかるわけではまるでない。柄谷のモノローグに都合のいいように、柳 田が引っ張り出されているだけのことなのである。

>曹洞禅(道元)の場合も、各種芸道の場合も、各々「形から入る」。つまりまねぶところからはじめる。しかし、これは一般に「教える」過程についていえ る。ウィトゲンシュタインが、言語の習得を訓練とよんだのは、この意味である。

 曹洞禅がどうなのか私は知らないが、「形から入る」についてなら、私にもわかっていることがある。それが「まねぶ」ところからはじめることもわかる。し かし、その直後で、「しかし、これは一般に「教える」過程についていえる」と気楽に続けるんじゃねえよと思う。どこでどうそれが「教える」について「いえ る」のか。ここでもやはり、柄谷は筆のすべりがよく、ただ単に雑なのである。思考が雑なのだ。

>子供はまねばないならば、言語をおぼえないだろう。人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ。これは自然史的な能力であ る。しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。つまり「教える---習う」という関係のレベルか らはなれたところで、ピアジェやチョムスキーのように「生得能力」から学習を説明することは、本当の意味で「習う」ことに迫ることではない。それは事後的 な説明にすぎない。

 「しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。」だとさ。「能力がそなわっている」という一点は 同じだろうが、子供にとって「言語」は避けようがないという一点はまるで無視されている。
 水泳を習い始めてすぐに、「泳ぎたくない」と子供が拒絶するなら、「能力がそなわって」いても子供は泳がないだろう。しかし、「泳ぎたい」でも「泳ぎた くない」でもいいが、そういう言葉を「持つこと」を子供は拒絶できない。泳ぐことは拒絶できても、言葉を拒絶することはできない。
 「能力がそなわっているということとちがいはない」などと言うことで、いったい柄谷は何を言ったのか。ボクは頭がいいように見えるでしょ、と言った以外 にいったい何を言ったのか。私には本当にわからない。
 チョムスキーの言う「生得能力」のせいで、子供は言葉を持つことを拒絶できないのだ。チョムスキーが「習う」ことに迫ることなどしたかどうか知らない。 チョムスキーは、「生得能力」が「ある」と言っただけだ。
 だから、子供は「教える---習う」などという「関係のレベル」でなく、「愛する---習う」のレベルで、「勝手に」「習う」のだ。そこにあるのは、 「教える」なんかではなく、「愛」だ。「人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ」ことの根底にあるのはそれだよ。「教え る」などということがなくても、「愛」のせいで、子供は勝手に「習う」。それがチョムスキーの言う「生得能力」であり、幼児に関してなら、それだけで「本 当の意味で」、「習う」ことが全部言えてしまうのだ。
 事後的な説明をしてるのは、柄谷、おめえさんじゃねえかよ。
 しかも、事後的なだけじゃなく、間違ってるじゃねえかよ。

 matsu さんは、私が柄谷が読めていないとおっしゃっていますが、私はそう思っておりません。正直に言って、私が読めていないのは吉本です。吉本には、本質的な難 解性があります。柄谷にはそんなものはありません。柄谷は、頭の回転が速くて、そのスピードに従って書くから、読みにくいだけです。というか、話があちゃ こちゃして読みにくいんです。
 「探求1」に関して言えば、最初の3分の1くらいはほんとうにあちゃこちゃしていて読めたもんじゃない。後半に入って、ようやく少し落ち着いてきていま すので、柄谷が書いた文章そのものにつっかかってやろうという気になったのです。
 最初の3分の1を読んだ時点で、私から悪態しか出てこなかったのは、柄谷のせいです。私のせいじゃありません、と、柄谷にとっての「他者」として言い 放っておきます。

 私が、こういう種類の「アタマノヨサ」が嫌いなのは、matsu さんが納得して下さった通りで間違いありません。

 また、私の語学論を深読みしすぎたのであれば、本来の深さ(浅さ)で読んでいただきたく思います。



根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月25日(木)01時27分14秒   通報
根石さんが、誰に向かって何のために書いているのか、測りかねます。
私はただ、柄谷が根石語学論の展開のために、「媒介」になるのではないか、ということでポイントをしぼって指摘しただけです。
根石さんがそれについて、違うと考えて、私に向けて書いているというなら、論点を明確にして書いてくれないと応接のしようがありません。

連夜にわたる記事を見てみると、私に対して書いているのではなく、ただ柄谷を批判したくてたまらない、という情熱にかられて書いているだけのように思えま す。

枝葉末節ではなく、本筋の部分で一点、指摘させてください。
根石さんは「命がけの跳躍」ということを、誤解しているようです。
何か具体的な場所から場所への跳躍としてイメージしていて、積極的で価値ある行為と考えているようです。語学から磁場へ跳躍した、などと書いていますか ら。

そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠 されている、ということです。
そうした人間の原理的なあり方を把握するために、極限概念として「外国人」や「貨幣」を出しているのであって、根石さんのいう「磁場体験」や外国生活とは 何の関係もありません。
柄谷の根本モチーフすらつかめないままに、罵詈雑言を繰り返す根石さんの姿勢は全く理解できません。

私は別に柄谷信者でありませんし、柄谷へのまともな批判はあってしかるべきです。
しかし、根石さんの態度は、言葉や思想に対して不誠実だし、まじめに議論しようとしている相手をこばかにした態度だと思います。



matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時08分19秒   通報 編集済
>根石さんが、誰に向かって何のために書いているのか、測りかねます。

 概念のいじり方に向けて書いていると思います。

>私はただ、柄谷が根石語学論の展開のために、「媒介」になるのではないか、ということでポイントをしぼって指摘しただけです。

 「媒介」になると思います。すでに私は「媒介」にしています。

>根石さんがそれについて、違うと考えて、私に向けて書いているというなら、論点を明確にして書いてくれないと応接のしようがありません。

 私はこの掲示板では、具体的な匿名の人に向けて、「宛名」を書きますので、matsu さんに向けて、柄谷批判を提示しています。

>連夜にわたる記事を見てみると、私に対して書いているのではなく、ただ柄谷を批判したくてたまらない、という情熱にかられて書いているだけのように思え ます。

 私に柄谷を批判したい「情熱」なんてものはありません。私は柄谷を馬鹿にしているだけです。

>根石さんは「命がけの跳躍」ということを、誤解しているようです。

 誤解する以前に、マルクスなんかを引用して、貨幣に「命がけの跳躍」なんかをやらせているところがまったく理解できません。実物をみせてくれと思いま す。恐慌は貨幣が引き起こすのか、「信用」が引き起こすのか、人間の欲が引き起こすのか、もうちょっとわかる言葉で書けばいいのだ。柄谷という馬鹿は。

>何か具体的な場所から場所への跳躍としてイメージしていて、積極的で価値ある行為と考えているようです。語学から磁場へ跳躍した、などと書いていますか ら。

 matsu さんは私の語学論を誤解していると思います。これは matsu さん批判としてここに書いています。
 私の「跳躍」も、場所から場所への「跳躍」ではありません。「異質」からもう一つの「異質」への「跳躍」です。「語学から磁場」への「跳躍」も、「異 質」からもう一つの「異質」への「跳躍」です。「場所」のことを言っているんではありせん。
 読めていないのはどちらでしょうか。

>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に 隠されている、ということです。

>日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、

 これはよくわかります。

>それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠されている

 これを説明していただけますか。

>そうした人間の原理的なあり方を把握するために、極限概念として「外国人」や「貨幣」を出しているのであって、根石さんのいう「磁場体験」や外国生活と は何の関係もありません。
柄谷の根本モチーフすらつかめないままに、罵詈雑言を繰り返す根石さんの姿勢は全く理解できません。

 そうだと思います。そんなに簡単に理解して欲しくありません。
 過去ログをお読みになれば、私が何に対して罵詈雑言を繰り返すのかはおわかりいただけるものと思います。

>しかし、根石さんの態度は、言葉や思想に対して不誠実だし、まじめに議論しようとしている相手をこばかにした態度だと思います。

 「まじめに議論しようとしている」は matsu さんのことを言っているのでしょうか。柄谷のことを言っているのでしょうか。私が言葉や思想に対して不誠実なら、不誠実で結構です。私は柄谷を「こばか」 にしているのではありません。馬鹿にしているのです。
》記事一覧表示




根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月25日(木)02時25分4秒   通報 編集済
失礼な記事を書いて申し訳ありませんでした。
しかし、まぎれもない本心なので、歯に衣着せぬ根石流に敬意を表して、あえてそのまま投稿しました。

それへの反論も読ませていただきましたが、やはりもう接点は何もないかんじですね。
私に根石さんの語学論を理解する力はないでしょうが、根石さんも柄谷を媒介にするには全くの力不足だろうと思います。
「馬鹿」なんて、子どものけんかで使う言葉ですよ。

こんなタイミングでなんですが、レッスンは今月までとしてください。
明後日の分はお休みとさせてください。
子どもとも話し合って決めたことです。
一年間お世話になり、学ぶところが多かったことを感謝します。


matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時47分6秒   通報
ありがとうございました。



matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時59分8秒   通報
「一時的な感情にかられて」は読んでおります。
それを削除したことも「読んで」おります。


歴史 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)03時00分58秒   通報
>「馬鹿」なんて、子どものけんかで使う言葉ですよ。

 私はこの掲示板を始めた当初から、「馬鹿」を言うだけでやってきたのでした。


江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)05時47分22秒   通報
柄谷を一応読んでから、花田を読む予定です。



発明 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)05時52分15秒   通報
 人間は自分がもっとも必要とするものをキリストるものである。
 柄谷も同じだ。
 語学という「前提」を持っていることを伏せて、「他者」を語るところが、ズール教なのだ。
 ドストエフスキーの小説が体現してるように、「基底」などどこにもないと疑うことができるが、柄谷は「前提」を伏せて大口叩いてんじゃねえ。
 「無限としての他者」(第十一章)はおもしろかった。
 ほめてつかわす。
 しかしなんだな。本の終盤3分の1くらいになって、ようやく言いてえことを言い出すんだから、おめえもグズってもんだ。
 シャキッとしろよ、「磁場帰り」!


お知らせ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)05時55分23秒   通報
柄谷を借りただけ読んだら、花田を読んで、「カラマーゾフの兄弟」を読もうと思いました


ひとりごと(モノローグってか) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)03時03分2秒   通報
>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に 隠されている、ということです。

>日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、

 これはよくわかります。

>それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠されている

 これを説明していただけますか。





 matsu さんは、こちらが聞いていることには何も答えてくれませんでした。

 「事後的に隠されている」っていうのは何のことかと思ったので、それはいったい何のことかとお聞きしたのだが、答えてはくれない。それで、こちらが「ま じめに」議論することなどを押しつけられる義理はなかろうもん。昔から、こういう「まじめに」が苦手だった。誠実だの、不誠実だのと、何のつもりで matsu さんは言っているのだろうか。わからないから聞いていることに答えるということが、「議論」というものの基底を形成するはずの まじめさ なのに、 matsu さんはその基底自体を無視して(壊して)、誠実だの不誠実だのと言うのである。いったいこういう誠実や不誠実にどんなナイヨウがあるのか。ナイヨウはナイ ヨウ。すみません。
 matsu さんの「事後的」は「命がけの飛躍」という「事」の「後」にということを言っているのだろうか。わざわざ「事後的に」という語で言うのはなぜなのかがわか らない。「命がけの飛躍」が外からは人の目に見えないという、単にそれだけのことを言ってるのではないらしい。「事後的に」というからには、「事」の「前 後」が何か関係あって言っているのだろう。どうしてこんな言い方をするのか本当にわからないので聞いたのだが、そういうポイントには何も答えてはくれない のだ。
 柄谷の本の中にもところどころに「事後的に」という言い回しが出てくる。そんなところから言い回しを拾ってきて真似ているだけのことなんだろうか。
 柄谷の言説はこちらは書籍で読むわけだから、柄谷は言いっぱなしができる。それに対して、こちらも言いっぱなしができる。あんまり言いっぱなしばかり じゃいけなかろうと思い、柄谷の文を具体的に引用して、ここがこうだと批判したが、それに対しても matsu さんは、高みから「読めていない」というご託宣を垂れただけだな。どこが具体的にどう読めていないのかは教えてくれない。言葉はおとなしそうなのだが、な かなかどっこい。この人はあらかじめ高みにいるのである。なんであらかじめそんな「高み」にいられるのかがまったくわからない。偉い人なのだ。よっ、雲上 人!
 こういうのはたいがい何かの「まじめな」信仰のせいなのだ。そんな信仰のせいで、俺が「どやしつけ」を「演じる」ことも matsu さんは読んではくれなかったようだ。「どやしつけ」を「演じる」かたわらで、論点を噛み合わせようとしている努力は見えないようだ。「日常の滑らかなコ ミュニケーションの見かけ」がわかる人も、「どやしつけ」の「見かけ」はわからないらしい。
 こちらが聞いていることを無視し、議論の基底を壊し、「読めてない」とご託宣を垂れる。いったい何がどれだけ偉くてそんなことができるのか。「どやしつ け」を「演じる」演技も読めず、「どやしつけ」は不誠実だなどと、文学・思想信仰の「まじめ」さを押しつけてくることの方が、よっぽど不誠実じゃねえか。 文学には「どやしつけ」もありなんだよ。この程度の「演技」も読めなくて、何が「文学」かよ。いい年こいていつまで文学青年やってんだろう。一度しっかり と「まじめ」ってことを説明してもらいたい。
 まるで「根石君、ふまじめだよ」って説教する学校の先生みたい。ああ、何度それを言われて育ったことか。ボクは苦しんじゃった。柄谷とおんなじでうるせ えんだよ。セックスの後で、「こないだはバツだったけど、根石君、今日はマル!うふん」って言う女の方がよっぽどいいや。「こないだはバツだったけど」く らい言われたからって、俺は「ちくしょう、このスキモノ」って言うけど、「断絶」はしねえな。
 「文学」だの「思想」などにもう俺は何の信仰も持ってはいない。こちらからはあちらの信仰がふまじめ(不誠実?)に見えるのだ。

>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に 隠されている、ということです。

 そういうことですか。やっぱわかんねえな。俺の「誤読」を指摘した後で、matsu さんはこう書くが、そんなことは俺が読んだ限りでは、柄谷はどこにも言っていない。まあ、これから読むところに書いてあるかもしれないから保留しておく が、ひとまずこれまでのところ、「日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に」なんていうレベルのことを柄谷は言っているわけではない。matsu さんの自分の言説としてなら、「よくわかる」のだが、俺の柄谷の読み方を訂正して、こんなことを言われてもなあ。少なくとも、「探求・1」に書いてある 「命がけの跳躍」ってことはそんなことを言っているんじゃない。「言葉が通じない者=外国人・異質・異物・異人」と「向き合う」ことを言っているだけだ。 「教える・習う」の関係に入ることを言ってるだけだ。
 先生だか公務員だか知らねえが、「偉人」にゃ「異人」はわからんわ。「極限概念」なんぞという「まじめ」なレベルでなく、単に「他者」の具体例として、 柄谷はそう言ってるだけじゃねえか。なあにがキョクゲンガイネン。へっ!
 問題はやっぱり、「概念」の「いじり方」なんだ。
 「命がけの飛躍」は、「語学から磁場への跳躍」には関係があるが、「日常の滑らかなコミュニケーション」の見かけの下の「断絶」なんかとはよっぽど関係 がない。「断絶があって、」って、いったいなんだよ。それがあれば、そこに「他者」が立ち上がるとでもいうのかよ。「断絶があって、」だけのことなら、そ れこそがモノローグじゃないか。とぼとぼと道を歩きながらのぼやきとどれほど違うっていうんだ。それが柄谷の言う意味での「他者」と何の関係があるってい うんだ。

 いや、matsu さんがそう読むんなら、関係はあるんだろう。なにしろ「断絶」だからな。きのうの俺との別れ方なんぞは、見事なもんだ。なにしろ「断絶」だ。それはそれで いいんだというだけのことだ。

 柄谷はこんな「断絶」程度のことを言っているんじゃないんだ。「他者」ってことで言ってるのは、「断絶」なら「断絶」でいいが、言葉が通じないなら通じ ないでいいが、それを踏まえて、その者と「向き合う」ことを言っているんだ。matsu さんは、モノローグから出ることができないまま、「断絶」をやっただけのことだった。文学信仰者はそれをやってればいい。別に出てこいなどと呼び出さねえ よ。そもそもあんたが勝手にこの掲示板に出てきただけのことじゃねえか。それで、手前勝手に出て行っただけのことじゃねえか。モノローグの闇がどこまで深 いんだか、俺は知らない。

 matsu さんが本当にわかっていないのは、柄谷の言い方を借りれば、「言語ゲームを異にする者=他者」だろう。柄谷読みの柄谷知らずと言う他はないんだ。思想信仰 はやっかいなもんだ。俺が柄谷に似ているなんかって言い出すんだから。迷惑だ。

 まあいいか。



根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月28日(日)05時21分34秒   通報
遅くなりましたが、まずは本へのコメントありがとうございます。

詳しい内容に触れませんと、読んでいる方には何のことかわからないと思いますが、あまり詳細に入り込みますと人物が特定されますので、ごく一般的な話にと どめますがご容赦ください。詳細については必要に応じてメールで書かせていただきます。

> らくださんが編集された御本をいただいておいて、好き勝手なことを言い、申し訳ありません。

正確に言えば、私は編集作業には関与しておりません。ただ、内容についての責任は持っておりますので、まあ、同じことかもしれませんが。

>このあたりで、私はいつもあまりにぶしつけであり、あちこちから嫌われてきました。しかし、語学論に関わる範囲では、やはり言いたいように言っていきた いと思っていますので、どうか悪く思わないでいただきたくお願い致します。

職人さんの「ぶしつけ」には日頃から免疫ができていますので、ご心配にはおよびません。

> これ、発音を身につけるべき段階のための本ではなく、すでにある程度英語音を発音できる人が、自分の音に自覚的になるために確認するための本だなとい うのが、端的な感想


これは、おっしゃる通りだと思います。はじめは初学者向けということで始めたのですが、どうしても著者のイメージと一致しないため、途中で方針を変更しま した。

>これはいいというのもあり、f、vの下唇を上の歯にあてるときのコツの言い方で、「ほおずきを鳴らすように」というのがありました。これは秀逸

改めてご指摘を受け、う〜ん、それはどうかな、と思いました。根石さんのお歳がわかりますねー。ほおずきって、最近は見たことない方も多いんじゃないで しょうか。般若はいいんです。見たことなくても、ネットで般若のお面を探してみれば、一発でわかりますので。ほおずきは見てもダメですね。鳴らし方はわか りませんから。私は子供の頃、近所の兄ちゃんに習いましたが、うまくできずにあきらめた記憶があります。

> この著者も「一般」ということがわかっていないんだなと思いました。

「一般」というのはいろいろな点で難しいと思います。それができる方は希有だと思っています。「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるよう に思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って 売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだ けでOK」とか。

しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま す。


らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月29日(月)05時41分18秒   通報 編集済
>職人さんの「ぶしつけ」には日頃から免疫ができていますので、ご心配にはおよびません。

 これを女房が読んだらしく、えらく喜んでいました。

>「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるように思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強 い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰 く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」とか。

しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま す。

 この通りだと思います。
 お書きいただいたことは、先生サイドについてのことですが、そのサイドから「一般化」をやろうとしても、一般の人たちが、「この方法でやれば、3ヶ月で ペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」をあらかじめ信仰していて、こちらの努力が水の泡になることもよくあります。



柄谷 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)04時50分2秒   通報
柄谷の本を読んでいると、柄谷本人の文章を引用する気になるのはなかなか難しいが、引用されている文は面白い。